京都大学野生動物研究センター屋久島フィールドワーク講座 > 第6回・2004年の活動−博物館班−報告書 最終更新日:2004年12月20日

第6回・2004年の活動

人と自然班の活動

目覚めよ島びと!眠っていたら島は沈む―今屋久島で観光を考える

人と自然班
参加者:浅尾真利子・大久保実香・夫馬和寛・吉川温子
講師:安渓貴子・安渓遊地・上勢頭芳徳
ボランティア:小島佳奈
協力:木原幸治・黒田末寿

T はじめに

A 目的

 今回の人と自然のかかわり班は、宮之浦川上流域にある屋久島総合自然公園(図1。以下、自然公園)の活用方法を提案することを目的として調査を行った。

図1 屋久島総合自然公園の位置

B 経緯

 屋久島総合自然公園は、上屋久町林地活用計画の一環として、宮之浦川上流地域に対する施策として組み込まれていた。上屋久町林地活用計画とは、ふるさと創生対象事業として、平成元年度及び平成2年度の2ヶ年にわたり、上屋久町が上屋久町林地活用対策専門委員会に計画策定を委託したもので 、「森・水・人のふれあいを基調とした森林文化の創造」をキーワードにして、長い目で見た、保全しながらの森林の利用、活用を提案している。林地活用計画の報告書の中で宮之浦川上流域は、自然とのかかわりを重視した、以下のように様々な施設を組み込んだ総合的な利用が提案されている 。

 宮之浦川上流域の国有林24・25・26・27林班は、宮之浦市街地から約3qから7qほどの上流の標高100mから400mにわたる地域にあって、上屋久営林署の屋久杉生産基地として昭和30年代前半までは集落が形成されていた。
 現在は、樹齢が30年から40年生の杉人工林帯と照葉樹林帯が混在しており、渓谷をふくむ景観は、島内でも有数の景勝地であり、本町がめざす滞在型の観光基地や青少年の研修地、山菜や薬草の栽培などにはよい自然条件が整っている。
 この地区約200haの平坦なひろがりに、渓流や森林などの豊かな自然景観をいかした屋久島の固有植物(ヤクシマシャクナゲ、ヤクタネゴヨウマツ、サツキ、野草など)が鑑賞できる屋久島総合自然公園「緑の図書館(仮称)」、長期間に宿泊できるログキャビンやペンション村、屋久杉とのかかわりを大切にする展示、研修などの機能をもった、屋久杉工芸村、林地の生産性向上を追及するパイロット事業として、山菜、薬草の森などの整備をはかる。また、このひろがりに密生する樹林30年から50年生の人工杉林は、100年から300年サイクルのモデル鑑賞林として造成をはかる。
 市街地と本地域をむすぶアクセス交通の整備については、地域の自然景観にうまく適合した並木(樹齢30年生〜50年生の杉民有林を約2.6qにわたり、道路帯をふくめて幅約50mで保護樹帯として確保する。)の用地確保など、道路そのものが観光資源となるような長期的展望にたった整備をはかる。またこの地域内のアクセス交通は、残存する森林軌道後を有効活用する方策として森林鉄道や遊歩道の整備をはかるとともに、小杉谷・縄文杉・奥岳ルートなど、屋久島の原生自然を代表する屋久杉探勝の前線基地としての機能をはたせるよう整備をはかる。

 この他にも、公園内に湧く冷泉を利用し、かつてそこにあった湯治場を復活させるという目的や、固有植物を実生から育成・販売することで盗伐を防ごうという目的もあった 。現在は植物園、野外ステージ、休憩舎、川沿い遊歩道の整備がされ、植物園はヤクシマシャクナゲが販売段階に至ったことから、2004年8月1日から300円(小・中・高生100円)の料金設定でオープンした段階である。しかし、現段階では利用者が多いとは言えず、今後どのような活用をしていけばよいかが課題となっている。

C 方法・調査期間

 今回の調査目的は自然公園の活用方法を考えることであるが、屋久島全体を考えた活用ができるよう、自然公園があった場所の歴史や他の場所・地域での取り組みなど、様々な視点から調査を行った。
 方法は、表1にあるとおり、まず聞き取り調査と施設見学を行い、その中で聞いたこと、見たこと、感じたことを「屋久のお宝カード」に記録していった。それをKJ法によってまとめ、構造把握を行った。
 KJ法とは、野外科学者・川喜田二郎氏が開発した問題解決のための手法であり、多様な情報をまとめあげる場合に、ひとつひとつの情報のもつ「志」を重視して共通点をさぐりあてることでしだいに情報の組み合わせての数を減らし、構造把握をしていく方法である。今回はその方法を用いて、現状把握、本質追求(問題点の把握)、構想計画〜具体策の一部までを行った。以下の章では、各段階について報告を行う。

(浅尾真利子)

図2 「屋久のお宝カード」の例 図3 屋久島総合自然公園の現状


表1 人と自然班の日程表

午前   午後
2004/8/16    /   / 木原幸治さんを交えて議論
2004/8/17    宮之浦・上屋久町歴史民俗資料館見学、塚田英和さんのお話   中間・フルーツガーデン見学、 岩川文寛さんのお話、西部林道見学 木原幸治さんを交えて議論
2004/8/18 宮之浦・永野憲一さんのお話 宮之浦・総合自然公園見学と宿泊 木原幸治さんを交えて議論
2004/8/19 / 笠井林さん、営林署跡地探索 木原幸治さんを交えて議論
2004/8/20 資料整理 永田・柴鐵生さんのお話 木原幸治さんを交えて議論
2004/8/21 資料整理 宮之浦・公開講座、上勢頭芳徳さん・中島繁安さん・山本秀雄さんのお話

