連載ちびっこチンパンジーから広がる世界 第202回 村山美穂『DNAのメチル化を利用したチンパンジーの年齢推定』
DNAのメチル化を利用したチンパンジーの年齢推定


図:熊本サンクチュアリで飼育されているノノ(GAIN登録番号479)の,20年前(左)と現在(右) (鵜殿俊史研究員提供)
DNAから何がわかる?
私の所属する京都大学野生動物研究センターは,2008年4月に野生動物に関する教育研究を通じて,地球社会の調和ある共存に貢献することを目的としてスタートし,今年設立10周年を迎えた。チンパンジーも含めた多くの種が絶滅の危機に瀕している。彼らを保全するためには,野外での生息環境を確保する「域内保全」と同様に飼育下の集団を健全に維持し展示を通して動物に関する知識を深める「域外保全」も重要だ。そこで私たちは,国内および海外の生息地に設置した研究拠点や,連携する動物園や水族館など飼育施設において研究活動を行い,海外の研究者とも協力しながら,野生動物を様々な角度から理解し,保全に貢献できる情報を得ようとしている。
動物の研究というと,直接観察や,行動の実験をイメージする人も多いだろう。しかし,野外では動物に直接出会えないことが多い。夜行性だったり,人を見ると逃げてしまったりする。飼育下でも,血縁や生理状況など,外見からわからないことは多い。そんな場合もフンなら拾うことができ,含まれるDNAを調べると,個体識別や血縁関係など,様々な情報が得られる。その動物の情報だけではなく,腸内の細菌の種類や,食べた植物の種類もわかる。さらにフンに含まれるホルモンを測定すると,繁殖周期などの情報も得られる。私の分野では,こうした情報を,観察から得られた情報とつなげる研究をしている。
年齢はDNAからわかる?
こんなに便利なDNAだが,年齢を推定するのは難しいと思われていた。 DNAに記されている遺伝情報は,体のどこの細胞も同じで,一生変わらない。だから個体の識別にも使うことができる。チンパンジーのような寿命の長い種では,年齢の情報は重要だ。外見で年齢が推定できるのは,体の成長が続く12歳ぐらいまでだが,50歳以上生きる個体もいる。野外では長期の観察が難しい場合も多い。年齢は,死後には骨や歯の状態からある程度推定できるが,生きた状態で,採血などはせずに,フンのDNAを手がかりに推定するのが理想だ。野生集団の年齢構成がわかれば,生態の研究に画期的な進歩が期待できる。観察ができる群ならば,移入した個体の年齢,ライバル同士の年齢差,病気が多い年齢,といった情報と合わせ,豊かな考察ができるだろう。
年齢によるDNAの変化を捉えることはできないだろうか。私たちはメチル化に注目した。DNAの配列中のシトシンにメチル基が付加され,メチル化シトシンになることで,遺伝子発現,すなわちDNAの配列にもとづいてタンパク質がつくられる過程が制御されている。メスの片方のX染色体の不活化,片親由来の遺伝子が不活化される現象,臓器によって発現の異なる遺伝子,癌細胞での遺伝子発現,などの事例がある。近年,ヒトの法医学分野で,特定の遺伝子のメチル化の程度が年齢によって異なることを利用した年齢推定が検討されている。しかし研究は発展途上で,実用化はまだできていない。私たちはこのテーマに挑むことにした。
チンパンジーの年齢を推定する
京都大学の熊本サンクチュアリには,10歳から48歳までのチンパンジー,55個体が飼育されており,年齢とメチル化が関連するかの検証に適している。ヒトで報告された年齢に伴うメチル化変動の指標となる候補の3遺伝子を,チンパンジーで調べた。2歳から39歳当時に,健康診断で採血した血液からDNAを抽出し,バイサルフェイト処理という特殊な化学処理をした。この処理後に塩基配列を解析すると,メチル化シトシンはシトシンとして,メチル化されていないシトシンはチミンとして読まれる。処理前の塩基配列と比べて,シトシンがチミンに変化した割合から,メチル化の程度がわかる。年齢との関連を解析した結果,EL0VL2という遺伝子のメチル化は年齢に伴って増加し,他の2つの遺伝子は年齢とともに滅少する傾向がみられた。この傾向はヒトの既報とも一致していた。また長期の飼育実績が,ある施設ならではの,同一個体の比較も行った。8個体の若いときと20年後の比較では,個体差はあったが,年齢に伴うメチル化の変化がみられた。関連の大きかったEL0VL2とCCDC102Bという2つの遺伝子のメチル化と年齢の相関係数は0.74,誤差は5.4年であった。このようにしてできた規準にもとづいて,ある程度の年齢推定が可能と考えられる1。
メチル化は個体差や環境に影響され,年齢推定の誤差の原因になる可能性がある。精度の高い規準をつくるには,個体数を増やし飼育情報もふまえて検証する必要がある。多数試料を解析するために,安価な簡便法も検討している。さらに多様な種への応用を目指して,ペンギンなどの鳥類でも,飼育施設のご協力で,年齢のわかる試料を集め,解析を始めている。また野外調査に実用化するため,フンや羽根などでの応用可能性も探っている。