チンパンジーも他者の表情を素早く察知 -脳波測定による解明-

Brain response to affective pictures in the chimpanzee

Satoshi Hirata, Goh Matsuda, Ari Ueno, Hirokata Fukushima, Koki Fuwa, Keiko Sugama, Kiyo Kusunoki, Masaki Tomonaga, Kazuo Hiraki, Toshikazu Hasegawa

DOI: 10.1038/srep01342
概要

平田聡・京都大学霊長類研究所特定准教授らの共同研究グループは、チンパンジーが情動的画像を見る際の脳内処理について、世界で初めて脳波測定によって明らかにしました。チンパンジーのおびえた表情などを捉えた情動画像と、穏やかにくつろぐ姿などを捉えた中立画像をチンパンジーに見せ、その際の脳波を比較したところ、画像が表示されてからおよそ210ミリ秒(0.21秒)以降に両者で明確な違いが生じることを発見しました。
この成果は、2013年2月26日(英国時間)に、英国の総合科学誌ネイチャーの姉妹誌「Scientific Reports」に掲載されました。

1.背景

これまで、ヒト以外の動物の「情動(喜怒哀楽)」に焦点を当てた研究はさほど多くおこなわれてきませんでした。しかし一方で、私たちは、日常生活の中で、ヒト以外の動物にも情動・感情があることを前提にした会話をよく交わします。例えば、イヌが尻尾を振って喜んでいるとか、ネコが毛を逆立てて怒っている、などの表現です。こうした情動は基本的に主観的なものであり、言葉を話さないヒト以外の動物が実際に主観的にどう感じているのかを科学的に調べるのが難しいという理由で、情動の研究はあまりおこなわれてきませんでした。
ただし、生理学的な指標を用いて測定し、ヒトを対象とした研究と比較しながら、ヒト以外の動物における情動的側面を類推するという手法は有効です。ヒトを対象とした研究の中で、脳波測定による知見が比較的多く蓄えられてきました。今回、我々の研究グループは、情動的な画像を見た際のチンパンジーの脳波を測定することに成功しました。ヒト以外の霊長類を対象として情動的処理過程を調べた脳波研究は過去に類例がなく、世界初の成果といえます。
3つのポイントが挙げられます。1つ目は、チンパンジーで脳波を測定した点です。これまでの我々の研究によって、無麻酔の状態での大人チンパンジーの脳波測定に世界で初めて成功していました。今回の成果も、その一連の研究として位置付けることができます。

ミズキ
図1:脳波測定にのぞむチンパンジー、ミズキ(メス、11歳)。脳波測定用の電極を頭部に装着している。

2つ目のポイントは、過去におこなわれた研究との関連性です。先行研究で、チンパンジーの情動と記憶との関係を調べた研究があります(Kano, F., Tanaka, M.& Tomonaga, M. Enhanced recognition of emotional stimuli in the chimpanzee (Pan troglodytes). Anim. Cogn. 11, 517?524 (2008))。人間において、平凡な事象よりも情動的な事象のほうをよく記憶しているという現象が知られていますが、チンパンジーも同様である可能性が示されています。今回の我々の研究では、この先行研究で用いられた画像とまったく同じものを使いました。これらの画像を見た際のチンパンジーの脳波を測定することで、情動的な画像に対して脳内で実際に特別な処理がおこなわれるのかを探ることを目的としました。

ボッソウ野生チンパンジー 情動画像-中立画像
図2:研究に用いた画像(ギニア共和国ボッソウ地域の野生チンパンジー研究により撮影されたものから)。3枚の情動画像と、12枚の中立画像からなる。これらの画像を1枚ずつモニター上に提示し、これを見た際のチンパンジーの脳波を測定した。情動画像では、画像の中のチンパンジーが何らかの情動表出をしている。中立画像では、画像のチンパンジーは特に情動表出はしていない。

3つ目のポイントは、これらの画像が、チンパンジーの情動表出をした表情を捉えた画像であるという点です。他人の情動を顔の表情から推測する能力は、社会生活を営む上でとても重要です。例えば機嫌の悪そうな人に近づかない方が身のためでしょうし、楽しそうな人には近づいた方が自分にとっても楽しいことがあるかもしれません。こうした他者の表情をうかがう能力は、これまでヒト以外の動物ではあまり研究されてきませんでした。

2.研究手法・成果

林原類人猿研究センター(岡山県玉野市)のチンパンジー・ミズキを対象に脳波測定をおこないました。野生チンパンジーが映った画像をモニター上に1枚ずつ提示し、これを見た際の脳波を計測したものです。画像は合計15枚で、情動画像と中立画像の2種類に分けることができます。野生のチンパンジーのおびえた表情などを捉えた情動写真と、穏やかにくつろぐ姿などを捉えた中立写真です。チンパンジーの頭部の5箇所(それぞれFz、Cz、Pz、T5、T6と呼ばれる位置)に電極を装着し、これらの電極で計測される脳波を記録しました。画像1枚あたり800ミリ秒(0.8秒)間モニター上に提示しました。 その結果、画像がモニター上に表示されてから210ミリ秒(0.21秒)以降において、情動画像に対する脳波と中立画像に対する脳波が異なることが明らかとなりました。チンパンジーが映像のみから他者の情動状態を判別し、しかもその処理が映像を見てからわずか0.2秒後には始まっていたことを示しています。ヒトを対象とした類似の研究で同じような結果が得られており、情動画像に対して特別な注意が向けられたことを反映する脳活動であると考えられています。チンパンジーでも同様に、情動画像に対して特別な脳内処理がおこなわれたことを示します。 ヒトのコミュニケーション能力の進化を探る上で、最も進化的に近い存在であるチンパンジーの能力を探ることは非常に有用です。ヒト以外の霊長類を対象として情動の処理過程を調べた脳波研究は過去に類例がなく、世界初の成果です。他者が情動表出している際に素早くそれを察知して特別に注意を向けることは、適応的にも有意義であると考えられます。今回の研究から、チンパンジーにおいてもそうした現象があることが裏付けられました。チンパンジーが音声や接触によってコミュニケーションを図ることは以前から知られていましたが、今回の成果により、チンパンジーが音声や直接的な接触にはよらない高度なコミュニケーション能力を持っている可能性が脳機能レベルで示されたことになります。