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U 現状把握

A 屋久島総合自然公園の課題

 屋久島総合自然公園は広大な土地に芝生を植え、石造りの道を設けるなど、ゴルフ場を思わせるような所で、とてもきれいに整備されている。しかし訪れる人が少なく、施設自体に魅力が少ないように思われる。その理由を挙げると次のようなものが考えられる。

1.屋外展示
 展示物であるヤクタネゴヨウやガジュマルが、わざとらしくポツポツとあるだけで屋久島の植生の特徴や自然の面白さを感じられるものとはなっていない。また鹿よけのフェンスが目に付き囲まれた空間でしか動植物が見られないという圧迫感を覚えてしまう。
2.展示室
 屋久島固有種や珍しい植物を小さな植木鉢で展示しているのだが、ただ平面に並べているだけで種の分類や鉢の高さを変えるなどの見せる工夫を感じることができず、分かりづらく楽しみにくいものになっている。借入金の返済の財源に充てようとしているヤクシマシャクナゲの鉢の売値3500円は、花が咲くまで12年という育てる手間と年月を思うと、安すぎる値段設定のように思われる。
3.温泉施設
 温泉はこの公園を作るための本来の目的で、地域の方々との約束でもあるのだが、源泉の湯量が少ない、石鹸かすなどを流す排水設備をどうすべきかなど検討課題が山積で、建設が進んでいない。(現在は2基の給湯タンクがあり、上屋久町の人なら無料で温泉水を持ち帰ることができるようになっている。)
 町としては地域の人が集い、島の自然を再認識してもらう施設を目指しているそうだが、広い駐車場、2車線の道路を整備したところから見ると観光客誘致の目的なしには考えられない。このような自然環境を売りにした施設の開発は屋久島全体で進んでおり、自然公園だけの問題ではない。第3次産業中心となった今日、観光業全般について考える必要があるのではないだろうか。

B 観光が抱える問題

1. 原生林の世界遺産登録
 長寿の屋久杉やガジュマルの迫力。着生植物、苔シダが見せる神秘的な世界。雨量が多く、花崗岩の痩せた土地という苛酷な環境の中で樹々がどっしりと根を降ろし、動物たちが生きる。その力強く優しい命に触れることができれば、島を訪れた人は、ここには山の神様が本当におられて全ての生命を守って下さっているようだと心の奥から感じられるのではないだろうか。屋久島は1994年、縄文杉を含む原生林が世界遺産登録された。島はこの素晴らしい自然を資源にした産業の開拓を進めている。公害や天然資源の枯渇が叫ばれる中、自然愛護の精神が強くなってきたことで屋久島の貴重な自然に夢を馳せ、訪れる観光客が増えている。

2.失われつつある島の文化
 観光客の増加は島に大型企業、総合病院など資本の参入をもたらして生活が豊かになった反面、森林を破壊し、島民から文化を忘れさせようとしている。屋久島には昔から山岳信仰があり、山の神様に里の豊穣や家内安全を祈願することで、奥岳の木々を守ってきた。具体的に示すと、宮之浦の住人は宮之浦岳にはやたらに登らない。山に入るときには"ごめんなさい"と挨拶をする。岳参りと呼ばれる参詣登山の時に部落の代表が奥岳からヤクシマシャクナゲの枝を採ってきて各家庭に配る。などがある。そして子供たちは山や川に出かけ、シイの実を採ったりウナギ釣りをしたり自然が遊びを育てていた。
ツアーなどで大勢の観光客が島の固有の文化も知らずに山に登り、貴重な植物を乱獲したことも固有種が絶滅危惧種となり島民であってもシャクナゲの採取ができなくなるという文化の継承を難しくする原因の一つとなっている。
 平地の都市化により川から生き物が姿を消し、メディアの発達で都会の生活が紹介されることで今の子供たちは都会の子と同じように遊びといえばTVゲームで、自然に目を向けることが少なくなった。元営林所の機関士だった笠井さんがガラッパ(河童)や火の玉の話を表情豊かに語って下さった最後に"……今はもうガラッパはいない"とおっしゃっていたのが印象的だった。


図4 もと機関士の笠井林さんのお話をきいて

3.エコツアーの謎
 自然を楽しむためのものであるはずのエコツアーにも問題があるように思われる。ツアーガイドは稼ぐだけ稼いで帰ってしまうというお金目的だけの人が多く、屋久島のことを考えて活動している人は少ないそうだ。ガイドは島の文化や自然保護のことを考えないで住民でさえ使わない登山道を案内し、その道の土を踏み固めてしまっている。本当に自然を愛するものならば島の約束を守り、観光客に自然の尊さや保護の難しさを問うのではないだろうか。

図5 現状はどうなっているのか

C まとめ

 屋久島総合公園は理想と現実が噛み合っていないのではないだろうか。自然と人とのふれあいをテーマにしながら森の開発をし、自然を人工的に作り変えてしまっているため、園内の展示物は、どこか近づきがたいものになっている。地域の人に愛される施設になるには、まだ改善できる余地があるように思われる。
 原生林の世界遺産登録は、島の知名度を上げ、新たな産業を生んだが、島の文化と自然を切り離してしまった。観光客誘致を考えると自然保護と開発とのバランスが取りにくく、島が今後どうなっていきたいかが、見えてこない現状がある。
 以上の記述は、KJ法による図解(文末の資料)の文章化である。ここでは、図5として、そのあらましを示した索引図を掲げておく。

(吉川温子)

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V 島びとが眠っていたら島は沈む――観光の島屋久島の問題点

A 沈みかけている島――自然・文化・観光

 鮮烈な魅力を持つ自然。世界遺産登録が行われてからというもの、これを利用した観光が屋久島では非常に盛んである。しかしながら、この観光が、屋久島の自然、さらにはそれと切っても切り離せない関係にある屋久島の文化を破壊してきている。自然、文化が破壊されてしまった屋久島には、『売り』とするものがなくなってしまい、その結果観光までも崩壊、すると、観光に頼ってしまっている屋久島の産業までもが崩壊してしまう。このような構図に気付いた時、今のままでは屋久島は沈んでしまう、そう言っても過言ではないように感じられた。

B 島を沈ませてしまう問題の本質は?

