霊長類における目の外部形態の適応的意味に関する研究

97/9博 小林洋美

 目はヒトのコミュニケーションにおいて重要な役割を担っていると考えられているが,その外部形態自体に注目した研究はほとんどない.たとえばモリス(Morris,1985)は,白目(強膜)が露出している点でヒトの目は霊長類としては異例な外部形態をしていると指摘しているが,その真偽を確認する調査さえ現在まで行なわれてこなかった. 本研究では,ヒトの目の外部形態の特異性を定量的に明らかにし,その意味を考えるてががりを得るために,現生霊長類約200種のほぼ半数にあたる種について目の外部形態の比較を行った.

強膜の露出度(露出眼球部の横長/角膜横径),眼裂(目の輪郭)の横長度(目じり目頭間距離/上下瞼間距離),強膜の色彩,の各指標を測定し比較した結果,ヒトの目は調査された88種中唯一完全に色素細胞を欠いた白い強膜を持ち,強膜露出度・眼裂横長度とも最大であることがわかった.つまりヒトの目は,着色していない白い強膜が大きく露出しているだけでなく,非常に横長な輪郭をもつ点でも,他の霊長類とは大きく異なっていることが初めて明らかになった.また,霊長類の眼裂横長度と強膜露出度は系統群間で異なり,原猿亜目<オマキザル上科<オナガザル上科<ヒト上科の順に増加することが明らかになった.

 目の外部形態と体サイズ・生活環境との関係を分析した結果,強膜露出度と体サイズ(体重,頭胴長,座った姿勢での体高,歩行時の体高)には正の相関が見られること,眼裂横長度は樹上性・半地上性・地上性の順に増加することなどが明らかになった.

 強膜露出度と体サイズの相関は,強膜露出度が眼球運動による視野拡大能力に関係していると仮定すれば,うまく説明できることが明らかになった.体サイズが大きくなるほど強膜露出度が大きくなるのは,視野拡大のために頭部や体軸を動かすかわりに眼球を動かすことによって節約できるエネルギーが,スケーリングの原理により,体サイズが増加するほど増大すると考えられるからである.この仮説が成り立つならば,強膜露出度の大きい種は小さい種より眼球運動による視線変更をより頻繁に行っていると予想される.そこで,採食時の霊長類の頭部運動や眼球運動による視線変更の回数を測定した結果,眼球運動のみによる視線変更の頻度は,大型種ほど大きく,強膜露出度と相関することが明らかとなった.これは,大きな強膜露出度は眼球運動による視野拡大能力増大のための適応的形態である,とする仮説を支持するものであった.

 眼裂横長度が樹上性・半地上性・地上性の順に増加するのは,横長眼裂が眼球運動による視野拡大,特に水平方向の視野拡大能力を増すための適応的形態であると考えればうまく説明できることがわかった.地上性種は樹上性種よりも水平方向の視野拡大の必要性が高いと考えられるからである.そこで実際に地上性種と樹上性種で摂食中の個体の注視方向と注視時間を計測し,注視時間と視線変更頻度の上下/水平比率を比較したところ,注視時間や視線変更頻度の水平方向への偏りは,樹上性より地上性種で有意に高いことが明らかになった.また,この注視時間や視線変更頻度の水平方向への偏りの大きさを示す比率と眼裂横長度には正の相関があった.この結果は,眼裂が横長になると,水平方向の視野拡大能力が増大するという考えを支持するものであった.

