出典:岩波書店「科学」2020年6月号 Vol.90 No.6
 連載ちびっこチンパンジーから広がる世界 第222回 山梨裕美・人長果月・山本恵子『チンパンジーと映像の森』

チンパンジーと映像の森

図1: 人長果月《Actant―チンパンジーの森》(2020年,インタラクティブビデオインスタレーション)

森から離れて暮らすチンパンジーとヒトの遠い記憶に刻まれているであろう“類人猿の故郷としての森”をテーマにした作品。チンパンジーとヒトの行動によって,映像が変化する。

変化のある暮らし

野生チンパンジーを観察していると,いつもいるはずの森からふと気配がなくなるときがある。歩いても歩いても,いつもは騒がしいチンパンジーがいない。そんなとき,6kmほど離れた隣の村での目撃情報を聞くこともあった。いつもの森にやがて戻って来るのだが,ときどき遠征に出かけたくなることもあるらしい。飼育下でもチンパンジーは好奇心旺盛だが,程度の差こそあれ,限られた範囲で生活している。京都市動物園でも,屋外には樹木が茂り,タワーが立てられ,くふうはされている。しかし野生の暮らしほどには世界の変化はない。

飼育チンパンジーたちが,映像を通じて新しい世界を見ることができないだろうか。触れたり,何かを操作することでその映像を変えることができれば,通常できないようなことも疑似的に体験できるかもしれない。それが小さなスクリーンではなく,プロジェクターで投影できるような等身大の世界だったら,現実により近いものとして感じられるだろう。映像内容を自分たちで変えられるようにくふうすれば,彼らの多様な行動や能力を引き出すことができるかもしれない。正直,夢のような計画だ。本当に実現できるか半信半疑な部分もあったが,アーティスト・技術者・研究者が集まり,このプロジェクトはスタートした。2019年9月のことだ。まずプロジェクター投影した映像を試しに見せてみようということになった。使用したのは,ギニア共和国・ボッソウの野生チンパンジーが遊ぶ姿たった。すると京都市動物園のチンパンジーたちが,不思議そうに壁の映像をペタペタと触ったり眺めたりした。そのようすを見て,このプロジェクトは実現可能だと判断した。

チンパンジーのためのアート作り

2020年2月,器用で力の強い彼らが暮らす屋内展示場内にセンサーを仕込むところから始めた。公益財団法人京都高度技術研究所の吉田信明主任研究員がセンサーを選定した。赤外線センサーと加速度センサーだ。赤外線センサーは彼らが特定の場所に近づくのを検出し加速度センサーは物の動きを検出する。彼らが壊さないようにくふうして,映像を映す壁の近くに赤外線センサーを,天井からぶらさげてあるブイの中に加速度センサー設置した。それを長いケーブルでつないで,コンピューターとプロジェクターがある場所まで持っていく作業もなかなかむずかしい作業だった。たくさんの人々が知恵を絞ってなんとか設置が完了した。そして映像を少しずつ変えては彼らとセンサーの反応を確認し,さらに映像を作り変えた。プロジェクターの角度も普段生活をするときの迷惑にならないように設定した。結果,両側の壁と床の合計4ヵ所に映像を投影することにした。

初めての試みだったので,チンパンジーの反応は予測不可能なものが多かった。たとえば,前年9月の試行結果から,新しい状況でもわりと早くなじんでくれると思っていたが,床の映像に触るまでには時間がかかった。一方で,映像を映す壁の方は,床から離れたかなり高い位置にあるので,天井をつたって上にアクセスしなければならない。ヒトの感覚では触りづらい場所だ。しかし彼らにとってはそちらの方が近づきやすいようだった。樹上で暮らすチンパンジーらしいと言えばそうなのだが,ひとつひとつの反応が新鮮で,改めていろいろなことを教えてもらった。

チンパンジーの「森」

最終的にできあがった作品は森を表現したものだ 。 2020年3月21日から29日のあいだ実施した。屋内外の行き来は自由だ。映像作品を見たり触れたりしたければ屋内に来てよいし,屋外がよければ来なくてもよい。また来園者側にもセンサー入りのブイを設置した。つまり人も映像に変化を与えられるようなくふうをした。人がブイを操作すると,背景がゆるやかに変化する。シーンによってはチンパンジーや果物,他の動物などが見えるようになる。暖かい陽気なので外の方がよくて,チンパンジーはまったく来てくれないかもしれないという不安があった。しかし初日からやってきた。前回の試行から10日間ほど間があいていたので,少し緊張気味だった。慣れてくると,特にニイニ(7歳)とロジャー(1歳)という2人の男の子を中心に映像で遊ぶ姿が見られた 。壁の映像を叩いたり,蹴ったり,体を揺らして,映像を変化させた。映像の中の物体をつかもうとするような動作を見せた。ときどきニイニはプレイフェイス(遊びのときの笑い顔)を浮かべることもあった。たとえセンサーが反応して映像が変化しても,食べ物などをもらえるわけではない。映像とその変化が「ごほうび」になる。その程度ではすぐに飽きてしまうと予測していたが,それも子どもたちにかんしては当たらなかった。展示期間の9日間,1日も欠かさずやってきた。今回の取組について行動観察と来園者調査を通した評価をおこない,現在,分析中だ。アーティスト・技術者・研究者が一緒になってチンパンジーのためのアートを作る。改善すべき点はあるものの,この手探りのプロジェクトが形になったことをうれしく思う。

映像に触れるニイニ(左)とロジャー

謝辞

プロジェクトは,KYOTO STEAM一世界文化交流祭―2020のプログラムとしておこなわれた。 KYOTOSTEAM一世界文化交流祭一実行委員会関係者および京都市動物園の飼育担当者をはじめとする職員,そしてチンパンジーの皆さまから多大な支援を受けた。ここに感謝の意を表したい。 https://kyoto-steam.com/program/event04/

この記事は, 岩波書店「科学」2020年6月号 Vol.90 No.6 Page: 0518-0519  連載ちびっこチンパンジーから広がる世界 第222回『チンパンジーと映像の森』の内容を転載したものです。
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