1.観光のかかえる問題点
 観光のかかえる問題点は、観光客側の問題点と受け入れ側としての島側の問題点の両面から考えられる。
まず、観光客側の問題点としては、過剰な数の観光客と、その一人ひとりの意識の低さだ。今や屋久島に来る観光客は1年に25万人とも言われている。観光客が屋久島の自然に与えるインパクトは、決して無視できない。多くの登山者に周囲を踏まれ土壌が流出し根が露出、展望デッキを設けるしかなくなってしまった縄文杉がそのいい例だ。また、屋久島には山岳信仰があり、奥岳には地元の人も滅多に立ち入らないのだが、そのことを何も知らないまま、祈りもせずに山に登り帰っていく人が大半だ。にも関わらず、一体旅行者のどれ程が自分たちの負っている責任を自覚しているだろうか。『エコツアー』の名称ばかりが先行しているが、ただ縄文杉を見に行くだけだとしたら、そのどこがエコと呼べるのだろう。ただ自分自身が満足しているだけならば、そんなものはエコツアーではなくてエゴツアーだ。
 しかし、観光客側の問題点は、同時に受け入れ側としての島側の問題点として考えなくてはいけない。受け入れ側の意識が変わることなく観光客の意識が変わることは難しい。世界遺産登録がされて以来、島には第三次産業従事者、いわば観光業で生活を立てる人が増加した。観光客の山などへの立ち入りは無制限で、観光目的(営利目的でもある)で節度無く自然が利用されている。また、島の伝統的文化は、一部で大切に守っていこうという働きかけはあるものの、島民の中でさえ忘れ去られつつあり、ましてや観光客に理解してもらおうとする姿勢は無いに等しい。悲しいながら、観光に依存してしまっている、観光客にこびてしまっている、そんな島の現状が見える。

2.観光だけでなく……
 問題は観光問題だけにとどまらない。島の人が外部から押し寄せて来る荒波に翻弄され、なすがままになってしまっている現状は、様々な面で見られる。島を金儲けの使い捨て材料としか見ない観光業者の流入と島の自然と文化の破壊。観光客の増加に伴う消費の増大で可能となった大規模店の流入と、それによる昔ながらの商店の圧迫。島びとの理想に対する県、国の方式の押し付け。そんな荒波だけではない。気付かれぬままに押し寄せ、島の生活をがらりと変えようとしている波もある。それは、いわゆる「科学技術信仰」がもたらした島びとの価値観の変化だ。ゆったりとした時間の中で、自然と共に歩んでゆくような暮らしから、便利・快適を求める「都会的」な暮らしへ。島の暮らしは着実に変化してきている。どちらの暮らしが島の人びとの望みなのか。それはもちろん、私たちに決めることなどできない。しかし、外部からの荒波に島が沈みかけていることに島の人びとが気付いていない点、もしくは気付いていたとしても積極的な働きかけとなって表れてきていない点は、問題だと言えるのではないだろうか。外部の力に依存せずに何かをおこすパワーが島には足りていない。例えば、若者がどんどん外へ出て島は過疎化しているが、若者の多くは職さえあれば島へ戻ってくるという。だが、よく考えてみると、職が無いとしても自ら起業するくらいのパワーがあればなんら問題は無いのではないだろうか。事実、島では時代の流れに上手にのった仕事も生まれ、成功している例もあるのだから。島の人が島ならではのよさと、そのよさがさらされている危機に本当に気付いていない今の状態は、島びとが眠っているようなものだ。
 以上の内容のKJ法による図解は文末に資料として掲げる。ここでは、その索引図を図6として掲げた。

(大久保実香)


図6 結局なにが問題なのか

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W 目覚めよ島びと!つくろう新しい島を

 A 構想計画

 この章では前の章で述べた本質追求によって把握した現在の屋久島のかかえる問題点をどのように解決していくか、その構想を具体的に考えてみた。図7にその概略を示す。

図7 それではどうすればいいのいか

1. 島びとの意識改革の必要性
 前章で述べられた現在島にある問題を解決していくには何よりもまず島の人々が意識を変えていく必要があるのではないだろうか。もちろん島の自然や文化が危機に瀕していることを認識することは重要である。しかし、それだけでなく島の良さを島びと自身が再認識することも大切であると考える。島の良さとは何だろう。もちろん豊かな自然はそうだろう。さらにその自然を敬い、恐れを持って接してきた伝統文化が屋久島にはある。それにもっと目を向けるべきである。そのことによって島を守っていこうという意識がより強いものになるのではないだろうか。
 
