連載ちびっこチンパンジーと仲間たち 第136回 山本真也『技を盗むチンパンジー』
技を盗むチンパンジー

技の伝承
伝統工芸の職人は師匠のそばに張りつき,匠の技を伝承していく。教わるのではない。職人の世界では,技はじっと見て覚えるものである。これはチンパンジーの世界でも同様のようだ。チンパンジーも,他のチンパンジーの道具使用の技法を見て学ぶことがわかってきた。これは,ヒト社会に特徴的な文化の発展につながる能力である。
集団固有の行動を伝承していく「文化」はヒト以外にもみられている。幸島のニホンザルは,砂のついたイモを海水で、洗って食べるという行動を文化として定着させている。よりヒトに近いチンパンジーともなると,さまざまな道具を使いこなしそのレパートリーが集団ごとに違っていることが知られている。このような行動や道具のレパ一トリーが世代を越えて伝わることが近年実証されてきた。しかし同じ道具を使っていても,使い方が同じとは限らない。野生チンパンジーの世界では,枝を使って地面のアリを釣り上げて食べる際,ふたつの技法が知られている。ひとつは,短い枝を片手で操り,枝に上ってきたアリを直接口で取って食べる方法。もうひとつは,長い枝を用い,枝についた多数のアリをもう一方の手でしごきとって口に運ぶ方法である。このような技法が個体間で伝播するのかどうか,ヒト以外の動物にかんしては意見がわかれていた。
そこで,チンパンジー9人にひとりずつストローを与えて,使い方を調べてみることにした。すると,4人はストローを使ってジュースを吸って飲んだが,残りの5人はストローの先についたジユースをちびちび舐める方法をとった(図)。どちらも同じ対象(ジュース)に対して,同じ道具(ストロー)を使って,まったく同じ場所(直径1cmの穴)でおこなわれる行動である。しかし明らかに効率が違う。例えば50ccのジュースを30秒以内で飲み干すことができるのに対して,舐める方法だと10分かかっても20ccが限界だった。舐めていた5人のチンパンジーは,なかなかジュースが飲めないもどかしさで私に八つ当たりすることもあったが,1日10分の試行を5日間続けても,吸う技法を自分で見つけ出すことはできなかった。
効率を上げる
次に,この舐める5人をひとりずつ,吸うモデル個体とペアにして様子を見た。これまで舐める技法をみせていたアユム・パル・プチの3人は,すぐモデルの技法が違うことに気づいたようだ。顔を横にくっつけるようにしてモデルのジュース吸いを観察した(動画)。そして,パルはモデルを観察した最初の日のうちに,アユム・プチもそれぞれ2日目・3日目には吸う技法へと変化させた。ほかの2人,パンとマリはモデルの子と相性があまりよくなかったようだ。モデルを間近で観察することはなく,モデルがいるとジュースの容器にもあまり近づかなくなった。しかし透明なパネルを隔てて隣の部屋から観察できるようにする,あるいは仲のよい私がストローを使って吸う行動を目の前で見せるようにすると,2人もちゃんとジュースを吸って飲めるようになった。
5人とも,より効率のよい技法を他者から見て学んだことになる。おもしろいことに,吸うことができるモデル個体は,ほかのチンパンジーの舐める方法にまったく興味を示さなかった。また,舐めていた5人も,一度吸う行動を覚えると舐める行動をみせなくなった。効率の悪い方からよい方へ,技法の変化には方向性がみられるようだ。
テクノロジーの進化的基盤
優れた技を盗むという能力は,文化が発展する原動力となる可能性を秘めている。ヒトの社会では,集団の行動レパートリーを基に新しい行動・技法が編み出され,その中でよりよいものが選択され個体間に伝播することで新しい文化が定着する。さらにこれをベースに次の文化が生み出されるというように,文化が累積的に発展する。ヒトはこのようにして,通常の遺伝子進化とは比較にならないスピードで行動を変容させ,テクノロジーを発展させてきた。これを累積文化進化と呼ぶが,これまでヒトに特有のものと考えられてきた。
しかし今回の研究は,チンパンジーにも少なくともその認知的基盤がみられることを示している。さらに,筆者らがおこなった野生チンパンジーの研究からは,集団の常習的な道具使用行動である「地上でのアリ釣り」から新たな「樹上でのアリ釣り」を若い個体が創出し,さらに樹上アリの特性にあわせて道具の長さを改良したことが示唆された。残念ながら他の個体がこの行動をするところは確認されなかったが,少なくともチンパンジーにも累積文化進化の基盤はみられるようだ。
このような基盤がなければ,現代のテクノロジーどころか,人類そのものがこの地球上に存在しえなかったかもしれない。技を磨きより,よりよいものを伝えあって道具使用を改善させていくという能力は,サバンナという厳しい環境にヒトの祖先が出ていくようになって初めて実用の役に立ったのではないだろうか。「できる」ということと「する」ということは別物なのだ。食べ物に恵まれた森でのんびり暮らすチンパンジーにも,さまざまな可能性が秘められているのかもしれない。
参考文献(以下の共著論文をもとにしました)
- Yamamoto S, Humle T, Tanaka M (2013) Basis for cumulative cultural evolution in chimpanzees: social learning of a more efficient tool-use technique. PLoS ONE 8(1): e55768
- Yamamoto S, Yamakoshi G, Humle T, Matsuzawa T (2008)
Invention and modification of a new tool use behavior: Ant-fishing in trees by a wild chimpanzee (Pan troglodytes verus) at Bossou, Guinea.
American Journal of Primatology 70, 699-702.