 今回調査した霊長類92種中,全く着色のない白色の露出強膜部分を持っていたのは,唯一ヒトだけであり,その他全ての霊長類の露出強膜部分は茶色に着色していることが明らかになった.着色強膜をもつ眼球の切片標本を顕微鏡観察したところ,強膜の着色部分には,角膜縁の角膜上皮・結膜上皮・強膜に茶色色素が存在していることが明らかになった.茶色色素を作りだすには,コストがかかることから,この着色には何らかの適応的機能があると推測された. 着色強膜の適応的意味に関しては,すでに坑散乱光説(Duke-Elder, 1958)と視線隠蔽説(Perrett, 1990)の2説が提出されているが,着色強膜は余分な散乱光を防ぐとする坑散乱光説は,夜行性の霊長類にも強膜着色があり,昼行性のヒトに着色がないことが今回の調査で明らかになったことから,少なくとも霊長類には適用できないことがわかった.次に,着色強膜には,同種内他個体や捕食者に対して,視線をカモフラージュする機能があるとする視線隠蔽説を検討した.強膜の着色が視線隠蔽の機能を持つならば,その色彩は,顔の中での目の位置と眼裂の中での虹彩の位置の両方を不明瞭にする色彩パターンの一部となっていることが予想される,つまり,顔色〜強膜色間と強膜色〜虹彩色間のコントラストがどちらも弱いはずである.そこで,強膜色と虹彩色,目の周囲の皮膚色の濃淡関係を調べた結果,ヒト以外の霊長類のほとんどでは,顔色〜強膜色と強膜色〜虹彩色の二つのコントラストがどちらも弱く,目の位置と虹彩の位置のどちらも不明瞭な色彩パターンであることが明らかになった.これは,着色強膜の視線隠蔽説を支持する結果である.また,白い強膜を持ったヒトの目は,他の霊長類の目とは逆に,顔色〜強膜色と強膜色〜虹彩色のコントラストがいずれも強く,目の位置と虹彩の位置の両方が強調された目であることが確認された.つまり,ヒトは霊長類の中で,唯一視線を強調する色彩パターンの目を持っていることが明らかになった.

 ドグエラヒヒとヒトの2種について,目の外部形態の成長に伴う変化と性差について調査した結果,強膜露出度は体の成長にほぼ平行して増加すること,強膜露出度の性差は,体サイズに顕著な性差が見られるドグエラヒヒのみに見られること,成長に伴う眼裂横長度増加は体サイズ増加と無関係な変化を見せ,体サイズに顕著な性差が見られるドグエラヒヒでも性差が見られないなど,種間比較で見られた強膜露出度と体サイズの関係,眼裂横長度と生活空間との関係をさらに裏付ける事実が明らかになった.

  本研究の結果から,特異な形態を持つヒトの目が,いかにして進化したかを説明する以下のような進化的シナリオが浮かび上がってきた.ヒト祖先種は森を出て完全な地上性生活者となり,体が大型化するにつれて, 眼球運動による視野拡大,特に水平方向の視野拡大の必要性が高まった.目の強膜露出度と横長度が霊長類中最大になったのは,このような視野拡大の必要性への適応の結果と考えられる.さらに,眼球運動による視野拡大の必要性から生じた眼球の大きな可動性が,視線によるコミュニケーションの大きな可能性を開いたと考えられる.露出強膜の白色化という小さな変化で,視線コミュニケーションの可能性は飛躍的に高まるからである.ヒトが霊長類の中で唯一,視線を強調する色彩パターンの目を持つに至ったのは,体の大型化や道具使用によって捕食者に対する視線カモフラージュの必要性が低下し,逆に小集団での狩猟・採集という共同作業のために同種他個体との互恵的協調行動の必要が高まったためだろう.霊長類の中で例外的なヒトの目の外部形態は,ヒトと他の霊長類間には,音声コミュニケーション能力だけでなく,視線コミュニケーション能力にも大きなギャップが存在することを示していると考えられる. 今後,このような視点に立った眼球運動の測定や目によるコミュニケーションや表情の分析が望まれる.

 本研究の成果は,ヒトという動物の生物学的理解を深め,ヒトの行動学,心理学研究に一石を投じるばかりではなく,ヒューマンインターフェイスなど,応用人間科学にも有用な新しい情報や視点を提供すると考えられる.

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