2. 観光依存症から脱却し観光のあり方を変える
 前章で述べられているように屋久島に大きな変化をもたらしたものは観光である。一つの側面は観光による屋久島の自然・文化の破壊。もう一つの側面は観光依存症である。このふたつの側面は複雑に絡み合っている。まず観光で儲けようと外部から企業がやってくる。そしてその観光に携わって暮らしを立てる島びとが増えていく。皮肉にも島びと自身が自然・文化の破壊に加担してしまっているのである。この構造を打破するには両方の側面を解決せねばならない。まず自然・文化を破壊してしまう観光のあり方の再考である。そこで私たちは文化による観光の制御を提案する。先にも述べたように屋久島には元来自然を敬い、恐れてきた伝統文化がある。それを観光に取り入れるのである。例えば神々の領域である山の利用に節度を持たせるといったことや、エコツーリズムを再検討し自然・文化を壊さない永続性のある観光を模索するなどである。もう一つは観光依存症からの脱却である。その方法として私たちは地域の特性を生かした観光以外の産業を新たに興すことを提案する。具体的には漁業を再考し、第1、1.5次産業を見直すことや、自分たちで新たに仕事をつくること、つまり起業である。起業によって魅力のある仕事ができれば島の若者を引き止めることも可能であろう。
 
3. 地域から島の未来像についての共通のイメージを発信
 そして未来に向けて島はどうあるべきか。屋久島発で何か全国に発信できないだろうか。私たちはそう考えた。屋久島発の町づくり、例えば高齢者・ハンディのある人に配慮した町のモデルになれないだろうか。しかし、これはバリアフリー施設の充実だけを謳ったものではない。手を貸すことによるバリアフリー、つまり心そのもののバリアフリー化である。これはほんの一例に過ぎない。環境教育の発信基地でもいいのである。何かを世間に訴えられる島、そういう島に屋久島はなれる。


B 屋久島総合自然公園の活性化へむけた具体策

 上述のように、屋久島の未来を作っていくためにこの屋久島総合自然公園を利用できないだろうかと私たちは考えた。ここに主な具体例を選んでおくが、議論の過程で生まれた提案のすべてを、末尾に資料として添付しておく。これらを民主的手法で評価し、具体的にどれを選択し、今後の様々なプロジェクトのスケジュールに乗せていくかは、島びと自身がとりくむべき課題である。われわれは、多くの地元の方々の長期間の準備とご協力があったとはいえ、わずか1週間の滞在の見聞に基づいてそのための材料の提供を試みた。
 ・年配の方が島の子どもたちに島の伝統を伝えていく場として(じいちゃん、ばあちゃんの活躍の場)。
 ・観光協力費(入島税・入山税)で公園を運営する。
 ・自然は素晴らしいだけでなく、壊されている現状を伝える場として。生々しいことも隠さない。
 ・ゴミの分別を紹介。廃油石けんを作って見せる。
 ・島のものを島のひとが買える場所として。
 ・昔の民家を再現する。
 ・壊される民家を移築、風呂を五右衛門風呂にして温泉利用。宿泊も。
 ・観光客に「観光学習・環境学習」をしてもらう場として。
 ・エコツアーガイド育成の場。

(夫馬和寛)

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X おわりに

 以上、KJ法により、現状把握、問題把握、具体策構想を行い、最後に様々な提案を行った。今回の調査によって私たちがたどり着いた結論は、「もっと屋久島の人々に、声をだしてもらいたい」というものだった。この結論は、大きく分けて二つの意味を含んでいる。
 まず一つ目は、自然のすばらしさだけではなく、その自然とかかわってきた、島の生活や文化というものを、もっと周りに知らせてほしい、ということだ。
 屋久島に来て海や山や植物を見ていると、普段は気づかないような自然界のパワーに気づかされる。もちろん、原生林の迫力によって気づかされる部分もあるが、屋久島に来ると、何気ない自然にも目を配れるようになる。そういった自然の多くは、誰の解説も必要とせず、肌で感じることができるものである。
 しかし、その自然を形作ってきた、あるいは守ってきた人々の暮らしは、教えてもらうことなしにはなかなか感じ取ることができない。今回の調査では、様々な方のお話を聞く中で、その生活がいかに自然と結びついてきたのか、人と自然とのかかわりの豊かさ、厳しさ、そして楽しさを感じることができた。このような体験があってこそ、初めて屋久島の人々の歴史を知ることができるのであり、屋久島を訪れた人々が、彼らの自然とのかかわり方に思いをはせることができるようになるのではないかと考える。
 もう一つの意味は、屋久島がどのような島になっていきたいのか、また、どのような島にはなってほしくないのか、ということについての考えを、もっと地元の人たちが積極的に発信してほしい、ということである。
 世界遺産登録の後、飛行機やフェリーの拡充も相まって、観光が屋久島に与える影響が大きなものとなっている。観光によって潤う産業が出る一方で、生活の基盤である屋久島の自然や文化に少なからぬ影響が及ぼされている。もちろん、悪い影響ばかりであるとは言えないが、守るべきものが壊されてしまっているという面は重視しなければならないのではないだろうか。観光や環境という言葉をキーワードにして島外からの注目が集まっている現状では、島の人々が主体的に何らかの行動をおこし、意見を発信していかなければ、地元重視の変化を起こすのは難しいのではないか、というのが私たちの持った感想だった。
 もちろん、外から来る人々が変わらなければならない部分は大きい。しかしそのためには、島の人々がもっともっと声を大にして、外からの人々に知らせていくということが重要になるのではないかということを、今回の私たちの調査の結論としたい。
 1週間という時間の中で、限りはあるけれども私たちなりに感じたことを率直にまとめてみたのが今回のこのレポートです。この中から、少しでも屋久島の将来に役立つことがあれば、と一同願っております。
 最後になりましたが、お忙しい中、私たちのために時間を割いてお話をしてくださった、岩川文寛さん、上勢頭芳徳さん、笠井林さん、木原幸治さん、柴鐵生さん、塚田英和さん、中島繁安さん、永野憲一さん、そして山本秀雄さんには、人と自然のかかわりコースのメンバー一同、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。

(浅尾真利子)

