オランウータンにおける成長に伴う顔形態の変化

01/3修 保野(久世)濃子

 1.序論
オランウータン(Pong Pygmaeus)は、東南アジア(ボルネオ島およびスマトラ島)の熱帯雨林に生息する大型類人猿で、果実を主食として単独性の高い樹上生活を送っている。オランウータンは顔形態が成長によって大きく変化することでも知られている。例えば成熟したオスの一部には、顔にCheek-Padと呼ばれる特徴的な構造が見られ、その発達には、他のオスとの関係等、社会的要因が影響している可能性が高いことなどが指摘されている。一般に霊長類においては、このような顔形態は、他個体との視覚的コミュニケーションと関係していると考えられている。また、オランウータンの目は、視覚的コミュニケーションが発達しているヒトの目と形態が最も似ているため(Kobayashi&Kohshima,1997)、視線や表情による視覚的コミュニケーションが特に発達している可能性が高い。従ってオランウータンの成長や性による顔形態の変化は、彼らの視覚的コミュニケーションと関係していると考えられるが、これまでの成長に伴う形態変化に関する研究は、歯や頭蓋などの骨格標本を対象としたものが大部分で、皮膚の色彩など、生きた個体の軟組織に関する研究はほとんど行われてこなかった。そこで本研究では、彼らの視覚コミュニケーション解明の手がかりを得るために、オランウータンの成長に伴う顔の形態変化やその性差を詳細に分析した。

2.方法
(1)顔形態の成長に伴う変化
日本国内の動物園及びマレーシア サバ州のSepilok Orangutan Rehabilitation Centreにおいて、0歳から48歳のボルネオオランウータン78個体を対象として、12の形態的特徴について直接観察を行い、成長に伴う顔形態の変化とその性差の分析を行った。
(2)目の形態変化
目と口周辺の色彩については、性および年齢による顕著な変化がみられたので、さらに詳しい解析を行った。撮影した画像のうち、顕著な表情表出のない正面顔の画像についてSignal Analytics Corporation社製汎用画像処理ソフトウェア、IPLab SpectrumTMを使って解析し、明色部分が顔の中で占める相対的な割合を調べた。目尻−目頭間距離の二乗で明色部分の面積との比をとり、これを明色部分の相対値とした。

3.結果と考察
分析した12の顔形態の特徴のうち、特定の時期にだけ発達する特徴は、単なる加齢変化ではなく、特定の成長段階であることを他個体に示すAge-Signalとして、また、性成熟に伴ってオスとメスで異なった変化を示す特徴は、Sex-Signalとして機能している可能性が高いと考えられる。本研究から以下のことが初めて明らかになった。
0-3歳の個体の目と口の周辺の皮膚には、白っぽい明色部分が発達するが、この明色部分は3歳以降急速に暗色化することが明らかになった。3歳は離乳の時期にあたるため、目や口周辺の大きな明色部分は離乳前の乳児であることを示す社会的な信号Infant-Signalである可能性が高いと考えられる。
オス・メス共に、7歳前後から前額部に隆起が発達し、頭髪の種類がInfant-hair(疎らに生え、直立する毛)からAdult-hair(密に生え、倒れる毛)に変化することが明らかになった。野生下では7歳前後に母親から独立するため、これらの特徴は母親に依存したコドモであることを示すJuvenile -Signalである可能性が高い。
オスでは7歳以降の性成熟期において、すべての個体のまぶたが暗色化し(まぶたは目周辺の中でも一番遅くまで明色のままである)、頬ひげと顎ひげが顕著になった。またCheek-Padは10歳以降の個体で発達が見られたが、一部の個体では発達しなかった。暗色化したまぶたや頬ひげ、顎ひげ、一部の個体でCheek-Padが発達する、といった性成熟期にオスにおいてのみ観察された変化は、成熟したオスであることを示すSex-Signalであると考えられる。
一方、メスでは性成熟後(繁殖開始後)も、まぶたが明色のままで暗色化せず、顎ひげや頬ひげが顕著にならなかった。しかし、20歳前後でオスと同様にまぶたが暗色化し、頬ひげと顎ひげが発達した。メスは10歳前後から繁殖を開始するため、明色のまぶたやヒゲのない口もとは繁殖経験の浅い若いメス(10〜20歳)であることを示す特徴、Young-female-Signalであると考えられる。この事実は、オランウータンには繁殖経験の浅い若いメスであることをアピールするSignalを必要とする社会構造が存在することを示唆している。また、Cheek-Padが未発達のオトナオスと20歳以上のメスには顔形態の差がほとんど見られないことも明らかになった。これらの事実は今後のオランウータンの生態研究に、新しい視点を提供すると考えられる。

<講演目録>
1.保野濃子、幸島司郎 「オランウータン(Pongo Pygmaeus)における成長による顔の形態変化」 第3回SAGA・シンポジウム (2000年11月 犬山)
2.保野濃子、幸島司郎 「オランウータンにおける成長による顔の形態変化とその適応的意味」 動物行動学会19回大会(2000年11月 彦根)
3.Nouko Yasuno and Shiro Koshima メDevelopmental change of face-morphology in orangutan (Pongo Pygmaeus)モ, the COE International Symposium "Development and Aging of Primates" , (2000 Nov. , Inuyama Japan)

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