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第7回・2005年の活動

人と自然班 − 感想文

感想文

石坂奈々

 木々は私達が見えない地中で、根を四方八方に広げ、隣の木とその隣の木と、手を繋ぐように肩を組むようにして支えあっている。そうして地盤は支えられ、表面が多少流れてもまた補い続けることができる。「となりで手を繋いでいた木が伐られた。光を浴びることもなく、今ではもう根っこがスカスカだ。ちょっとの力が加わったら倒れてしまいそうなほど、力が残っていないようだ。斜面の下側の隣の木が力尽きたとき、自分はここにたち続けられるのだろうか。」これは証拠や資料はなく、私が感じ取った木の状況を、多少の擬人化を加えて文章化したものである。案内してくれた方がこんなことを言っていた。「考えればわかる。人も自然も周りが倒れたら自分も倒れるしかないんだ。」私なら立っていられない。そんな状況にある木は、山々にまだたくさん存在しているのだ。
 1979年の土石流から復興した永田の集落で、当時を忘れられずに今でも山の様子を心配そうに見ている人がいる。「また山が崩れた」「(地表が流されて)見える地盤の範囲が広がった」と、そうしてあの災害を忘れられずにいる。しかし、川幅の拡大とダムの建設を経て安心している人は多いのではないだろうか。いまも崩れ続けている、危険はあり続けているということを認識している人は少ないのではないか。特に子どもたちは、あの大きな災害があったことさえ知らないのではないか。同行した高校生は、台風は普通で怖いなんて感じたことはないという。台風の日でも学校へ行き、帰りには外でジュースを飲むという。山でまたヒビが広がっているかもしれないのに。
 私たちは自分の住む町について関心を持つよりも、他の土地に関心を持つことが多い。あちこちの素晴らしい景色に感動し、さらに美しい景色を求めて旅行をしたい。私もその一人で、自分の育った町について説明できることは少ない。それがときには大きな問題に繋がる可能性がある、ということを今回の調査で感じた。しかし、全員がその土地に関心がないわけではない。その土地の人や時には外の人間が、その土地の何かに注目し、調べ、考えている。だが外の人間は、結局は第三者であるにすぎず、それらの情報を提供していることが多いのではないか。私たちはその情報を求め、時には自分自身で確かめる必要がある。そして最後には、そこに住む住民たちが動き始める必要があるのではないか。
 私たちの今回の調査もまた、外の人間が行なったに過ぎない。短い講座期間の中で、まだ得られていない情報や、調査しなければいけないことがたくさんあるはずだ。今あのときの規模の台風が来ても本当に大丈夫なのか、山は崩れないか、ダムは決壊しないか、水は家々を避けて流れてくれるのか、すぐに安全に避難することはできるのか、安全なルートと必要な持ち物の確認は・・・。子どもたちには災害についてもっともっと伝える機会を増やし、反省を活かして検討するべきことはたくさんあるように思える。今回の報告が、多くの人に伝わること、屋久島の人が気づかなかった得るべき情報の一部となることを願って、第7回フィールドワーク講座の「人と自然」班の報告とさせていただく。