図3:情動画像と中立画像に対する脳波。赤線が情動画像に対応し、青線が中立画像に対応する。
3.波及効果

われわれ人間の「心」は、進化の長い過程の中で形作られたものです。ヒト以外の動物とも、様々なレベルで類似性、連続性があります。心の進化的基盤を探る研究の枠組みにおいて、本研究は、1)情動に関わる処理過程に着目し、2)その脳内機構をヒトに最も近縁なチンパンジーを対象に調べたという点において革新性があります。心の進化を探る新たな窓を開いた研究と位置付けることができます。

4.今後の予定

「心」の進化的基盤を探るために、多様な生物を対象にした比較研究がおこなわれるようになってきましたが、これまでのそうした研究は、「知(知性/知能)」の側面に偏りがちで、「情」に焦点を当てた研究はあまりおこなわれてきませんでした。ヒトに最も近縁なチンパンジーの「情」に注目した研究を通じて、「心の進化」の総合的理解を目指したいと考えています。

用語解説

脳波
頭皮上で観察される電位変化。大脳皮質の神経活動によって生じた脳の各所の電位変化が、脳組織や頭蓋骨を伝わって、表面の頭皮上に現れたもの。頭皮の表面に電極をつけて記録することができる。横軸に時間、縦軸に電圧をとってその変化を見ると波のように見えるので、脳波と呼ばれる。

研究組織
  • 平田聡(京都大学霊長類研究所)
  • 松田剛(東京大学総合文化研究科)
  • 上野有理(滋賀県立大学人間文化学部)
  • 福島宏器(関西大学社会学部)
  • 不破紅樹(林原類人猿研究センター)
  • 洲鎌圭子(林原類人猿研究センター)
  • 楠木希代(林原類人猿研究センター)
  • 友永雅己(京都大学霊長類研究所)
  • 開一夫(東京大学総合文化研究科)
  • 長谷川寿一(東京大学総合文化研究科)
本研究への支援

本研究成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
1)21世紀COEプログラム
「心とことば-進化認知科学的展開」(拠点番号:J05)
代表者:長谷川寿一(東京大学大学院総合文化研究科・教授)
2)科学研究費補助金 基盤研究(A)
「ヒトとロボットの原初的コミュニケーションに関する発達認知神経科学的研究」(課題番号:18200018)
研究代表者:開一夫(東京大学大学院総合文化研究科・教授)
3)科学研究費補助金 基盤研究(B)
「表象形成の多様性、多重性、階層性 ─比較認知発達科学からのアプローチ─」(課題番号:19300091)
研究代表者:友永雅己(京都大学霊長類研究所・准教授)
4)科学研究費補助金 基盤研究(S)
「海のこころ、森のこころ─鯨類と霊長類の知性に関する比較認知科学─」(課題番号:23220006)
研究代表者:友永雅己(京都大学霊長類研究所・准教授)
5)科学研究費補助金 特別推進研究
「知識と技術の世代間伝播の霊長類的基盤」(課題番号: 2400001)
研究代表者:松沢哲郎(京都大学霊長類研究所・教授)
6)科学研究費補助金 基盤研究(S)
「意識・内省・読心-認知的メタプロセスの発生と機能」(課題番号:20220004)
研究代表者:藤田和生(京都大学大学院文学研究科・教授)

本研究は林原類人猿研究センター(岡山県玉野市)において同センターのチンパンジーを対象におこなわれました。平田はこの研究当時、林原類人猿研究センターに主席研究員として在籍していました。

Abstract

Advancement of non-invasive brain imaging techniques has allowed us to examine details of neural activities involved in affective processing in humans; however, no comparative data are available for chimpanzees, the closest living relatives of humans. In the present study, we measured event-related brain potentials in a fully awake adult chimpanzee as she looked at affective and neutral pictures. The results revealed a differential brain potential appearing 210 ms after presentation of an affective picture, a pattern similar to that in humans. This suggests that at least a part of the affective process is similar between humans and chimpanzees. The results have implications for the evolutionary foundations of emotional phenomena, such as emotional contagion and empathy.

Article Information
Hirata, S., Matsuda, G., Ueno, A., Fukushima, H., Fuwa, K., Sugama, K., Kusunoki, K., Tomonaga, M., Hiraki, K., & Hasegawa, T.(2013)Brain response to affective pictures in the chimpanzee Scientific Reports , 3, 1342 10.1038/srep01342