連載ちびっこチンパンジー 第14回 田中正之『チンパンジーの学び方』
チンパンジーの学び方
チンパンジーの学び方を称して, 「徒弟制(master-apprenticeship)」と呼ぶことがある。子どもは師匠であるおとなたち,とくに母親のしていることを熱心に見て,自分で試してみることによって習得していく。これは野生チンパンジーの観察でだけ見られるものではない。霊長類研究所のちびっこチンパンジーたちも,これまでの成長の過程で,道具使用などで同様の学び方を見せてくれた。今回は,コンピュータの「勉強」の場面を通しても同様に見えてきた,チンパンジーの子どもの学び方について紹介したい。
今回は,パルとその母親パンの親子についての話である。アユムと同様に,パルも生後8ヵ月からコンピュータを使った勉強を始めた。このことは,第9回でお知らせした。パルは2002年の6月,1歳10ヵ月のときから新たな勉強を始めた。
この勉強は「ツインブース」と名づけた,八角形を2つくっつけた形の勉強部屋でおこなっているそれぞれの部屋には1つずつ,タッチパネルの付いたモニターが設置されている。片方は画面が小型で取付け位置が低く,子どもが座ってちょうどよい高さに画面がある。もう一方は大きめの画面でおとなが座って操作のしやすい高さに設置されている。問題はどちらのモニターでも同じ。面面に提示される赤と黄色の四角形を,赤,黄色の順に押せば正解となる。正解するとリンゴ片やレーズンなどのごほうびがもらえる。最初に黄色の四角を押すと,ブザーが鳴って間違いであることを知らせる。問題は全部で20問。母と子は,どちらのモニターで問題を解いてもよい。このような状況で母子が一緒に勉強をするときに,子どもがどのように振る舞い,課題を学習するかを観察した。
この勉強を始めた日,タッチパネルの勉強に慣れている母親のパンは,躊躇なく,大きめの画面の「おとな用」モニターに向かって問題を解き始めた。パルは装置をやや警戒しているようだったが,母親が問題を始めると,向かっている画面を覗き込んだ。そしてパンが問題を解いて得たごほうびをもらおうとした。やがてもう1つのモニターに気づき,画面に向かった。まるでおもちゃで遊ぶかのようにめちゃくちゃに画面に映った図形を触った。時おり画面の前を離れることはあったが,初日から20問をひとりで終えた。
毎日1回この勉強をするようになって6ヵ月が過ぎた。母親のパンはこの勉強をほぼ習得したが,パルの方ではまだ何度も間違いを知らせるブザー音が聞こえる。習得までにはまだ時間がかかりそうだ。個々の課題の習得以外に,この勉強を通して2つのことが見えてきた。
1つ目は,子どもがお母さんの使う装置を触りたがることだ。この勉強を始めて11日目のことだった。パルはツインブースヘの入口の扉が開くと,まっすぐに「おとな用」モニターに駆けていき,1問を解いた。パルはその後も問題を続けようとしたが,後からやってきたパンに押しのけられた。この日以降,パルはほぼ毎日,まずおとな用モニターに向かうようになった毎回,数問解くだけで母親に押しのけられる。どちらのモニターもまったく同じ問題が出されるし,もらえるごほうびも同じだ。それなのに,おとな用モニターだけで争奪戦が起こる。母親に押しのけられた後,パルは子ども用モニターに向かって問題を解くのだが,先に子ども用モニターに向かったことは一度もない。
もう1つわかったことは,パルが子ども用モニターでは熱心に問題をしないことだ。この勉強では,間違った方を押してもブザーが鳴るだけで,問題が終わってしまうことはない。問題に取り組んでさえいれば,必ずごほうびがもらえる。しかし,パルはあまり熱心に取り組まない。数問解いては天井にぶら下がってみたり,母親の側のブースに移って何をするでもなく座っていたりする。母親のパンが取り組んでいる問題に,横から割り込んでいくことはあっても,「自分用」の問題はあまり解こうとはしない。
今回のパルの様子を見ていて気がついた。パルは,母親が手を出さない物に対して触りたがらないのかもしれない。母親が解いている問題は割り込んででも解こうとしているのだから,単に勉強が嫌いなのではない。母親から離れて自分ひとりでしなければならない勉強が嫌いらしい。そしてそれは食べ物がもらえることでは補えないようだ。
このような目で見ると,これまでのちびっこチンパンジーたちの学習は,いずれも母親たちの行為に介入する形で,母親の操作している対象に対して起こっていることに気づく。子どもたちは,母親が扱っている物に対してきわめて強い興味を示す。すぐそばに同じ物があっても,母親が扱っている物に触りたがる。今回の結果が示唆することは,子どもたちのそういった傾向が,母親のそばにいる方が食べ物にありつけるといった損得勘定によるものではないということだ。
子どもたちは成長して,やがて親と同じことをしようとする。うまくできなくても,親を見ながら,何度も何度も試みる。それを支えているのは,親と同じことをしたいという,子どもの強い思いなのだろう。

