出典:岩波書店「科学」2015年7月号 Vol.85 No.7
 連載ちびっこチンパンジーと仲間たち 第163回 山本真也 『戦争と協力』

戦争と協力

戦争と協力。この「ヒトらしい」ふたつの両極端な性質の進化的起源を,チンパンジーとボノボを通して考えてみたい。

本連載第127回では,食物分配を通してこれら2種の違いを考察した。野生のボノボは豊富な果物を頻繁に仲良く分け合って食べる。ボノボはチンパンジーよりも平和な協力社会を発達させた種なのだろうか。2個体の関係でみると確かにそうかもしれない。しかし集団全体に目を向けたとき,そう簡単に話はまとまらない。今回は,個体間から集団全体,さらには集団間の関係に視点を移して,協力行動の進化について考えたい。舞台はアフリカの熱帯林。コンゴ民主共和国ワンバ村のボノボと,ギニア共和国ボッソウ村のチンパンジーが主人公だ。

村道に出てきたボノボ
図1: 村道に出てきたボノボ。

危険な道を渡る

ワンバの森では,早いときで朝の4時半にキャンプを出発し,帰ってくるのは遅いと夜8時近くになることもある。GPSの記録を見ると,1日40km近く歩いていた日もあった。途中,川を3回渡った日もある。しかも,生息域の約3分の1は湿地林だ。長靴をはき,時には長靴を脱がないと入れない沼地に足を取られながらの観察だった。ボノボはというとそんなこちらの悪戦苦闘には目もくれないで,頭上の木々を枝伝いに身軽に渡っていく。

しかし,湿地や川は軽々と渡っていくボノボでも,人が通る道となると事情は異なるようだ。ワンバの森には,生息域のほぼ中央を横切って村道が走っている。ボノボはこの道を渡って,南北に分断された森を行き来している。村人や自転車,ときにはバイクも通る道なので,ボノボにとっては危険な道渡りなのだろう。渡る前には道路脇の薮でしばらく待機したり木に登って様子をうかがってから渡ったりすることもあった(図1)。

ある日の昼下がり,最初に道路に姿を見せたのは, 2歳の子どもをお腹に抱いた女性のキクだった。周りを見渡しながら,そろそろと渡っていく。キクが渡り終えると,次に出てきたのは7カ月の赤ん坊を抱いた若い母親のフクだ。こちらは足早に南の森へと消えていった。おとなの男性は,6番目にはじめてダイが登場した。前を行く若い女性のユキコがきょろきょろあたりを見回している横を,そそくさと追い抜いていく 。2分かけて,老若男女18人が渡り終えた。最後に渡ったのは老齢男性のタワシだった。

ボノボとチンパンジーの比較

この光景,ボッソウ村の野生チンパンジーも観察していた私には少し驚きだった。ボッソウのチンパンジーも,村道を渡って2つに分かれた森を行き来する。このときチンパンジーは「協力」することが知られている(図2)。最初に道に出てくるのは,たいていおとなの男性だ。この男性が道渡りの途中で立ち止まって周りを警戒している間に,女性や若者が渡っていく。そしてしんがりを務めるのも,元気なおとなの男性であることが多い。お腹に小さな子どもを抱えた女性が最初に渡るなどということはほとんどない。そして,チンパンジ一, とくにおとなの男性でよく見られる「他個体を待つ」という見張り行動が,今回のボノボの道渡りでは確認できなかった。

ボノボの道渡り8例とチンパンジーの道渡り24例を比較すると,そもそもボノボでは,他のメンバーを待つということが少なかった。道渡りの途中で立ち止まって振りかえり,見張りのような役をすることもチンパンジーに比べて少ない。頻度でいうと, 4倍以上の開きがあった。誰が誰を待っていたかを分析すると,さらに両者の違いが浮かび上がってくる。チンパンジーでは,見張り役をするのはおとなの男性であることが多く,全体の68.7%と大半を占めていた。それに対しボノボでは,男性はすんなり渡っていく。他の個体を待ったりするのはおとなの女性であることが多く,全体の 67.7%を占めていた。

道渡り時のチンパンジーの集団協力
図2: 道渡り時のチンパンジーの集団協力

集団協力の進化

集団としての協力行動は,ボノボに比べてチンパンジーでより発達しているのかもしれない。チンパンジーは競合的な社会を築いている。とくに隣接群とは熾烈な敵対関係にあり,時には集団間で殺し合いの戦争に発展することもある。そんなチンパンジーにとって,集団外の脅威に立ち向かうために集団で団結して協力する能力は必須である。それに対しボノボの社会関係は驚くほど平和だ。ケンカの頻度は低く,頻繁に食物分配がみられる。これは集団内に限らない。運よく集団間の出会いを観察する機会にも恵まれたが,違う集団の個体同士が仲睦まじく毛づくろいしあい,大きな果実を分け合って食べることもあった。そんなボノボにとって,集団として協力する能力はチンパンジーほど必要ではなかったのかもしれない。

このことは, ヒトで顕著にみられる「協力」と「戦争」という2つの側面が,簡単に正と負に切り分けられないことを示唆している。戦争を美化するわけではない。しかしやはり集団での協力行動というものは,守るべきものがあって初めて進化しうるものなのだろう。ただし集団を脅かす存在は他集団だけとは限らない。自然災害もそのひとつである。東日本大震災のときには,悲惨な大混乱の中,助け合う人々の姿が印象的だった。ヒトは,他の動物にくらべて特異的に集団協力行動を発達させてきた種である。これは,戦争ばかりしていた結果なのではなく,厳しい自然とともに生きてきた証であると願いたい。

この記事は, 岩波書店「科学」2015年7月号 Vol.85 No.7 Page: 0662-0663  連載ちびっこチンパンジーと仲間たち 第163回『戦争と協力』の内容を転載したものです。