チンパンジーの出産メカニズムはヒトと同様である：強い信頼関係から間近で出産を観察・記録できたことによる新知見

飼育下チンパンジーの出産3例を間近から撮影したビデオ記録に基づいて研究した結果、チンパンジーの新生児が生まれる際に、赤ちゃんの顔が母親の背中側を向いて産道から現れ、その後、旋回することを確認しました。この成果がロンドン王立協会発行の学術誌「Biology Letters」に掲載されました。

「出産メカニズム」とは、赤ちゃんが母親の子宮から産道を通って母体外に出てくる過程での赤ちゃんの体勢変化のことを指します。赤ちゃんが母親の背中側を向いて出てくる出産メカニズムは、これまでヒトに特有のものと考えられてきました。人類学者は、ヒトの出産では赤ちゃんの顔が母の背中側を向いて生まれることから「助産師」が必要になったのではないかと論じてきました。我々の研究報告は、ヒトの出産の進化に関する定説の再考を迫るものと言えます。

ヒト以外の霊長類の出産場面が研究者によって観察されるのは極めて稀なことです。一般に、出産する際に母親は安全なところに隠れるようにして産む傾向が強く、また、どのタイミングで出産するのか正確には分からないため、研究者がその場面を観察できる機会は非常に限られているからです。

林原類人猿研究センターにおいて、2005年7月から2008年9月の間に、3例のチンパンジーの出産がありました。そして3例とも、出産時にセンターのスタッフが母親チンパンジーと同じ部屋に入って出産の様子をビデオで録画しました。これには、１）定期的なホルモン検査によって出産時期を予想し、出産予定日より十分さかのぼった日から24時間体制でスタッフが監視を続けたこと、そして、２）チンパンジーとスタッフとの間に非常に強い信頼関係があったこと、以上の２つの理由を挙げることができます。これによって、これまでになく至近距離から、チンパンジーが出産する姿を鮮明にビデオに収めることができました。学術的に非常に貴重な記録と言えます。

このビデオ記録をもとに、滋賀県立大学・人間文化学部の竹下秀子教授(比較発達学)と共同研究を進めるなかで、チンパンジーの出産時の赤ちゃんの体勢を再確認しました。その結果、チンパンジーの出産時の赤ちゃんの体勢が、これまで推定されてきたものとは違うことが判明しました。

人類学では、ヒトの2足歩行にともなって骨盤の形が進化し、また、頭が大きくなったことで、出産の様式も特殊化したと考えられてきました。ヒトの赤ちゃんの顔が母親の背中側を向いて産道から現れ、また、産道を通過する過程で頭と体が少し旋回するのは、こうした影響によるヒト独自のものであると考えられてきました。

一方、従来の説では、ヒト以外の霊長類の赤ちゃんは母親のお腹側を向いて出てくるとされてきました。これによって、母親は、出産直後に赤ちゃんを自分の胸に引き寄せて対面型で抱くことができると考えられるからです。

ヒトのように、赤ちゃんの顔が母親の背中側を向いていると、産道から出た直後に引き寄せて対面型で抱くのは難しくなります。このことから、人類学者は、ヒトでは助産師のような出産の補助者が必要になったと考えてきました。しかし、こうした従来の説は、ヒト以外の霊長類に関する十分な実例に基づいていませんでした。

今回、我々は、チンパンジーの赤ちゃんの顔が母親の背中側を向いて出てくることをビデオ映像から明らかに示しました。これは、出産様式の進化に関して、従来論じられてきたことに再考を迫る観察結果です。

これまで、道具使用や狩猟など、ヒト特有のものと考えられてきたさまざまな行動を実はチンパンジーもおこなうことが過去の研究によって示されてきましたが、出産様式についてもその例外ではないと言えます。