出典:岩波書店「科学」2009年7月号 Vol.79 No.7
 連載ちびっこチンパンジー 第91回 森村成樹・藤澤道子・野上悦子・鵜殿俊史・小林久雄・伊谷原一・松沢哲郎『チンパンジー・サンクチュアリ・宇土の2年間』

チンパンジー・サンクチュアリ・宇土の2年間

チンパンジーの群れづくりをめざして

日本初のチンパンジー保護施設「チンパンジー・サンクチュアリ・宇土(CSU)(註:2011年8月1日「チンパンジー・サンクチュアリ・宇土」は「京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリ」として生まれ変わりました。)」(第70回参照)が誕生して,2009年4月で2年が経った。現在,男性35人,女性25人の合計60人がいる。

開設当初79人いたが,約1/4がいなくなった。病気で亡くなったのが4人,残り17人は動物園に引き取られた。広島市安佐動物公園,高知県立のいち動物公園,よこはま動物園ズーラシア,京都市動物園の4園である。逆にのいち動物公園から2人を引き取った。2年間で,約1/4を動物園にひきとってもらったことになる。

この2年間で大きく変化したのは,すべてのチンパンジーが集団で生活できるようになったことだ。スタート時点では79人のうち22人がひとり暮らしを強いられていた。飼育施設をサンクチュアリ(保護施設)にし,群れづくりを進めた。今では59人が,11の集団に分かれて暮らしている。失明しているカナコだけは群れで暮らせないので,人間が同じケージに入って相手をしている。どのような状況でも,チンパンジーをひとりぼっちにしない。それを飼育の原則とした。野生チンパンジーは,必ず集団で暮らしているからだ。

男性だけの群れづくり

サンクチュアリ発足以前からおこなっていた群れづくりの試みの結果,ひとりぼっちの男性が大勢いた。一般に,男性同士のケンカは大けがにつながるからだ。

サンクチュアリとなってから,ひとりぼっちの男性を集めて群れづくりを試みた。自然の生息地ではありえない。しかし,ひとりぼっちよりは仲間がいるほうが社会的には正常だ。2008年5月,男性14人が個別に暮らしていた長屋で6人と8人の2群れの男性集団をつくることにした。

まずは6人の群れづくりを試みた。同じ長屋暮らしで互いをすでに知っている。個室(16m2)を仕切る扉を開放し,まず,最も順位の低い2人を一緒にする。このペアに,チンパンジーを1人,さらに1人と順次加える。開放する個室を1つずつ増やし空間を徐々に広げ,最後に順位の最も高い個体を一緒にした。いくら強くても,あとから加わって,すでに落ち着いて結束した5人を攻撃するのはむずかしい。約30分で全員を一緒にした。この過程で,もちろん大騒ぎもあったが,重傷を負ったチンパンジーはいなかった。

次に,残る8人の男性の群れづくりも同様におこなった。1点違うのは,6人の集団が,すでに隣にできていたことだ。新しく同居を始めた8人は,そのなかでケンカをするよりも,隣の6人の集団に向かってディスプレイをしたり,口に溜めた水を吐きかけたりした。男たちは,合流して1時間ほどで,遊んだりグルーミングをしたりし始めた。現在でも,もちろんケンカはある。しかし今でも一緒に生活している。こうしてひとりぼっちのチンパンジーは,2008年5月を最後にいなくなった。

動物園への引越し

チンパンジーは,日本の約50の動物園で飼育されている。しかし,全体の約1/3は。 1人だけか2人だ。しかも同性のペアもいる。これでは子どもは生まれない。サンクチュアリで群れづくりをして,動物園へのチンパンジー譲渡を積極的に推進しようと考えた。

CSUのチンパンジーは,国内動物園のチンパンジーと交流が乏しく,血縁関係がない。一方,国内の動物園では特定の家系の子孫だけがたくさんいる。そこで,動物園に移動して子孫を残せば,国内集団の遺伝的多様性を保つのに役立つ。またたとえば未経産の女性だけがいる動物園に,CSUの経産の女性が移動して繁殖すれば,未経産の女性は交尾や出産や育児を学ぶことができる。 CSUのチンパンジーが動物園に移動することが,国内個体群全体の遺伝的多様性を保持する一助となる。移動に際しては,チンパンジーのストレスを少しでも緩和するよう施設間で協力した。移動する個体がCSUで暮らす様子を移動先のスタッフに見ていただいた。移動前の状況を知っていれば,移動後の異変に早く気がつく。そしてチンパンジーに馴染みのCSUスタッフが移動先まで随行した。受け入れるときは逆のことをおこなう。

2008年6月,ケニーとトーンが馴染みのスタッフに付き添われてCSUに来た。2人とも男性集団に加わった。以前からCSUにいた男性たちとの間で,もちろん繰り返しケンカになった。しかし,半年が過ぎた頃には,ケニーもトーンも仲間と笑って遊ぶようになった。「チンパンジーが笑う山」はCSUのキャッチフレーズである。現場担当者の協力を得て,移動したチンパンジーが笑うようになるまで見守る。引越しを通じて,チンパンジーも人間もそれぞれが互いに友だちという,生きたネットワークができつつある。

今後の課題

最近,うれしいニュースが入った。広島へ嫁いだミキと,高知のサンゴにそれぞれあかんぼうが生まれた。しかもサンゴの子どもは双子で,無事育っている。我がことのようにうれしい(註3)。引越しで空いた空間を活用して,CSUではより大きな群れをつくる計画を進めている。また医学感染実験に使われて,C型肝炎キャリアとなったチンパンジーの治療法を探す努力も続けている。

東京大学,京都大学,国立遺伝学研究所が連携する大型類人猿情報ネットワークを通じて,こうした活動を動物園と共有できれば,日本全体のチンパンジーの生活を農かにできるだろう。同時に,交流によって,各動物園のよいところを互いに学びとれる。生きたネットワークを海外に広げれば,国際的な血統管理システムの構築にも寄与できる。チンパンジーが結んでくれた縁を,たいせつに育てたい。

この記事は, 岩波書店「科学」2009年7月号 Vol.79 No.7  連載ちびっこチンパンジー 第91回『チンパンジー・サンクチュアリ・宇土の2年間』の内容を転載したものです。

カナコと同室するサンクチュアリスタッフ



サンゴと双子とコユキ
左がサンゴ。お腹の上に,あかんぼう2人が上下に分かれて寝ている。右にいるコユキは未経産。サンゴの出産によって,コユキは初めてあかんぼうを見た。 写真(1~3枚目)出典: Morimura N, Idani G, Matsuzawa T The first chimpanzee sanctuary in Japan: an attempt to care for the “surplus” of biomedical research. American Journal of Primatology, Volume 73, Issue 3, pages 226-232
ミキとハル
写真提供: 広島市安佐動物公園

註3: ミキ・サンゴ出産の後にも, サンクチュアリ由来のチンパンジーからあかんぼうが生まれています。

2011年東山動植物園で,カズミがリキを出産しました。   写真提供:名古屋市東山動物園




2012年よこはま動物園ズーラシアで,サチコ・ケンジの間にフクが生まれました。 写真提供:横浜市立よこはま動物園ズーラシア