京都大学野生動物研究センター屋久島フィールドワーク講座 >第6回・2004年の活動−サル班−感想 最終更新日:2004年12月17日

第6回・2004年の活動

サル班の活動 ー 感想

受講生の感想文

一方井祐子

 屋久島から帰って一ヶ月。島だ、サルだ、と食卓に毎度のようにのぼる話題にもそろそろ家族がうんざりし始めてきた頃である。
 「屋久島」というネームバリューへの興味とフィールドワークへの漠然とした憧れから参加した今回の講座は、私の興味の幅を確実に広げてくれた。サルへの興味は勿論のこと、動植物全般や環境、行政、今まであまり関心のなかったことまでが次々と横につながっていく。
 林道での実習は初めて野生のサルを見ることもあり毎日が新鮮だった。次々と現れるサルの群れに対して初めは何をどう見たらよいのかさっぱりわからず、ペンとノートを手に持ったままおろおろしていた。双眼鏡でいざ、サルの個体識別に望んでみても、その違いがなかなかわからない。考えてみれば私は最初、オス、メスの見分けも怪しかったのだった。杉浦先生や田中先生に同じような質問を繰り返し、次から次へとメモしたデータを持って宿舎に向かい、班のメンバーでデータを整理する。その過程で、先生方のフィールドノートを見たときには正直驚いた。ははぁ、こうやって記せば無駄がないのだ、と赤字で無意味に埋まった自分のノートを見下ろしながら感じたものである。
 屋久島に向かう前、猿害については何冊かの本を読んでいった。ネットでも記事を見つけ、その被害の大きさを自分なりにイメージして行った。しかし実際、安房林道でサルの様子を観察し、これはちょっと違うのでは、という感想を持ったことも事実だ。ヒトは餌付けをするものだ、サルは攻撃するものだ、という意識を持っていたためか、些か拍子抜けした部分もあった。「猿害」についても地域差を全く考えていなかったこと、「こんなことも私は知らなかったのか、考えていなかったのか」と、屋久島に行って初めて気づくことが多々あった。「フィールド」はサルを出発点にしてそれを取り巻く環境の繋がりを示唆してくれる場所であるのと同時に、説得力を伴った新たな情報を受信、発信できる魅力的な場所でもある。
 現場と密接に関わっている研究者の先生方とお会いし、私の中の「研究者像」は変化した。今まで狭めよう狭めようとしていた自分の興味の枠もかえって広がった気がする。沢山の志熱い仲間に出会い、鋭い考えに刺激され、フィールドという新たな「入り口」を見つけることができた。本当に大きな経験だった。
 夜明けに見た、今まで見たことも無いような星空や、温泉で地元の人にいただいた生節。土地に漂う空気感に「ブルー」の海。次はどんな切り口で「フィールド」に乗り出そうか、興味だけは尽きそうにない。
今回お世話になった先生方、特にサル班の杉浦先生と田中先生、OGの小島さんにも大変お世話になりました。参加されたメンバーの皆さん、木原さん、他の皆さん、本当にありがとうございました。