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資料

屋久島総合自然公園の活性化へむけて――具体策の提言

2004年8月22日

屋久島フィールドワーク講座人と自然班参加者

第一部 島全体への具体的提案

◎観光客優先でなく島びと優先で考えよう
島の人にいいことは観光客にもいいはずだ
(竹富島の経験。上頭勢芳徳さんのことばから)
ふたたびトビウオがたくさんやってくる海をめざす(飛魚招きの祭の復活)。
◎屋久島を愛する人のためのネットワークづくり
お金をはらわなくても会員になれるネットワーク。
インターネット上に「屋久島ファンクラブ(仮称)」をつくる。
こんなことで困っていますという情報も発信していく。
◎地元の人の,地元の人による,地元の人のための
気づかれていない島の人の島を守る努力が見える形に。
祭での習慣は法律よりも優先されるべきである(岳まいりのシャクナゲ採りなど)。
国や県の行政のシステムも地元の声が反映されるようになるべき。
新しい時代にあった屋久島憲章を地元が制定する(高校生の力も借りて)。
◎島びとも島を知ろう
日常の公民館活動を充実させて受け身からの脱却をはかる。
小中学生・高校生とともに島のお宝探しをする。
集落マップを作り,お年寄りと歩く。
◎もうひとつの未来のために
島の未来を考える会
環境にやさしい道路工法(のり面の工法やガードレール)を見るツアー
「島にこんなものは要りません」と日常的にいえる条件づくり。

第二部 総合自然公園のリニューアルにむけた提案

◎民家野外博物館構想
古い民家の移築。
歴史民俗資料館の拡充。
林業遺産の保存と展示。
官舎払い下げ移築家屋。
営林署の事業所跡を公開可能な形にする。
移築家屋を維持・案内する組織をつくる。
集落ごとの違い・よさを発見できる場。
地元の人が昔を思い出して泊まれる施設に。
古い民家で当時の生活を実体験。
◎食文化を味わい屋久島
木の実,葉っぱ,虫,フルーツ・・・触れて楽しめる場。暮らしが自然とつながっていることを体験する。
森の食文化,川の食文化の再発見の場。
食べられる木の実やキノコや山菜などで山の幸料理教室。
売店を作り特産物を売る。
レストランは当面作らない。
自動販売機はおかない。
屋久島型弁当箱の開発(デポジット制など)と普及の場。
◎屋久島の現在と未来の世代のために
川ガキ(=川遊びをする子ども達)復活の場。
島の行事の会場として。または新しい行事を作り,実施する。
絵や歌,俳句,書などの市民サークルの場と展示。お年寄りもキラキラ活躍。
アートの展覧会,講演会の場に。
イベントは「OO講座」ばかりではなく,「川に出かけよう!」とか。子どもも大人も喜ぶように。
生涯学習の場として活用。
昔の遊びが体験できる場に(木の実とりなど)。
「山の学校」(兵頭さん主催)は,何度も参加してくれる子どもがいるらしい。需要があるのでは。
くり船で川を下る(人数制限あり)。
川に魚を戻す会を開く。
植物探し遊びができるコースを開く。
石垣島では3つの光を見る「エコツアー」があった(ホタル,星,夜光虫)。それを参考にする。
ホタル・星観察会。
久保田杉など周りの自然にも触れられるように。
屋久高校の環境コースの生徒の学びの場として。
小中学校の総合学習の時間に利用。
屋久島フィールドワーク講座の学びの場。
普通の生活の中に公園がある,そんな感じ。
山ん神祭の日に奥岳に入らずにみんなが楽しめる行事をする場所として(日吉眞夫さんのアイデア)。
屋久杉以外の伝統工芸の復活と創造(織物,鍛冶屋など)。
4号台風の爪痕をどう修復するか。30年に一度はある大洪水を視野に入れた公園。
入場者数の予測が必要。
川と森のつながりを持たせる。
サクラ・ツツジ・サルスベリ・紅葉・アオモジなど花見の場にする。
お花見できるくらい見ごたえある花畑。
◎自然保護
保護の大変さを知ってもらう展示をする。
観光客の責任を知ってもらう。
観光協力費(入島税・入山税)で公園の経営をする。
島の文化,自然との関わり。なぜ今まで自然が残ってきたか伝えられる場にする。
自然破壊と闘ってきた葛藤を伝える場を作る。
自然は素晴らしいだけでなく,壊されている現状を伝える。生々しいことも隠さない。
公園の周辺や屋久島の自然・文化の現状(危機)を知ってもらえる場。
見せる排水処理=学びの場。
ゴミの分別を紹介。廃油石けんを作って見せる。
◎わかりやすい案内・説明
公園とその周りの要所要所に案内や説明板を作る。
休憩舎を利用しやすく。少なくとも利用案内をつける。
自然公園をルートに組み込んだルートマップを作る。
宣伝を効果的に!
パンフレットの改良。
展示室に工夫。固有種・分布別に分類。
並べるだけでなく,陳列に高さを付けて見やすく。
五感で楽しめる場に(ハンディのある人も楽しめるのでは)。
基礎知識がなくても楽しんで満足できるように植物の配置や説明を工夫。
入り口にあるビニールハウスはちょっと魅力的でないですね。来る人を引きつける工夫を。
ガイド(地元のお年寄りなど)で来た人もガイドする人も楽しめるように。
来場者が自ら考えながら体感できるガイドツアー。
色などを工夫した点字ブロックを付ける。
◎公園へのアクセス
スクールバスは利用できないか(行事などの時に限定利用)。
駐車スペースを地元用と観光客用に分ける。
馬搬(観光用)トロッコ復活。
人力車,自転車タクシー,ボンネットバス,電気自動車,(隣のトトロの)ネコバスなど。
◎もののやりとりを通して人が集まる場に
朝市や無人市,フリーマーケット。
物々交換の場に(蚤の市も良いのでは)。
島のものを島の人が買える場所として。
◎育成施設改造計画
今ある植物育成施設をちゃんとした第1次産業へ。
シャクナゲの花をおしゃれにして「岳参りのおみやげ」をセールスポイントに,花屋や土産物店で売る。
島に新しく生まれた子ども達のために,木を植え毎年そこで記念撮影をする。
鉢に値段を示すだけでなく,種から開花までの年月と手間を説明して買ってもらう。
シャクナゲなどの夏越しは涼しい場所で。
◎島びとの交流の場
まずは島の人が集まる場所に(話し合いの場)。
おじいちゃん,おばあちゃんを始め島の人がいきいきとできる場(語り部,昔の民家の再現,民謡)。
ボランティアを募り,住民参加型の公園にする。
お茶やベンチを配置して,おじいちゃんやおばあちゃんがほっと一息つける場所に。
屋久島に今後住みたいと考えている外の人との交流の場(嫁・ムコ探しも)。
中島繁安さんや柴鐵生さんなどなどいろんな人の話を聞ける,屋久島の自然の歴史を知れる場に。
町役場機能の一部をおく。
島の人の島への愛,結束を深める場。
◎新しいエコツアー
ガイドが集まり勉強や話し合いをする場。
登山帰りの人が立ち寄る場。
観光客に「観光学習」をしてもらう場。
観光のあり方を考える場(ガイド育成の場)。
ここによってから奥岳に登ってください(山との屋久島流のつきあい方を教えるエコツアーの出発点)。
屋久島発の島づくりの手本を外の人に教える場に。
農家体験,ホームステイ。何年かに一度来るだけでもいい。
観光客に必ず島のカミにあいさつをする習慣を紹介する。
◎信仰やカミ
山のカミ,水のカミへの信仰を取り戻せる場。
ガラッパなど神話・民話の継承。「昔はここに出た」から昔のその場所の様子と現在ある状態を知ることができる。
神々の住める場に。
カミの存在を知らせる,森の文化を感じてもらう。
周りの山々に住むカミについて知ることができるように。
文化の再認識の場,継承の場(お年寄りと子どもが一緒に遊べる)。
屋久島の新しい文化を創造する場。
◎命の洗濯の場・湯の川の復活
壊される民家を移築,風呂を五右衛門風呂にして温泉利用。宿泊も。
昔の湯治場の再現。合成洗剤は禁止。
お年寄りが集えるデイケア的湯治場に。
「湯の川温泉では,子どもも年寄りもすべての人が平等だった(中島繁安さん)」という歴史を生かす。
島の人の安らぎの場として。心と体の癒しの場。
足湯浴場を作って,子どもから年寄りまで遊べるようにする。
夏は冷泉のまま利用することも考える。
◎観光の新しいルールづくり
観光客に自然・文化の大切さをおみやげにしてもらう。
入山規制(人数制限)をつくれ!
船,フェリー,飛行機の中でもっと上手に人々を教育する(学習してもらう)。
観光業全体にエゴツアー度(もうけ主義、自分中心、あとのことは考えないなど)認定チェックをかける。
観光客のルールをつくり,それが守れない人は「来島されなくていいです」くらいの気持ちに。
◎新しい産業を興す
島の野菜を島で食べる。家で作った野菜を売りに出せるミニ市場をつくる(地産地消 )。
民宿や食堂で使う野菜は誰が作っているのでしょう。農業と観光をリンクする。
ぽんかん・たんかん以外の特産と言える農作物を作る(気候を生かして)。

