連載ちびっこチンパンジーと仲間たち 第131回 平田聡,酒井朋子,竹下秀子『ヒトの脳はいかにして巨大化したか:チンパンジー胎児の比較発達研究』
ヒトの脳はいかにして巨大化したか:チンパンジー胎児の比較発達研究

ヒトは大きな脳をもつ
人類の脳の大きさは、ホモ(Homo)属の登場以降、急速に拡大してきた。とくに大脳は、他の霊長類に比べて、飛びぬけて大きく発達している。ヒトを特徴づける高次な認知機能は、こうした巨大な脳に支えられている。
ヒトはいかにして大きな脳をもつようになったのか。その手がかりを得るために、チンパンジーの胎児期の脳の成長を調べる研究をおこなった。えられた結果をヒトでの知見と比較することで,脳の発達の進化を推定する。脳の巨大化を、その「進化」と「発達」の双方から眺める試みである。
赤ちゃんとして生まれてきた時点で、チンパンジーとヒトの脳の大きさは異なる。チンパンジーの新生児の脳容積は約150ccである一方、ヒトの新生児の場合は約400ccだ。こうした違いがいつどのように生じているのか、これまでまったくわかっていなかった。ヒト以外の霊長類の赤ちゃんの母体内での発達変化を調べた研究がほとんどなかったからである。
林原類人猿研究センターで2007年末から2008年初に妊娠したチンパンジー2個体を対象に、超音波画像診断装置を使って胎児の様子を観察した(図1)。超音波画像診断装置は、人間の産婦人科で妊婦・胎児の検査に一般的に使われるもので、同じ機械をチンパンジーにも適用できる。同センターの研究員とチンパンジーとの間に築かれた信頼関係にもとづいて、リラックスした状態でチンパンジー妊婦に研究に臨んでもらうことができた。得られた胎児画像から、脳の大きさを測定してみた。

チンパンジー胎児の脳成長-加速と停滞
推定受胎日を起点として数えた胎齢9週ころから、胎児の様子を画像として捉えることができるようになった(図2)。そして、胎齢15週前後から、脳の大きさに関して信頼できる測定値が得られるようになった。ヒトの場合も、過去の研究で胎齢16週から脳容積の測定がおこなわれている。チンパンジー胎児の場合、胎齢16週での胎児の脳の容積は約16ccだった。ヒト胎児の同時期では平均33.6ccである。この時点でチンパンジー胎児の脳の容積はヒトの約半分ということになる。
その後しばらく、チンパンジー胎児の脳容積は加速度的に成長した。胎齢16週での脳容積の成長速度は推定約6cc/週である。1週間で6ccの増大があったということだ。これが胎齢20週を過ぎるころには10cc/週を超える成長速度になった。ヒトの場合も、この時期は脳容積が加速度的に成長する。つまり、チンパンジーでもヒトでも、胎齢20週頃までは、加速度的に成長するというパターンは共通だった。
しかし、妊娠中期にあたる胎齢20週~25週ころに、大きな違いが現れた。チンパンジー胎児の脳容積の成長速度が、そこで頭打ちになるのである。つまり、成長の加速が妊娠中期に止まる。一方、ヒトの場合は、妊娠後期まで脳容積の加速度的な成長が続くことが明らかになっている。
チンパンジーの妊娠期間はおよそ33週~34週であり、ヒトの妊娠期間は平均38週である。ヒトの妊娠期間がチンパンジーより約1カ月長いということや身体全体の成長パターンが違うことも、出生時の赤ちゃんの脳容積の違いの一因であろうことを補足しておきたい。ヒトの赤ちゃんは身体そのものが大きく生まれるのだ。
ヒトの脳の巨大化は胎児期から
ヒトは出産直前まで加速度的に脳を増大させ、チンパンジーの場合は妊娠中期にすでに加速を止める。言い換えれば、ヒトの脳の巨大化は胎児期からすでに始まっているといえる。胎児期の後期まで脳容積の成長が加速し続けるという発達様式は、ヒトの祖先がチンパンジーとの共通祖先から分かれた後、ヒトの系統で独自に獲得した特徴であると考えられる ことが示唆される。
するとそこから、次の疑問がわいてくる。なぜチンパンジーは妊娠中期に脳容積の成長の加速が止まるのに、ヒトでは妊娠後期まで加速が続くのだろうか。
ヒトの胎児の研究から、妊娠中期以降に、脳内の神経回路網形成のためのさまざまな現象が起こることか知られている。軸索やサブプレートの形成、シナプス結合、グリア細胞増殖などである。こうした現象と、脳成長の加速度的増大とが関連している可能性がある。
われわれの研究をきっかけに、ヒトの脳の巨大化の進化的理解に関するさらなる研究の発展があることを期待したい。ヒトのヒトらしさを探るには、出生後だけでなく胎児期にも目を向けることが重要だと言えるだろう。
(世界で初めてチンパンジー胎児の脳成長が明らかに:ヒトの脳の巨大化はすでに胎児期からスタート)
https://doi.org/10.1016/j.cub.2012.06.062