出典:岩波書店「科学」2012年7月号 Vol.82 No.7
 連載ちびっこチンパンジーと仲間たち 第127回 山本真也『果実を分け合うボノボ』

果実を分け合うボノボ

Credit: Shinya Yamamoto
図2: 平和的なボリンゴ分配

ボノボの住む森へ

どこまでも続く深い森の上をチャーター機で飛んだ。この森にボノボがいる。野生ボノボの生活を観察するため,コンゴ民主共和国ワンバ村に向かった。

これまで,チンパンジーを対象に利他行動の研究をしてきた。チンパンジーでの実験結果を基にヒトとの共通点・相違点を明らかにし,利他性の進化を議論してきた。しかし,この研究には抜け落ちている視点がある。ヒトとの比較対象にチンパンジーしか見ていないからだ。チンパンジー同様ヒトにもっとも近縁な種であるボノボのことがわからない限り,片手落ちであると言わざるを得ない。そういうわけで,野生ボノボが唯一生息するコンゴの熱帯雨林にまで足を踏み入れることになった。

おかっぱ頭にスレンダーな身体,耳を突く甲高い声。チンパンジーとの違いは一目瞭然だった(本連載107回・119回参照)。社会関係も明らかにチンパンジーと違う。まず,ケンカが少ない。そして,オスとメスの性差が小さい。これは大きさなどの見た目だけでなく,攻撃性といった行動にも表れている。しょっちゅうディスプレーをしては騒ぎを起こすチンパンジーを見てきた私には,ボノボのオスは存在感が薄かった。

Credit: Shinya Yamamoto
図1: ボノボが分けあって食べるボリンゴの実

ボリンゴ分配

チンパンジーと違って,メスが集団の中心にいる。このことは食物分配でより顕著になった。チンパンジーでは,狩猟によって得た動物の肉が個体間で分配されることが知られている。たいていの場合おとなのオスが肉を所持し,周りに集まってくる個体に分配される。ボノボの食物分配が大きく異なるのは,果実が頻繁に分配されたことと,分配の中心にいるのがおとなのメスだったことだ。ボリンゴというラグビーボールほどの大きさの果実(図1)が実る季節には,計72日間の観察で合計166例もの食物分配がみられた(図2)。そして,そのうちの156例ではおとなメスが果実の所有者になっていた。

ボリンゴの実を見つけたメスは,ピャーピャーとうれしそうな声を上げる。するとそこに他のメスや若い個体が寄ってくる。顔を数cmの距離に近付けてのぞきこむ子もいるが,見ているだけで分けてもらえることはまずない。手を差し出して所有者の手や口から小片をおすそ分けしてもらう形で分配は起こる。分配するといっても積極的に与えるのではなく,相手が取っていくのを許すという消極的なものだ。この点ではボノボもチンパンジーも共通している。しかし,野生チンパンジーの肉分配では,肉の周りに興奮の渦ができ,ギャーギャーと大騒ぎの中を肉が引きちぎられるようにして渡っていくことが多いという。それに対しボノボでは,ボリンゴをめぐって実際のケンカになったことは一度もなかった。もらい手が少し大きなかたまりを取りすぎて緊張が生まれても,ホカホカと呼ばれるボノボ特有の性器こすり合わせ行動で解決してしまう。非常に穏やかな分配だ。

さらに驚いたのは,異なる集団の個体間で分配がみられたことだ。運よく集団間の出会いを観察する機会にも恵まれたが,そのときカメカケ群の個体とイヨンジ群の個体の間でボリンゴが分配されるのを4例観察することができた。隣接群とは敵対的関係にあり,時には集団間で殺し合いの戦争に発展することもあるチンパンジーではまず考えられない。「平和的なボノボ」を再認識した事例である。

なぜ食べ物を分け合うのか

食物分配は,利他行動の典型例であり,人類進化の上で非常に重要な役割を果たしたと考えられている。これまで,食物分配の進化については主にチンパンジーの肉分配を基に考察されてきた。相手からの圧力に負けてしかたなく渡しているといった説明や,好きなメスと交尾をするためにプレゼントとして渡しているといった仮説が有名だ。しかし,ボノボでは平和的な分配がなされるし,メス間の分配では交尾を目的とした分配仮説は成り立たない。また,果実の分配・被分配者を分析すると,与える個体は与えるばかり,もらう個体はもらうばかりで,果実の受け渡しだけみても互恵的な関係にはなっていなかった。

どうもボノボの果実分配には異なるメカニズムが働いている可能性がある。興味深い事例があった。高順位のナウというメスがビンボという直径40cmほどの巨大な実を食べていたときのことだ。周りには低順位の若いメスたちが集まって分けてもらっている。このとき,ナウは足で持っていた実を4m下の地面に落としてしまった。しかし,すぐにはだれも取りに行かない。ナウからもらっていた若いメスたちは,ナウの手元に残った少しのビンボをねだったり,近くで食べていた別のメスにもらいに行ったりした。落ちた実が不味かったわけではない。しばらくするとユキというメスが地上に落ちた実を拾って登ってきた。すると,またその実をめぐって分配が始まるのだった。

食べ物自体が目的というよりも,食べ物を介した社会関係構築が重要な意味を持っているのかもしれない。チンパンジーでは狩猟によって得た貴重な肉が分配される。しかしボノボの果実分配は,豊かな森で独力でも手に入れることのできる果実をあえて分けあって食べるという点で,チンパンジーの肉分配とは違った様相をみせる。チンパンジーの肉分配が男性を中心とした狩猟社会に対応しているとすると,ボノボの果実分配は,女性中心の採集社会における分配を説明するモデルになりえるかもしれない。黒く小柄な進化の隣人を見ながら,私たちの遠い祖先の生活に想いを馳せるフィールドワークだった。

謝辞

本調査では,古市剛史氏はじめ多くのワンバ研究者のお世話になった。特別推進研究・AS-HOPE・ITP-HOPEの支援を受けた。記して感謝したい。

この記事は, 岩波書店「科学」2012年7月号 Vol.82 No.7  連載ちびっこチンパンジーと仲間たち 第127回『果実を分け合うボノボ』の内容を転載したものです。