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付記

「地域に役立つ」テーマ選択を決意するまでと活動のあらまし

安渓貴子・安渓遊地

迷いと決断

 私たちが人と自然班の講師をお引き受けして以来、たいてい廃村調査を含む実習をくみたててきました。これは、参加者のみなさんがひょっとしてもっておられるかしれない、次のような民俗調査のイメージを打ち砕くためでした。それは、縁側で梅こぶ茶などをすすりながら、のんびりお年寄りを話を聞き、それをまとめてレポートにする、というようなイメージです。西部林道の半山や川原の急斜面を上り下りした1回目から、2回目はアフリカ行きのために京都精華大の澤田昌人さんにお願いして休みましたが、3回目はアフリカから4人のお客さんを迎えてにぎやかに交流し、4回目は小杉谷、5回目は石塚の集落跡の研究をしました。ほぼ毎回「直接何かの役には立たない調査」の経験をしていただいてきたことになります。「役に立たない」というとけげんに思われるかも知れませんが、これは「ただちに屋久島という地域にとっての社会的な意味をもつとは限らない」、というほどの意味です。
 ところが、2004年の1月末に京都で第6回のための相談をもった時に、町の担当の木原さんから宮之浦川の上流の「総合自然公園計画」を題材に実習を組んでもらえないか、という強い希望が出されました。
 地域の声に耳を傾け、屋久島の自然の中で、どのような公園計画がありうるのかを考える。屋久島ははじめての学生たちとわずか1週間で、どこまでまとめられるでしょうか。西表島で、地域の産業を無農薬米の産直で活性化するというアイデアを出したばかりに、ボランティアの営業部長を何年もつとめることになった重い経験も頭の中を去来しました。それでも、私たちは迷い、悩んだ末に、お引き受けしてみることにしました。
 そうなると、受講生への小論文課題もいつもとはだいぶ変わって、説得力や論理性を問うものにせざるを得ません。次に示すのが、まず考えた課題です。