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伊藤聡史

 先ず、先の土面川訴訟を調査しての感想を述べたいと思います。私は自然科学を志す者ですが、ここからは「感想」ですから少し自然科学の「主観性排除」を無視することを先に述べておきます。災害はさまざまな因子がそろって起きているものであって、その因子の中で「伐採の影響」をどれだけ見積もるかが、要するに今回の判決であり、人災か・天災かを線引きするものになると思います。土石流については、科学的実証によれば、確かにこの多雨地帯において、木の土壌保持能力は微々たるものであって、深層崩落を止めるような力はないのかもしれません。しかし、科学的根拠のほかに、考慮するものとして、「生活者の視点」というものがあると思います。その地で何年も、あるいは何世代にもわたって居を構える人々は、その地と付き合い、その地の災害をも受け入れながらその地とともに時間を蓄積しています。その時間が文化であり、その地を生きる知恵であり、気質になっていくと思います。このような人が、「不自然に」感じる感覚は、科学(あるいは化学)的指標における「不自然」よりももっと深い意味があるのではないでしょうか。土地と長い付き合いを持って営みを続けてきた人は、科学的調査が捉えきれない、様々な因子を包括した結果としての「変化」を察知できるものと思います。なぜ、15年もの長期にわたって国と争い続けたか。それは国の林業施行方針への問いかけにとどまらず、「生活者の視点」というものの発言力を法や社会体系の中に認めさせようとする動きでもあったのではないかと思いました。
 私は今回の講座を通して「自然は変わるもの」という言葉が印象的でした。本フィールドワークの初日、土面川土石流崩落地へと登る間、この言葉を聞いて以来、その方の口からは何度となくこの言葉が出てきました。そして、「もっと山を見てほしい」とも。
  フィールドワークで崩落地や山を見る中で、この言葉は私の中ではっきりと実体を持つものに変わりました。ここ屋久島では、本当に自然は変わっている。皆伐で丸裸になった森も30年で大きな森へと回復し、倒木からは新たな芽生えが起き、豪雨や台風の後の山地崩落により山の表情は変わり、川幅や流路までもが大きく変わります。それも数年単位で。私は静岡県の出身で毎日富士山を見て約20年を過ごしました。私は富士山を見るのが好きでした。でも、それは厳密には「富士山」ではなく、時々刻々と変化する傘雲や赤富士、日の出といった気象変化を見るのが好きだったということに気づきました。富士山も火山活動や崩落で、標高や地形が変わります。それは「頭では」わかりますが、その変化の期間は数百年単位であると思っているので実感としては「自然は変わらないものだ(少なくとも自分が生きている間には)」となっていたのです。打ち寄せる波も、四季折々の落葉広葉樹林も、円環時間の中で「変わらないもの」と私は認識していたので、ここ屋久島は驚きの連続だったわけです。このような感覚を持つ人は私だけではないのではないでしょうか。そうであるならば、屋久島はこれからもとてもたくましく在り続けられると思います。それは、人が山を見るから。時々刻々と変わることに気がつけば、人はそれに関心を持ちやすいと思います。屋久島は円環時間としての営みを続けていながらも、その自然の営みのスピードがとても早いのです。これから、どのような目的であるにせよ、屋久島を訪れる方は、ぜひとも屋久島の山を見てほしいと思います。

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徳田恭子

 屋久島という島で林業が行われていたことは、私は屋久島に行くまではあまり意識をしていなかった。屋久杉を伐採していたという程度の認識はあったが、保護と開発との対立があり、保護運動に心血を注がれた方がおられ、片や林業で生計を立てられていた方がいたことなど全く知らなかった。
 S50年の後半に生まれた私にとって自然保護運動というものはあまり馴染みのあるものではない。しかしながら、今回お話を聞いた方々は、まさしくそれらが対立していたときの当事者の方々であった。片や保護運動の推進者、片や林業関係者、片や林業関係者でありながら土面川の災害で被害を受けた方。片や全く関係のない地区の方々。その方々のお話が聞けたことは私にとって、昔の様子が浮かんでくる貴重な体験であった。 私は大学で森林資源学コースというコースに所属している。森林のことは一通り学んだつもりであった。しかし、授業を受けてはいてもそれは、授業の中、本の中だけの話であった。林業の最盛期も身をもって知らない。エコツアーやエコツーリズムがどういう風にして起こってきたかもよく分からない。そんな状態で、山に入って木を伐ったり、測量をしてみたり、植物の名前を覚えたり、木の組織を取ってきて培養をしてみたり、木材の強度を測ったりしてきた。それらは私にとって興味のあるのもではなかった。
 しかし、今回のFW講座は違っていた。そこで生活していた人がおり、そこで戦っていた人がおり、そこで対立していた人がいる。大きな屋久島という島の中で、生活し、一年一年を刻んできた人々がいる。林業という業界の浮沈と共に大きく変わる、時代を歴史作っていった! 人がそこにいる。私にはそう感じられた。
 今でこそ屋久島は「自然保護」という名前で知られているが、今回お話を聞いた方々が活躍なされていた頃は、「林業」の島であった。そしてそこで、時流の流れと共に「屋久島の森を守りたい」という方が表れ、土面川の土石流が起こり、運動が本格化した、一大転換期であったと思う。しかも、それが行政側のかけ声から始まったものではなく、一般の市民の声から始まり、運動の一つの結果として「瀬切川」の伐採の中止という結果を勝ち得た方々であった。この条件に私は特別な想いを持つ。「屋久島という森に動かされたんだと思うんですよ」柴鉄生さんの言葉が胸を打つ。「いろいろあったけど、良かったのかなと思うんですよ。(伐採が縮小されたのは)良い区切りだったのかなと。」日高津南男さんの言葉が思い出される。そしていくらかの清々しい表情が浮かんでくる。「わしらもいっぱい(屋久島の森で)遊んできましたからな。やっぱり森が荒れるのは気になりますわ」そこには否定の表情はない。山が荒れるのは嫌だが、生活のため、木を伐ってきたのだという誇り高い仕事人の顔があった。