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小泉 潮

 今回の屋久島フィールドワーク講座では、屋久島というかけがえのないフィールドで、筆舌に尽くしがたい自然環境の中、様々な刺激を受けた。それらを全て述べることはできないが、その中で敢えて挙げるとするならば、一つにはフィールドワークの醍醐味を味わうことが出来たということ、もう一つには、文化について考えるヒントが得られたということが挙げられる。この二つについて今回の感想として、少し記しておこうと思う。
 今回の実習は、サルの顔や身体に個体差を認め、個々の個体を識別することから始まった。これにより、個体の行動特性は言うまでもなく、さらにはそれを支える群れの特定や社会関係までも理解することが出来るようになる。そして、今回のテーマは、「サルの餌付けの現状を知ろう」ということだったので、餌付けザルの行動特性を観て、自分らなりに情報という形に起こした。最後に、得られた情報を解析し、整理し、人に発表できる報告書にまとめた。今回は、限られた時間であったので、まだまだ不十分な情報しか得られなかったが、このプロセスを繰り返すことで、少しずつではあるが、餌付けザルの実態が見えてくるのではないだろうか、と思う。
 自然環境を考えるためのプロセスは、フィールドワークそのものに凝縮されている。まず、五感の全てを使って、生の対象に触れる。そして、フィールドにおける漠然とした事実から、データを集め情報化する。もちろん、情報は生の対象の一面しか表していないので、真実に近づくために、この情報化を何度も繰り返す。最後に、得られた情報を処理することで、自然環境というものは、少しずつ理解されていく。この時、つまり自然環境を理解していく中で、新しいものを発見した時の喜びこそがフィールドワークの醍醐味であり、今回の実習で最も有意義だったのが、このことを実感できたことであった。今後、自分が研究をしていく上で、今回の経験は大きな礎になっていくと思う。
 次に文化についてであるが、文化というものは、自然環境と人との関わりの中で生まれてくるのであるから、自然環境を考えていく過程で避けては通れないテーマである。さらに、生物を知的関心に基づいて、研究していこうとしている自分にとっては、今後の自分の研究の社会的意義にも関わる。今回の講座では、連夜の講師や受講生の皆さんとの討論を通して、持続的に継承されていく文化というものを、如何にして構築していくか?また、外の人間だからこそ、文化を再発見できるのではないか?など、今後自分なりに文化というテーマを深めていく上で、重要なヒントをたくさん得ることができた。また、自分がまだまだ勉強不足であることも痛感した。これらのヒントは、島と直接関わった経験を持った講師の方々の人生観に触れることでこそ得られたものであった。
 以上が、今回の屋久島フィールドワーク講座で受けた刺激の中で、今最も胸に響いている経験である(うまく、文章という形には出来ていないと思いますが)。他にも、貴重な経験をたくさんしたのであるが、それは自分の心の底にそっと残しておくということで・・・まぁ、今後人生の節目節目で屋久島フィールドワーク講座に参加したことは、思い起こされることであろう。今回の経験を無駄にしないためにも、今回受けた刺激を広大で自由な学問の世界で、何らかの形にしていくのが私の今後の課題である。
最後になりましたが、杉浦先生、田中先生を始め、お世話になった講師の方々、上屋久町役場の皆さん、チューターの小島さん、そして受講生の皆さんのおかげで、気持ちのいい一週間を送ることが出来ました。本当にありがとうございました。

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仲泊良浩

 去年、大学の先輩から「屋久島に行くと価値観が変わる。人生で一回は行くべきだ」と、話しを聞かされたときからときから、今年、屋久島に行こうとは思っていました。そして今年の六月に、学校の掲示板でこの講座を知り、一人で屋久島に行くより、いろんな大学の人と共同で調査を行ったり、意見を述べ合うほうが自分にとっても有益だろうと思い、申し込んだ。
私たちの班は、屋久猿の餌付けの実態として、猿にみかんを見せたときの反応、観光客が路上にいる猿を見てどのような行動をとるか調査しました。実際に調査をはじめて、私達が調査した猿の群れがみかんを見せると大多数が寄ってきたこと、観光客が実際に餌を猿に与えている光景を目の当たりにして複雑な気持ちになった。人と野生動物との間の距離がはかれなくなり、車内からバックを奪う猿も目撃した。いままで「動物に餌を与えないでください」という看板を幾度と無く見てきたが、禁止されている理由を深く考えたことはなかったと思う。餌を与えることを今からやめたとしても、屋久猿が野生にかえるのは時間がかかるだろう。屋久島だけでなく、全国で猿害の問題を抱えている地域が如何にして共存していくのか、がこれからの課題になると思う。自分もこれから考えていきたい。
 最後に、屋久島に行って何か変わったか、と聞かれると、自分は特に何も変わっていないと答える。現在大学に戻って、行く前となんら変わりのない日常を過ごしている。でも、たまに上を見上げると、あの空一面に星が散りばめられた屋久島の夜空を思い出す。いつかまた、一人で地面に寝転がりながらあの星を見たい。

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西森明菜

 フィールドワーク講座に参加して、島に居ながらも知らない事がたくさんあり、貴重な体験ができ良かったと思います。
 私がサル班を選んだ理由は、よく見る動物であり「エサをあげてはダメ」という看板があるのにエサをあげる人が居るのか、それがどんな人達なのかが気になったからです。
 実習においては、サルの群れの見分けなど毎日していくにつれ、どんなサルが居るのか分かってきて楽しかったです。そして、自分が気になっていたエサをあげる人が居るかも調べることができ良かったです。想像していたよりもエサをあげるという事はとても少なくてびっくりしました。けれど、それはそれで良い事だと思いました。そして観光客がサルに対しての対処法が分からないという事でどうしたら良いか、屋久高の環境コースという科で取り組んでみたいと思いました。
 他の班の発表もとても充実していて島の事を見直すことができました。短い1週間だったけど良い思い出になりました。ありがとうございました。