問A
 屋久島の北側に自然や文化についての「公園のようなもの」を新たに作ろうという構想が地元にあるとします。
 1)どのような計画の「公園のようなもの」をどこにつくるべきか、あなたが独自に設定し、100字から200字程度で、その計画の概要を分かりやすく説明してください。
 2)この計画が具体化すると環境や地域社会にどのような影響をおよぼすかを事前に評価する時に、あなたは何を重視しますか。地域の人たちがなるべく具体的にイメージできるようにわかりやすく述べてください。

 しかし、「屋久島のためにはそんな計画はいらないよ」という声も入っていた方が多様性を確保する意味では大切かもしれないと考えて、必ずしも問Aの反対ではないのですが、もう一つの課題も選べるようにしてみました。

問B
 屋久島に自然や文化についての「公園のようなもの」を新たに作ろうという構想が地元にあるとします。しかし、あなたは、屋久島においては、今後「公園のようなもの」をあらたに造る必要はない、と考えているとします。
 1)屋久島には「公園のようなもの」を始めとして、人工的な施設はこれ以上必要ない、というあなたの考えを、地元の人たちが受け入れられるように、あなたがそのように考える理由を100字から200字程度でわかりやすく説明してください。
 2)「公園のようなもの」を始めとして、人間による開発行為を止めた屋久島をイメージし、そのような決断をして××年(自由に設定してください)を経た屋久島の自然や地域社会の姿を述べてください。

 寄せられた応募書類からメンバー4人を選びました。いつもは、みずみずしい感性を最優先して選んでいるのですが、今回はそれだけでなく、実務的な能力や経験も加味して選考し、大学院生にも加わってもらうことにしました。屋久島高校からの参加者を期待しましたが、残念ながらことしは希望者がありませんでした。

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事前準備

「橋とか大型リゾートとか、そんなものは島にはいらないね」ということを言い続けて、多くの観光客を受け入れながらも観光に荒らされない町並みを保全して島を守る原動力となってきた、沖縄県竹富島の上勢頭芳徳さんに、その経験を屋久島に伝えていただきたい、とチューターをお願いすることにしました。
5月には、「総合自然公園」予定地のあたりの昔の姿をご存じの方はおられないだろうか、と木原さんにメールでお願いし、5人の話者を紹介していただきました。
同じく5月に、山口県の地元で大学生や高校生が町おこしに参加する取り組みの準備が始まり、私たちも学生や卒業生とともに参画しはじめました。山口市に隣接する徳地町で「めざせ!徳地づくり達人☆塾」という住民参加のワークショップを6月から2005年2月の間に10回もよおすことになり、フィールドワークも丸3日間実施しました。この時に学んだ「地域のお宝カードづくり」の手法を屋久島でのフィールドワークに使わせていただくことになりました。
フィールドワークでの見聞や討議の内容をきちんと説得力のあるものにまとめあげるために、本腰を入れてKJ法を使うことにしました。1970年代に移動大学運動の中で私たちが川喜田二郎先生から教わったころは、もっぱら模造紙とラベルでしたが、作業の効率化のために今回はKJ法がパソコン上でできるソフトウェアとプロジェクターも併用することにしました。あらかじめKJ法用のラベル、フェルトペンなどを屋久島に郵送し、模造紙は現地で購入しました。

本番

 一湊の青少年研修センターに全員が集う1日目。朝のうちに問題の総合運動公園の場所を見学しました。夕食のあと1時間半の初ミーティングをもちました。
OB・OGのボランティアスタッフとして、以前に人と自然班のメンバーだった小島佳奈さんが来て下さったので、ご本人の希望を聞いて昼間手すきの時には人と自然班に同行していただくことにしました。
 人間相手のフィールドワークは、サルや植物のフィールドワークとは根本的に違うところがあります。そのことを伝えるために、安渓遊地が書いた「される側の声――聞き書き調査地被害」(安渓遊地・貴子、2000『島からのことづて』葦書房)を配布して、要点を説明します。1)予約なしに当日いきなり行って話をしてくれということは相手にとって大きな迷惑。2)一言でもお話を聞いたら、お礼状を出すこと。3)写真を撮らせていただいたら、せめて1枚は、たとえどんなにピンぼけでもお送りすること。4)あとで報告書の写しをお送りすること。人と自然班では、最低この4つを厳守することを伝えました。上勢頭さんが、竹富島での目にあまる研究者・学生のふるまいの例について実感のこもる補足をしてくださいました。
 予約なしの訪問はいけない、と言った手前、全8日間のおおまかなスケジュールを考えて、参加者に配布しました。

人と自然班の活動予定

1日目。17時開校式・夕食後自己紹介と問題の探索。
2日目。終日予備的な広域調査。
3日目。聞き取り@ 現地調査・現地泊。
4日目。午前、聞き取りA 午後、聞き取りB
5日目。午前、まとめ@ 午後、追加調査。
6日目。午前、まとめA 午後、公開講座に参加。
7日目。終日まとめB 夕方、発表会・閉校式・宴。
8日目。関係者へのお礼状書き。朝食・掃除・解散。
 
 半日単位のおおざっぱなものですが、調査をしないでまとめる時間をまる2日とりました。例年、フィールドワークを詰め込みすぎて、まとめや味わいの時間が足らず消化不良になるきらいがあることへの反省もありました。ここには書いてありませんが、毎晩夕食後は3時間ほどかけてその日の見聞のまとめはするのです。なんとしても形のあるものをまとめて、地域のみなさんにお渡ししたいということで、肉体的にも精神的にもかなりの負担を強いる形になったことは、上勢頭さんの感想にある通りです。この日の夜は「屋久島入門」の講義を木原さんがパワーポイントを使ってして下さいました。これから毎晩、欠かすことなく木原さんが夜のまとめに参加して下さったのでした。
 しかし、訪問先の事前予約はなかなか困難な問題で、木原さんのご尽力にもかかわらず、前日まで具体的な訪問先が決まらないこともありました。予約はできれば直接ご挨拶した方がよいのですが、レンタカーに乗り込んで全員で移動していますので、なかなかその時間がとれず、夕食の前後と朝の出発前の時間帯に電話をかけるということが主でした。
 翌日からの活動を具体的に追っておきます。