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渡邉 詩音

 私はこの講座に参加するためのレポートを書いていたとき、ある方に「なぜあなたは屋久島に興味を持ったのか、屋久島の自然はどう特別なのか、東京の道端にだって自然はあるよ」と言われたことがありました。そのときには、屋久島には数少ない原生林が残されていて、自然の力の大きさに人間は圧倒されるような場所で‥というようなありふれた解答しかでてこなかったことを覚えています。とにかく今までに見たことのないような自然を見てみたかったのです。都会で育った私にとって人の手の入っていない森を見ることは憧れでした。そして実際に行ってみると、確かに屋久島に残された自然はすばらしかった。縄文杉などの名所に行くことはできなかったけれど、一歩足を踏み入れると巨木が根を張り、岩や土には苔が生え、腐った木の上に芽が出ている森を見ました。苔からは水が滴り、森全体が潤っているような感じを受けました。これは屋久島に行く前に持っていた屋久島のイメージそのものでした。しかし私はそれだけではなく、人に感動を与える自然の隣で、山から崩れてきた大きな岩が転がり、コンクリートで固められた砂防ダムが散在する土面川を見ました。その横の森に入っていくと伐採されたあとに植林された木が並んでいるところがあったり、山仕事をする際に使った道具やワイヤーの跡が残った木もありました。そこからは、自然の中に人が入っていった、木を伐ることで人の生活が営まれてきた人と自然の歴史を感じることができました。屋久島の自然はこの二つの面を合わせ持っているのです。そこから学ぶべきことは多いと私は思います。
 聞き取り調査に協力してくれた方が私たちに、「あなたたちは、山の中から見えた海を見てその海や、開けた場所が綺麗だとか、そこしか見ていない。山のことをもっと見てほしい。」と言いました。私はその言葉を聞いて、自分が目に見えて綺麗なものにしか目を向けていなかった、自分たちの生活に密着した自然をよく見ていなかったのではないかと改めて感じました。それから、植林された森を見ても、近くの公園の木を見ても前とは違った感じ方ができるようになった気がします。
 これから屋久島に興味を持った人が、すばらしい原生林を知ることだけではなく、人々の生活に密着した自然の姿にも目を向けるようになる必要があると思います。また、島の人々には木を伐ることによって営まれてきた屋久島の文化や歴史をより多くの人に伝えていってほしいと思います。

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東英果(屋久島高校生)

  1. 土面川の災害の跡地を訪問して
     今回フィールドワークに参加し,島の事をなにも知らないのだと思いました。永田で土石流があった事も知りませんでした。
     土面川の土石流の話をきいて,伐採推進派だった人も,土石流の被害にあった後,森を守ろうという側に変わったと聴き,やはり,本当に怖いことにあった人は,その後もその恐怖が起こらないように,考えを改めるのだなと思いました。逆に,土石流という恐怖が起こっても,その被害を受けていない人は,どこまでも強気になれるのだと思いました。
     今,私たち島民の知らないところで,屋久島の山は,土石流や土砂崩れが多発していると知りました。その事を知っているのは,山で生計を立てている人や,役場の人くらいだとおもいます。
     今の屋久島の十代の人は,屋久島で土石流があったことをほとんど知りません。屋久島の災害教育は無いに等しく,火災と地震を想定した避難訓練くらいです。屋久島は,民家からの火災はごくまれに有りますが,地震は滅多にありません。学校の立地条件によっては水害や土砂に対する避難訓練は,必要ないかもしれませんが,地域ではその土地に合った避難訓練をするべきではないかと思いました。
     
  2. 船行の土石流警戒看板について
     船行の西之川に立っていた「土石流危険地帯」という看板は,ただの呼びかけであって,実際には,ここ70年は,土石流が起こった事はないそうです。地元の方に聞いてみたところ,60年程前に台風で西之川の水位が増水し,付近の家が浸水したことが有るだけでした。西之川がコンクリートで綺麗にされていたのは,川が汚くなったからだそうです。昔は,蛍も居たそうです。そういう理由で,西之川の看板は必要無いのではないかと思いました。このまま看板があると,観光客に船行は,土石流が多発する場所なのだと誤解される可能性があるのではないかと思いました。
  3. その他
     屋久島の木で家を建てると補助金が出るそうです。

 以上,報告です。フィールドワークの際は,分からない事を細かく教えていただき,なんとかやっていけました。私は,人見知りする方なのですが,聞き取り等を行い,以前より成長したと思います。先生方や一緒にフィールドワークに参加した大学生の皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。

 

