北アルプス山岳積雪中のバクテリアに関する研究

99/3修 宮本康司

<1 はじめに> 

氷河や雪渓、積雪などの雪氷圏にも、昆虫や藻類などの多様な生物を含む特殊な生態系が存在している。雪氷は高いアルベド(表面反射率)を持つため、太陽からの熱入力を制限することで地球全体の気候変動に大きな影響を与えているが、最近、雪氷藻類などの雪氷微生物活動がアルベド低下の大きな原因となっていることが明らかになってきた。また、氷河で増殖する雪氷藻類などの微生物がアイスコア解析による古環境復元の新たな環境指標となる可能性も示されつつある。バクテリアは雪氷藻類よりも分布が広範でアイスコア中での保存状態も良いと予想されるため、アイスコア解析の新たな環境指標となる可能性が高い。したがって雪氷生態系の解明は地球規模の環境変動を理解する上でも重要である。しかし、この雪氷生態系で分解者としての役割を担うバクテリアに関しては、まだほとんど研究がなく、種類や生息密度さえ明らかになっていない。雪氷中のバクテリア生態を明らかにすることは、雪氷生態系を理解し、雪氷圏のアルベド改変過程を明らかにするうえで重要である。
本研究では、雪氷中のバクテリア生態を明らかにすることを目的に、世界でも例を見ないほど多量の降雪があるため積雪各層の時間分解能がきわめて高い北アルプス山岳地帯の積雪を対象に、積雪中バクテリアの種類と密度が積雪時期や積雪融解の進行によってどのように変化するか、また、それが積雪中の他の生物や各種微粒子、化学成分、環境要因、アルベドの変化とどのように関係しているかを調査した。

<2 方法> 

積雪期の大気や降雪に含まれるバクテリアや微粒子、化学成分を明らかにするため、1998年3月20日、北アルプス室堂平(標高2500m)において、融解前の積雪全層(約6m)を10cmごとに採取・分析した。同時に大気中微粒子と、降雪の雪結晶レプリカの採取・分析も行った。

融雪に伴う積雪表面のバクテリアとその他の雪氷微生物、各種微粒子、化学成分の変化を明らかにするために、1998年4月26日-9月15日の期間に9回、北アルプス内蔵助雪渓(標高2700m)において積雪の採取・分析を行った。同時に融解量、各種気象要素、大気からの微粒子供給量測定を行った。
バクテリアの検出、計数はDAPI染色による蛍光顕微鏡法によって行った。

<3 結果・考察>

 3-1 融解前の積雪中に含まれるバクテリア

 融解前の積雪中では球菌(直径0.5〜1μm)・桿菌(幅0.5〜1μm,長さ2〜3μm)の二種類の形態のバクテリアが観察された。球菌の細胞密度は平均約8万個/ml程度で、桿菌の約10倍の密度で含まれていた。また鉱物粒子、ススや有機土壌と考えられる黒色の粒子などの微粒子が観察された。積雪各層に含まれる細菌密度と各種微粒子密度、化学成分の深度プロファイルを示した。鉱物粒子量のピークと黄砂現象との対応から各層の形成時期を推定した結果、積雪深2m以浅は春期(2月-3月)の積雪、2m以深は冬期(11月-1月)の積雪であると推定された。球菌・桿菌密度ともに、2m以深の冬期積雪層では低いレベルで比較的一様(球菌密度:平均69147/ml,標準偏差42799)であるのに対して、2m以浅の春期積雪層では高いレベルに加え突発的なピークがみられる傾向(球菌密度:平均103796/ml,標準偏差68724)があった。また、桿菌比率は平均値では冬期に若干高い傾向が見られたが(冬:4.25%、春:3.58%)、春期積雪層でも特にバクテリア密度の高い部分では桿菌比率が例外的に高い(最大28.6%)層が観察された。これらの結果は積雪中のバクテリア量や組成が積雪時期によって異なることを示している。桿菌密度と球菌密度には相関が見られず、供給源や積雪への供給様式が異なることが示唆された。球菌密度と小粒径鉱物粒子の密度には高い相関が見られ、共通の供給源や供給様式を持つことが示唆されたが、桿菌密度と他の粒子密度との相関は見られなかった。細菌密度は海塩起源化学成分や陸起源化学成分とも,はっきりした相関を持たなかった。
大気中の微粒子分析の結果、大気中にも積雪中と同様のバクテリアと各種粒子が観察された。大気中の球菌・桿菌比は積雪中のそれと同程度であり、積雪中のバクテリアの大部分は大気から供給されたと考えられる。しかし、雪結晶レプリカの一部(10サンプル中2サンプル)の結晶中央部に球菌が観察されたことから、一部のバクテリアは雪結晶の核となって積雪中に供給された可能性がある。

3-2 融雪期積雪表面のバクテリア季節変化 

融解期の積雪表面には、球菌・桿菌、緑藻・ラン藻などの雪氷藻類、センチュウなどの微少動物、花粉などが観察された。細菌密度は5月にゆるやかに増加したが、6〜7月にはあまり変化せず、8月以降には、球菌は緩やかに増加後9月に頭打ちに、一方、桿菌は急激に増加し続けた。球菌の季節変化は、ほぼ同様な供給・流失特性を持つと考えられる小鉱物粒子の季節変化とほとんど一致していることから、球菌は積雪表面で増殖しておらず、桿菌のみが主に8月以降に急激に増殖したと考えられる。緑藻密度は6月ごろ最大化し、そのアキネート(休止細胞)が8月ごろ最大密度となってその後急速に減少した。ラン藻密度はそれと置き換わるように8月以降急激に増加した。桿菌の増殖期はラン藻の増殖期にほぼ一致しており、なんらかの生物学的関係がある可能性がある。藻類バイオマス・花粉降下量・有機物量・腐植と考えられる黒色粒子もこの時期に急増し、アルベドは特にこの時期に大きく低下した。

以上の結果は、融解期に雪氷面アルベドが低下する原因の一つは、雪氷藻類の光合成生産と降下有機物によって増加した雪氷面の有機物が、桿菌の活動によって暗色の腐植に変換されるためであることを示唆している。

<講演目録>

宮本康司,竹内望,吉村義隆,幸島司郎「氷河・雪渓上に生息するバクテリアの生態」日本雪氷学会全国大会 (1997年10月鶴岡)

宮本康司,幸島司郎,竹内望,飯田肇,長田和雄,木戸瑞佳、矢吹裕伯、中尾正義、上田豊、川田邦夫「立山・室堂平における積雪中のバクテリア密度分布」日本雪氷学会全国大会 (1998年10月塩沢)


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