8月17日
 午前中、宮之浦の役場前にある上屋久町歴史民俗資料館を見学。山本秀雄館長さんのご配慮で、総合運動公園計画のゆりかご時代からの経緯をご存じの塚田英和さん(町総務課)のお話をうかがい、資料をお借りしました。神々のつどう奥山にまで入らないでも人間が楽しめる場を作ろうというのがもともとの計画の出発点であったことを知りました。
 午後は、個人経営の公園として成功している屋久町中間にある熱帯果樹園「フルーツガーデン」を見学しました。年間5万人もの人を受け入れ、満足を与えるサービスとは、ということを実地に体験させてもらうことができました。植物が好きでたまらないオーナーの岩川文寛さんのお話をうかがい、研究者たちの協力で作った1000種を優にこえる植物目録をいただきました。このあと、時間がなくなってきたので、総合運動公園予定地にある温泉の活用法を考えるため尾之間温泉に入る予定を変更してそのまま西に進み、西部林道見学コースをとって島を一周して宿舎にもどりました。
 山口県徳地町でのフィールドワークにならって「屋久のお宝カード」という台紙をつくり、デジタルカメラの映像をその日のうちにプリントアウトして貼り付け、できるだけその日のうちに、おそくとも翌日までに説明をつける、という形で時間差の少ない資料作成につとめました。このための、人と自然班が専用で使えるプリンターや印刷用上質紙等はあらかじめ郵送しておきました。

8月18日
 宮之浦の永野憲一さんのお話をうかがえることになりました。総合運動公園の上流にあった営林署で長く鍛冶屋として働かれた経験を具体的に聞くことができました。
 午後は、宮之浦・総合自然公園見学と宿泊です。はじめに、牛床詣所を訪ねて、山に入る挨拶をしました。当初の計画ではキャンプでしたが、天気が荒れ模様なので、公園内の集会所を借りることにしました。奥様からの差し入れをもって木原さんも共に泊まってくださり、滋賀県立大学の黒田末寿さんも加わってくださいました。

8月19日
 午前中、営林署の機関士であった笠井林さんのお話をうかがいました。午後、当初の公園計画の全容を知るために、上流部の営林署跡地探索をしましたが、小学校の跡などを見つけ出すことはできませんでした。

8月20日
 総合自然公園の現地をみた経験を中心に、ひとり数枚の「お宝カード」を各人が選び、ききとりの結果も加えて、KJ法でまとめるための元になるラベル書きをして、現状把握の図解づくりをしました。3時に永田の柴鐵生さんが潮たきをしておられる現場にお訪ねして、お話を聞きました。最年少のメンバーの大久保実香さんは、この講座の直前の1ヶ月をウミガメ保護のボランティアとして活動していて、すでに柴さんの潮たきにも参加した経験がありました。

8月21日
 午前中は、前日の現状把握図解をもとに、問題点を指摘する本質追究のラベル出しと図解化。午後、総合運動公園で公開講座。湯本貴和さん(地球研)による植物のくらしぶりのガイドのあと、三人の講師の方のお話。上勢頭芳徳さんは、竹富島の事例報告。中島繁安さんは、湯の川(ゆのこ)に湯治場があったころのなつかしいお話。山本秀雄さんのお話は、屋久島を表す文字が実に多彩だったことのあたりで時間切れになってしまい、申し訳ないことでした。

8月22日
 問題点がわかったら、それを裏返せばそのまま構想計画になるので、ラベル出しと図解化。ひきつづき、具体策の案を多数ブレーンストーミング。さらに、パワーポイントの資料をつくって、なんとか夕方の発表会・閉校式に間に合わせることができたのでした。

 フィールドワークしながら考えてきたことを学生さんたちとともにKJ法でまとめ上げていくなかで、思いもよらない相互関係に気づくといった発見がありました。毎日、夕食後のまとめには木原幸治さんが欠かさず参加してくださり、必要に応じて発言や情報提供をするなど、私たちをさまざまな形で支えてくださいました。別の班に参加していた地元の高校生たちの遠慮がちの、しかし決然とした発言も、地の者とは何を指すのか、を考えるにあたっての重要な示唆となりました。
 フィールドワークとKJ法によるまとめの成果はたくさんの「屋久のお宝カード」と現状把握・本質追究・構想計画の3枚の図解となり、分担して文章化した報告となっています。お宝カードについては、上屋久町の環境政策課に寄贈することにしています。
 来年度以降、人と自然班のように文科系の要素を含む班を担当される方々のご参考になればとややていねいに、その裏方の状況を記してみました。
 最後に、話しあいの中で印象に残った言葉をいくつか引用して結びといたします。
「自然と文化についての知識が自分のものとなって,愛情に裏付けられて行動に表れる。」
「頭と心と体がしなやかに連携して動く。これぞ『島びと』。」
「島だからわかりやすい。自分の地元で動くための勉強をさせていただく場としての屋久島なのだ。」
「島で学んだことは世界に通用する。」

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京都大学野生動物研究センター屋久島フィールドワーク講座 > 第6回 2004年の活動−人と自然班−報告書

このページの問い合わせ先:京都大学野生動物研究センター 杉浦秀樹