出典:岩波書店「科学」2008年3月号 Vol.78 No.3
 連載ちびっこチンパンジー 第75回 山本真也『ただ乗りは許さない』

ただ乗りは許さない

Image Credit: Shinya Yamamoto
図: 手を伸ばし,マリ(右)にコインの投入を促すペンデーサ(左)
このまえにペンデーサはコインを5枚連続で投入していた.催促を受けてこのあとマリは2枚コインを投入した

互恵性のルール

情けはひとのためならず,めぐりめぐって己がため。相手のためになることをすると,その恩はいつか自分に返ってきて報いられる。このような関係は互恵性と呼ばれ,人間社会では広く一般的にみられるものである。社会を成立させる基盤になっているといってもいい。それゆえに,逆に,お返しをしない人や周りの善意に「ただ乗り」するような人は嫌われる。あるいは法律で罰を受けることさえある。協力してもらったら,次は協力してあげる。これが社会のルールだ。

このような互恵性がチンパンジーでみられるかどうかを調べるため,コインと自動販売機を使った実験を行っている。透明なパネルで仕切られた2つの部屋に,チンパンジーが1人ずつ入る。コインを自動販売機に投入すると,自分ではなく相手にリンゴが出るという仕組みになっている。第55回では,チンパンジーのおとな同士が互いにコインを1枚ずつ入れあい,互いにリンゴを得る関係を継続させることを報告した。今回はもう一歩進んで,チンパンジーたちが,自分たちでルールを決めて役割交代するかどうかを調べてみた。

利他行動の役割交代

まず,2つの場面を設定した。実験者によって役割交代のルールが決められている「交互場面」と,役割交代がチンパンジー任せの「自由場面」である。

交互場面では,コンピュータで自動的に制御されたフィーダーを通して,チンパンジー2人にコインを1枚ずつ交互に供給した。たとえば,最初はマリにコインが1枚渡される。マリがコインを投入すると,隣の部屋にいるペンデーサにリンゴがひとかけら出て,同時にコインが1枚供給される。そのコインをペンデーサが投入すると,マリにリンゴとコイン1枚が出る。つまり,コインを1枚もっているのは常に片方だけで,コイン投入の役割は交互に交代する。

それに対し,自由場面では,最初に2人ともにコインが1枚ずつ渡された。コインが投入されると,相手にリンゴが出るとともに,コインを投入した方にコインが1枚補充される。つまり,常に2人ともコインを1枚ずつもっている。どちらがコインを投入してもいい。

おとなのペア3組で実験したところ,交互場面ではコイン投入が継続し,20分間に1人あたり約50枚のコインが投入された。しかし,自由場面では,コイン投入が継続しなかった。ペンデーサとマリの組では,初日は20分間にペンデーサが118枚投入したのに対し,マリは26枚だった。2日目は73枚に対して6枚,3日目は65枚に対して5枚,4日目には6枚に対して4枚と,投入するコインの数が徐々に減り,2人ともほとんど投入しなくなった。この結果は3組ともに,ほぼ同じだった。

チンパンジーたちは,自分たちでルールを決めて互いにコインを投入するということができなかった。しかし,「ルールづくり」の萌芽的な行動もみられた。ペンデーサは,自分がコインを投入しているにもかかわらず,相手のマリがコインを投入しないとき,パネルに開けられた直径20cmの穴を通してマリに手を伸ばし,コイン投入を促した(図1)。ペンデーサによるこのような催促は,合計12回見られた。すべてペンデーサがコインを投入したあとだった。自由場面では,この催促を受けたあとには,催促がなかったときに比べ,約4倍の割合でマリがコインを投入した。ペンデーサの催促にマリが応じたといえる。

しかし,それでも投入枚数の差は埋まらなかった。催促されても,せいぜい1~3枚しかマリが投入しなかったからだ。すると,ペンデーサは怒ってしまった。実験後,自分の頭上約2mの通路を通ってマリが帰ろうとしたとき,ペンデーサは飛びかかり,格子越しにマリを攻撃した。ペンデーサがこのような攻撃行動をみせたのは,ペンデーサとマリで,その日の投入枚数に差がみられたときだった。互いにコインを投入しあった日や,マリが投入しないがペンデーサ自身も投入しなかった日には,ペンデーサは攻撃しなかった。つまり,自分が協力しているにもかかわらず,お返しをしてくれない相手に対して「罰」を下したといえる。

互恵性の進化

チンパンジーの世界でも,「ただ乗り」は許されないようだ。これは,チンパンジーが,互恵性を成立させる上で非常に重要なメカニズムをもっていることを示唆している。ただ乗りする者は,周りからの恩恵を受け続けるばかりで自分はコストを払わないので,放っておくと一番得をしてしまう。だからといって,みんながただ乗りをしようとすると,互恵性は成り立たなくなってしまう。互恵性の進化を考える上で,ただ乗りを放置しないための対策が,非常に大きな意味をもっているのだ。

協力してもらったら協力のお返しをする。協力しない相手に対しては協力しない,あるいはなんらかの働きかけをする。これが互恵性を成立させる秘訣といえる。チンパンジーでは,この「お返し」にあたる行動は見られず,自発的に互恵的な協力関係を築くことができなかった。しかし,ただ乗りしようとする相手に対して催促や罰を与えるという行動が見られた。放っておくと,協力しない仲間をなんとか協力させるようにする。そこから互恵性は進化してきたのかもしれない。

このような行動を出発点として,社会生活を営む上で,わたしたちの行動を大きく左右する「規範」といったものが生まれ,ひいては思いやりや感謝の心といった社会性の進化につながったのではないかと考えている。

この記事は, 岩波書店「科学」2008年3月号 Vol.78 No.3  連載ちびっこチンパンジー 第75回『ただ乗りは許さない』の内容を転載したものです。