連載ちびっこチンパンジーと仲間たち 第145回 山梨裕美・林美里『チンパンジーの毛からストレスをはかる』
チンパンジーの毛からストレスをはかる

チンパンジーもストレスを感じるか
チンパンジーもわりと苦労している。たとえば,霊長類研究所のチンパンジー放飼場からは1日に数回,ギャーと大きな叫び声が聞こえてくる。成長して大人と同等の大きさになってきたアユムが,低順位の個体を叩いたりする。そこで叩かれた個体が大きな声で叫ぶと,母親のアイや他の群れメンバーが入ってきて大きな騒ぎに発展するのだ(図左)。そんなごちゃごちゃの中で,悪くもないのに八つ当たりされたりして,まきこまれてしまう哀れなチンパンジーもいる。そんな姿を見ていると,チンパンジーもストレスを感じながら生活しているのだろうと推察される。他にも飼育環境であれば,彼らの自由にならないことも多いから,そのせいでストレスを感じていることもあるだろう。
チンパンジーがどれくらいストレスを感じているのか,かねてからの疑問だった。ちょっとしたストレスであれば問題ないが,数日,数週間と続いたら,たまらない。長い間のストレスは身体的・精神的な病気につながることもあるので,動物を飼育するうえでそれを知ることはたいせつだ。
生き物は,不安や恐怖などを感じるような刺激や,極端な気温などの物理的な刺激(ストレッサー)を受けると,それに適応しようとしてさまざまな反応をおこす。そのひとつとして,コルチゾルと呼ばれる,副腎皮質から分泌されるホルモンの量が増加することが知られている。これまでには,動物のストレスを評価するために,血液や唾液,尿や糞からコルチゾルが測定されていた。しかし,それらのサンプルからは短い間のストレスしかわからないため,サンプルを何度も収集しなければならなかった。
そんな中で近年,毛には生えてくる期間に血中より排出された物質が,蓄積される可能性が指摘されるようになった。チンパンジーでは毛が生えるまでに数ヵ月かかるので,その間のコルチゾルをまとめて測定することができるかもしれない。そこで今回,体毛中のコルチゾルを指標に,長期的なストレスを評価することを試みた。
ストレスをためているチンパンジー
測定にはある程度まとまった量の毛が必要になるので,アカゲザルなどを対象とした先行研究では,麻酔をしたときに毛をそっていた。しかし収集のたびに麻酔をかけていては,チンパンジーにストレスを与えてしまうから本末転倒だ。そこで毛を根元近くからハサミで切ることにした。特定の体部位の毛を根元近くから収集するには, しばらくチンパンジーにじっとしてもらわなければならない。まずは霊長類研究所のチンパンジーで試してみると,たいていの個体はハサミに素早く慣れて,毛を切らせてくれるようになった。普段からヒトとよい関係を築いているチンパンジーだからこそだろう。中にはハサミが苦手な個体もいたのだが,数本ずつ切るなどの工夫で,定期的に採取することができるようになった。
その後,熊本サンクチュアリ(第121回参照)の方々にもお願いして,同じ方法で毛を収集してもらった。そこから,洗ったり,抽出したりなどのプロセスを経て,毛からコルチゾルをはかることができた。
では,どのような個体でストレスレベルが高くどのような個体で、低いのだろうか。野生チンパンジーで糞中コルチゾルを指標にした先行研究では順位の高い個体でストレスが高かった。しかし今回,熊本サンクチユアリの男性のみの群れの結果では,攻撃を受ける頻度と体毛中コルチゾル濃度に正の相関があった。攻撃をもっとも受けていたのは別の群れからきた新参者で,つまり順位の低い個体の体毛中コルチゾル濃度が高かったのだ。その個体は,糞中コルチゾル濃度ももっとも高かった。野生チンパンジーの結果とは逆になるが,群れの安定性や,物理的環境の違いなどが関係しているのかもしれない。
2年後に再び毛を収集して分析したところ,新参者のコルチゾル濃度は半分以下に減っていた。新しい環境や仲間に慣れたのだろう。チンパンジーにおいても,毛からストレス状態がわかるようだ。今後はストレスと関連する要素を詳細に検討していくことで,彼らにとってよりよい飼育環境を提供する方法を考えていきたいと思う。
チンパンジーの毛にある個性
細かいことにはなるが,採取した体部位や毛の色の違いなども,結果に影響を与えることがわかった。たとえば脇腹の毛からは,背中や腕の毛よりも高い濃度で検出されやすかった。毛の成長速度の違いなどが関係していると思われる。また, 黒い毛と白い毛の中のコルチゾル濃度を比べてみたところ,白い毛からのほうが高濃度で検出された。理由はまだ,はっきりとはわかっていない。単に白い毛からは内容物が抽出されやすいのかもしれないし, もしかすると,ストレスがかかると白い毛が増える場合もあるかもしれない。
ヒトと同じように,チンパンジーは年齢によって主に背中の白髪が増加する。ただしそこには個体差が大きく,15~20 歳くらいの大人の仲間入りする時期に白髪が増える個体は増えるし(図右),黒いままの個体もいる。他にも,チンパンジーの毛には個性があって,くせ毛のやつがいたり,つやつやのきれいな毛のやつもいる。実験室にこもっていても,毛を眺めると,そこからはチンパンジーの姿が浮かんでくる。毛には多くの情報が含まれている。まだまだ見えてくるものがありそうだ。
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