出典:岩波書店「科学」2010年1月号 Vol.80 No.1
 連載ちびっこチンパンジー 第97回 山本真也『要求に応じた手助け』

要求に応じた手助け

撮影:京都大学霊長類研究所
図: ペンデーサ(奥)の要求に応じてステッキを渡そうとするマリ(手前)

助け合い社会

ヒトは独りでは生きられない。なんらかの形で,他人に依存している。あるときは助け,またあるときには助けられる。この助け合いがヒト社会の基盤ともなっている。しかし,この「助ける」という行動には,進化的にみると謎が多い。他人を助けても,その時点では助けた側にとって利益はなにもないからだ。このように相手の利益にしかならない行動を利他行動と呼ぶ。利他行動はどのように進化してきたのだろうか。

これまでは,理論的な研究がさかんにおこなわれてきた。血縁関係のある者を助ければ,結局は自分と同じ遺伝子を多く残すことにつながる。また,助け合わない仲間同士より,助け合う仲間同士のほうが,最終的には多くの利益を得る。これらのことが理論的に解明されてきた。しかし,ヒトは,いつもこのように考えて他人の手助けをしているわけではない。他人が困っているのを見ると助けてあげたいと思う。このような「こころ」はどのように進化してきたのだろうか。

チンパンジーがどのような場面でどのようにして仲間を助けるのかを調べることで,この謎に取り組もうと思う。そもそも,チンパンジーはこのような利他行動をみせるのだろうか。自分自身にも利益がある場合は,協力して狩りをしたり連合を組んだりと,さまざまな協力行動をみせる。しかし,自分には直接利益がまったくなく,相手の得にしかならない利他行動が,チンパンジー同士でみられるのかについては議論が続いていた。野外ではさまざまな要因がからむので,利他行動を証明することは難しい。そこで,霊長類研究所のチンパンジー6組を対象に,実験を通じて実証的に検討した。

このビデオではパン(右)はストローを必要としています。ストローを使えば壁に設置されたボトルからジュースが飲めます。パル(左)はしばらく遊んでいましたが、要求に応じてストローを選んで渡しました。

要求に応じるチンパンジー

隣り合う2つのブースに,2つの異なる道具使用場面を設定した。ストローを使ってジュースを飲むストロー場面と,ステッキを使ってジュース容器を引き寄せるステッキ場面である。ストロー場面のチンパンジーにはステッキを,ステッキ場面のチンパンジーにはストローを渡した。ブースを仕切るパネルには縦12.5cm×横35cmの穴が開いているが,床までは1mあるので,隣のブースの道具には手が届かない。相手に拾って渡してもらわないと,必要な道具を手に入れることができない。このような場面で,穴を通しておこなわれる2人の間のやりとりを調べた。

その結果,全体の59.0%において道具の受け渡しがみられた。相手が道具を必要としていない場面では,全体の0.3%でしか受け渡しがみられなかったので,遊びで渡しているわけではない。相手が必要としているときにだけ渡していた.そして,受け渡しの74.7%は相手の要求に応じる形で起こった(図1)。穴から相手に手を差し伸べ,道具を要求する。相手がなかなか渡してくれないと,パネルをたたいたり,手をたたいたり,声を出したり。道具を持っている相手の注意を引こうと懸命だった。このように要求されると,たとえ道具でひとり遊びしている最中だったとしても,たいていは道具を差し出すのだった。片方しか道具を持っていない場面,つまり道具を渡す側には相手から何も見返りがない場面でも観察したが,要求されれば道具を渡す行動は継続した。

チンパンジーの利他行動には,相手からの要求が重要なようだ。ヒトは他人が困っているのをみると,頼まれなくても自ら進んで助けることがあるが,チンパンジーは相手の要求があってはじめて助けることが多い。実際,手の届かない場所に置かれたジュース容器に向かって必死に手を伸ばす相手をみても,持っていたステッキを自発的に差し出すことは稀だった。頼まれれば応じるが,自分から進んでおせっかいを焼くことはない。これがチンパンジーの利他行動の特徴かもしれない。

利他行動の進化

この実験から,2つのことが明らかになった。自分への直接の利益や相手からの見返りがなくてもチンパンジーは仲間を手助けすること。そして,チンパンジーの利他行動は相手からの要求に応じる形で起こるということである。利他行動をするという点では,ヒトとチンパンジーで共通しているが,利他行動の自発性という点では違いがあると言えそうだ。

利他行動の進化を考えたとき,チンパンジーでみられた「要求に応じた手助け」は効率的な戦略と言える。相手の手助けをしても,「ありがた迷惑」になってしまっては意味がない。自発的な利他行動はこのリスクをはらんでいる。その点,「要求に応じた手助け」は必ず相手の役に立ち無駄になることがないので効率的だ。ヒトでみられる助け合い社会も,このような効率的な利他行動を出発点として発展してきたのではないだろうか。

頼まれてもいないのに他人を助けるヒト。要求されれば応えるチンパンジー。このようなヒトとチンパンジーの違いを理解するには,2個体間の関係だけでなく,それぞれの社会にも目を向ける必要があるだろう。ヒトの社会では,評判や社会規範など,第三者の目が非常に大きな影響力を持っている。他人に対して利他的に振る舞っている人に対してはよい評判が立ち,周りの人からよくしてもらえる。このような「情けは人のためならず,めぐりめぐって己がため」の関係を間接互恵性と呼び,ヒトの利他行動を支える重要な基盤ともなっている。このような基盤があるからこそ,ヒトでは自発的な利他行動が進化してきたのではないだろうか。チンパンジーではどうだろう。チンパンジーでこのような間接互恵性が成立するかどうかは,現時点では十分に調べられていない。

今後,チンパンジー社会全体での助け合いをくわしく調べることにより,利他行動の進化についてさらに深く切り込んでいきたい。

この記事は, 岩波書店「科学」2010年1月号 Vol.80 No.1  連載ちびっこチンパンジー 第97回『要求に応じた手助け』の内容を転載したものです。