連載ちびっこチンパンジーと仲間たち 第153回 平田聡『ボノボの社会と認知研究』
ボノボの社会と認知研究
熊本のボノボ
熊本県宇城市,熊本サンクチュアリにボノボが6人いる。2013年末にアメリカ・サンディエゴ動物園から来た4人に(本連載148回参照),新たに2014年5月にアメリカ・シンシナチ動物園から2人が加わった。男性2人,女性4人の構成である。みんな,新しい熊本の環境にすぐに慣れた。それぞれに個性豊かでありながら、いかにもボノボらしい,チンパンジーとは違う側面を見せてくれる。
サンディエゴから来た4人と,シンシナチから来た2人は,1組の例外を除いて,熊本で初めて顔を合わせた。チンパンジーだと,見ず知らずの間柄のチンパンジーを会わせるのは,骨の折れる作業だ。最初は互いに敵対することが多い。野生チンパンジーの場合は,異なる群間で特に男性同士が争って、殺し合いの戦争になることもある。
ボノボの場合は簡単である。いきなり一緒にすればよい。女性同士だと抱き合ってホカホカをする。ホカホカは,ボノボに特徴的な行動だ。女性同士が,性器を互いにくっつけてこすりあわせるように動かす。友好的な行動である。男女の間柄だと性行動をする。出会ってすぐに,まるで旧知の間柄のように仲良くする。
ただ、ボノボがいつも必ず仲良しなわけでもない。喧嘩をすることもある。この場合,加害者は女性,被害者は男性であることが多い。熊本サンクチュアリのボノボたちでも,これまで何度か喧嘩がみられた。攻撃するのはいつも女性の同盟,攻撃されるのはいつも男性だ。つまり,複数の女性が結託して,男性を追い詰めてやっつける。ボノボは女権社会なのである。

野生のボノボ
野生でも、ボノボは異なる群れ同士が平和的に共存する。2010年夏,コンゴ民主共和国ワンバ村に野生ボノボを見に行ったときのことだ(図1)。ある朝, 目当ての群れを追跡していると, 知らないボノボが混じっているのに気づいた。隣の群れから来た男性や女性,その子どもたちだった。違う群れを出自にするボノボ同士が, まったく違和感なく普通にグルーミングをしたり性行動をしたり,遊んだりしていた。隣の群れのボノボたちは、結局1週間ほどこの群れに滞在して,一緒に過ごし、また元の群れに戻っていった。
人間は,ボノボ的な性質と,チンパンジー的な性質の,その両方を備えている。ボノボと同様に,初対面の人同士でも普通に一緒にいることができる。満員電車で見知らぬ人たちが身を接していても,いきなり争いにはならない。チンパンジーだとこうはいかないはずだ。その一方で,異なる人間集団の間で戦争も起こる。ボノボでは,群れ同士の戦争はまったく起こらない。
ヒトから見たとき,チンパンジーもボノボも遺伝的,系統的に同じ近さである。共通祖先が備えていた特徴は,モザイク的に、ヒト,チンパンジー、ボノボに受け継がれながら進化したと考えられる。

タッチパネルと道具使用
熊本サンクチュアリにボノボを導入したのは,認知研究を推進し、人間の本性の進化的起源を探るためだ。早速, タッチパネルを使った認知課題の練習を始めてみた。
最初に試したのは,男性のヨシキと女性のスズケン。タッチパネルに,大きな赤丸が現れる。その赤丸を触れば、ごほうびでリンゴの小片がもらえる。タッチパネルに触るには,その前にある透明パネルの小窓から手を挿し入れなければならない。映画「ローマの休日」の「真実の口」のようなもの.、といえば分かっていただけるだろうか。ヨシキは,恐る恐る,小窓に手を挿し入れた。そしてタッチパネルを触った。リンゴの小片が出てきた。すぐに理解したらしい。そのあとは,比較的早く, タッチパネルの赤丸を触ることを覚えた。
ヨシキの隣で,スズケンが見ていた。スズケンは,おもむろに,近くに落ちていた木の枝を拾った。そして,その枝で,タッチパネルを触ろうとした(図2)。どうも,透明パネルの小窓に自分の手を入れるのが恐いらしい。手ではなく、小枝を小窓に挿入する。そして,その小枝の先でタッチパネルをつつく。するとごほうびのリンゴ片が落ちてくる。この場合,小枝はまぎれもなく道具と言える。タッチパネルに触るための道具だ。
野生のボノボで道具使用は稀である。しかし、動物園など飼育下では,ボノボも普通に道具使用行動を見せる。道具使用の潜在的能力はもっている。それが,何らかの理由で野生ではあまり発揮されないようだ。
これまでチンパンジーを相手にタッチパネルの練習を繰り返しおこなってきた。しかし枝を道具にしてタッチパネルに触るのは一度も見たことがない。枝を道具にしたボノボに,独創的な知性の片鱗を垣間見ることができた。熊本サンクチュアリにボノボを導入した当初は, うまくいくのか心配のほうが大きかった。もう心配はない。今後の進展がますます楽しみになってきた。