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松尾 萌

 屋久島に行ってみたい、そしてそこでフィールドワークができるのならば、これ以上良い事はないのではないだろうか。実際に行って帰ってきた今もその気持ちは変わらない。おそらくただ観光として屋久島に訪れたのならば、これほどまでに印象深く屋久島を思い出しはしないだろう。せいぜいまた一つ美しい自然を見た程度の気持ちだったのではないかと思う。
 私が今回このフィールドワークに応募したのには2つの理由がある。まず、第一に少しでも人間に近い動物を自然の中で研究者の視点から観察したかったという事、そして第二には、フィールドワーカーという者がどのような仕事をしていて自分にもできるものなのだろうかという事を知りたかったからである。こう書くと、やる気満々で屋久島に上陸したような感じがするが、実際の所私はフィールドワークが始まる前、不安でいっぱいだった。九州まで行くのも、一人でこんなに遠い所に行くのも初めてだったので、果たして屋久島まで行けるのだろうかという事がまず心配だったし、行ったところでフィールドワークの足手まといになりはしまいかとも心配していた。そんな不安が吹き飛んだのは偏にフィールドワークがきつかったからだろう。朝は6時過ぎには起きて、一日中安房林道沿いに猿を探し、観察を終えて帰ってくると程なくして夕食、連続して活動記録・お話・ミーティングが行われ余計な事を考えている時間はあまりなかった。でも、普段そういう事をしていない分、100%フィールドワークにどっぷり浸かった生活はとても楽しかった。そして、必要最低限しかものの無い所の方が逆にそういう事に専念できるものなのかなとも思った。
 私がこのフィールドワークに参加して最も勉強になった事は「結果から導き出せる事だけ発表できる」という事だった。私は今まで大学の実習でも、得られた結果からかなり飛躍した考察を行っていた。よく考えてみれば、その時行った実験・観察ではそのような考察を導き出せる事を何一つしていないのだから、結果の根拠になり得らない。データ整理の時、「君が今言った事はこの観察からは言えない事だよ。また別の観察をしないと。」と先生に言われ、目から鱗が落ちた様な気持ちだった。動物を見ていると、つい感情移入してしまい人間の行動や心理に重ねて考えたくなってしまうが、常識的に考えてみれば、ネズミもサルもヒトとは違う生き物、そう易々と置換しあえる法則や習性を有している訳ではない。十分に吟味する前に一般化して早合点してしまうのは、とんでもない勘違いだった。
 フィールドワークの中でも純粋におもしろかったのは、餌付いていない(?)サルを見ようという事で、先生が連れて行って下さった西部林道での観察だった。午後には発表が控えているにも関わらず、データ整理は不十分(考察は皆無に等しい)というかなり危なっかしい状況であったが、明けの明星輝く4時半に起きて日の昇るのに合わせ森に分け入った。観察できたのはほとんど子ザルで、しかもちょっと餌付いてる?と思わせる怪しげな行動を見せていて、木の根にしがみついたり斜面からずり落ちたりしつつ彼らを追ったが、素人の人間にはちょっと険しすぎる領域に移動して行ってしまったので、彼らとはそこでサヨナラとなり、実質上サルの観察もそこでおしまいとなってしまった。その後先生について西部林道内を歩きまわったが見るもの全てがとても新鮮で純粋に楽しかった。他にも先生方はいろいろ楽しい所に連れて行って下さり、勉強目的で来たもののちょっこり観光もしてしまいとても良い気持ちだった。そして、私は同じ班に地元の高校生のあきちゃんが一緒だったのも色んな話が聞けて凄く良かったと思っている。彼女から聞いた話から屋久島がどんな所かというヴィジョンが描きやすくなり、自分の持っていた一種色眼鏡をかけた屋久島への見方が変わったようにおもえる。
 書くと幾らでも長くなりそうだが、実習内容のみならず、フィールドワークでは他の班のテーマについても色々考えさせられたし、なんだかとても奇妙な宿舎?での共同生活それ自体もおもしろかった。自分の中で何か変化があった事を感じながらそれを何かとうまく言語化する事はできないが、私は屋久島にフィールドワークを目的として行くことができて本当に良かったと思っている。こういう形の事をこれからいっぱいしていきたいと思う大きなきっかけとなったとも言えるだろう。素敵な機会を与えてくださり、どうもありがとうございました。

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このページの問い合わせ先:京都大学野生動物研究センター 杉浦秀樹