緊張や不安に伴う馬の表出行動に関する研究

中野雷太  指導教官 幸島司郎 助教授

1、はじめに 

 馬は非常に古い時代から家畜化され、他の家畜と供に人間にとって身近な存在であった。また、今日までの文明の発展にも非常に貢献をしてきた。しかし意外なことに、同じ家畜化された動物でも犬や猫に関しては行動学的研究が盛んに行なわれてきたが、馬の行動学に関する基礎的研究、例えば情動を反映する表出行動の研究は現在まであまり行なわれていない。

 そこで本研究では、馬の表出行動、特に不安や緊張に伴う表出行動を明らかにすることを目的に、競馬場のパドックや放牧場で観察を行った。

  競馬場のパドックは、出走前の競走馬が、たくさんの人間に囲まれ視線を浴びながら、曳かれて周回する場である。当然のことながら、馬にとっては非日常的で緊張や不安を強いられる場であるため、それらの情動に関連した表出行動が観察されると予想できる。特に初めてここに来た馬(出走経験の無い馬)は相当な緊張、不安を感じると思われる。一方、経験を重ね、この環境に慣れた馬では、これらの行動の出現頻度は低下するはずである。このような仮定のもとに、パドックで見られる馬の行動と出走経験の相関を調べ、不安や緊張に伴う表出行動の特定を試みた。更に、放牧されている(リラックスしている)馬の行動と比較検討することで、これらの行動の意味を探った。

2、方法

・競馬場のパドックで、体の各部分の動作、姿勢、発汗などに関する目視観察を行い、各観察項目につき、一頭約10秒間の行動を記録した。観察した馬の総数は約1000頭である。

・放牧場において、歩行中の馬の目視、ビデオ撮影による同様な観察、記録を行った。

3、結果、考察

 パドックでの観察結果から、口の開閉状態、尾の(臀部からの)離れ具合、歩様、首の保持位置などの姿勢や行動の頻度に、出走経験との相関が見られた。口の開閉運動に関しては、経験の少ない馬ほど口を頻繁に開閉させ、経験が増えるほど口を開閉させず、口を閉じている割合が高くなることが明らかになった。馬銜を着けていない放牧場の馬では歩行中の口の開閉はほとんど観察されないことから、これは馬銜を曳かれることへの抵抗の表れと考えられる。歩様に関しては、経験の少ない馬ほど歩幅が小さい上下動を伴った歩きかたを見せる割合が高かった。これは逃避行動の表れなのではと考えている。尾の離れ具合は、放牧場の馬では歩行中、ほとんど中程度の離れ具合であった。それに対しパドックでは経験の少ない馬ほど中程度の離れ具合の馬が多く、経験が増えるほど両極端の状態(垂れた状態と大きく張った状態)の頻度が高かった。この結果は非常に興味深く、両極端の状態に何か特別な意味があるのではないかと考えられ、今後分析する予定である。

 最後に首の保持位置に関しては、経験の少ない馬ほど首の位置が高い(水平より上の)割合が多く、経験が増えるほど首の位置が低い(水平以下の)割合が多くなることが明らかになった。放牧場での観察結果より、リラックスしている馬では歩行中、首が水平以下に保持されている割合が圧倒的に高いことがわかった。首の保持位置は視界の広さに関係していると思われる。なぜなら、首の高さで視点の高さが変わるからである。見る動作に関連した頭部の動きの頻度も、首が高い位置にある時に多いことがわかった。つまり緊張、不安を感じている馬で首の位置が高くなるのは、周囲に注意を払っているためだと考えられる。


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