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講師から
黒田末壽

 この報告は、参加学生の感想から読んでいただくとわかりやすいと思う。そこでは受講生の諸君が、この講座を通して屋久島の人と自然から何を学び取り考えたかが率直に述べられている。私は、どんなにすばらしい自然であってもそこに生活している人々を忘れて自然だけを愛でることがあってはならないと考えている。自然と人間は交渉しあっているのだから、自然には人間のくらしやさまざまな葛藤が入り込んでいる。そういうことをまず認識してほしかったのだが、感想文を読むと彼らは私の期待以上のものを獲得したことが分かる。
 この講座に講師として初めて参加して、改めて驚いたことがいくつかある。
 まず、学生諸君の急速な成長ぶりである。それは彼ら自身の熱意に、屋久島の人々の島への想い、柴さん・竹村さんとの山歩き、竹村家、日高重喜家、日高津南男家のもてなし、講座の仲間との討論、そうした濃い体験が合わさった成果だろう。最初大学生の話について行けなかった東さんに用語の説明をし、励ましていた姿も印象的だった。もう一つは、屋久島の広葉樹の回復力である。やはり屋久島の自然はすごいという想いを新たにした。その一方で、人工林では30年経た箇所でも今も崩落がやまない。このことを考えれば、屋久島は林業で生きることを放棄してはならないと、部外者ながら思えてならない。放棄すればそれでお終いである。山を伐ってきた経験と知恵と反省を生かして持続的な営林法を実施してほしいと思う。学生諸君の願いもそこにある。

鈴木滋

 今年度の講師の黒田と鈴木はもともとサルの研究者で、屋久島では、ニホンザルの調査をしにくることが多かった。しかし、かねてから屋久島の災害とくに調査拠点のある永田集落で起こった土石流災害についても調査をしたいと思っており、今年度種々のいきさつが重なってようやくその機会が訪れた。2004年は、屋久島の台風災害が近年になく大きな年で、屋久島のあちこちで土砂崩れが起こり、洪水による被害も大きかった。土面川の上流域もずいぶん崩れたことは、永田の集落からも見通すことができた。土砂崩れはいまでも続いているようにみえたが、土面川の災害については、国を相手にした裁判も終わって10年以上が経ち、残すべき記憶も失われていく危惧が感じられた。そこで、この機会に屋久島の森林について、災害という視点から見直してみようと考え、人と自然班のコースとして設定することにしたのである。コースの設定については、事前の会議のおりに、地元の上屋久町役場の木原さんから、地元に密着したテーマであることから強い支持をいただいた。とはいうものの、このような屋久島のネガティブな側面を含むテーマで、多数の応募者があるのかどうかが危惧されたが、ふたを開けてみると10名以上の学生の応募があり、そのなかから4名を選抜し、さらに屋久高からも、初々しい高校生の参加を得た。彼女の地元からの目線は、学生のみならず講師にも貴重な刺激をもたらしてくれた。初日の山登りから、講座期間を終えて10月の半ばまでかかったレポート作成にいたる道のりは決して容易なものではなかったと思うが、かれらの得たものは、この報告書にあるとおりである。報告書の内容は、学生による文章であり、講師からは内容にはほとんど手を入れていない。
 今回のフィールドワークをとおして、講師としてもさまざまな収穫があった。なかでも、屋久島の地元の人たちと森林伐採とのかかわりは複雑で、森林公社をつくって国有林の共用林部分の伐採を進めたプロセスについては、今後さらに調査が必要であることを実感した。共用林は、たしかに、国有林ではあるが、その伐採の施業には地元の意志が介在しており、地元の被災者は、単純な国の事業の被害者というわけではない。また、島外の大型資本による自然資源の持出しについても、さらにいろいろな側面から追求されるべきだろう。前述のように災害から時間が経ち、記憶の風化がすすみ、地元の高校生であってもこうした一連の経緯はほとんど知られていない。県や町に災害の資料を探しにいったとき、多くの記録が5年間しか保管されていないことに驚いた。今回の航空写真の分析であきらかなように、植林地の土砂崩れは昔の話ではなく、現在もまだ続いている。もちろん、流域の治山事業は今後も続けられることになっている。講座が終わってからの追加の聞取りでは、災害後これまでに土面川に投入された災害対策事業の規模は、のべ数百億円を超えるものだったとの話もきかれた。屋久島の伐採事業は現状では行なわれておらず、計画もないと伺ったが、今後、100年先をみすえて屋久島の森林の利用を計画するために、こうした災害や伐採で起こったことは今後も引き続き調査検討されるべきだとの意を強くした。災害に強い社会や文化を構築するには、こうした分野の研究の進展と活用が期待される(林,2005)。

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京都大学野生動物研究センター屋久島フィールドワーク講座>第7回・2005年の活動−人と自然班−感想文

このページの問い合わせ先:京都大学野生動物研究センター 杉浦秀樹