Published: November 3, 2021

チンパンジーは死体の匂いを避ける

Putrescine--a chemical cue of death—is aversive to chimpanzees

James R Anderson, Hanling Yeow, Satoshi Hirata
チンパンジーは死を予感させる化学物質「プトレシン」を避ける
DOI: 10.1016/j.beproc.2021.104538
概要

プトレシンは、死体から放出される化学物質です。特有のにおいがあって、死臭の一因となっています。人間を含む多くの動物で、プトレシンを避けたり、プトレシンを発する物を取り除いたりする行動が見られます。、死体からの病気の感染を防ぐためなどに、このようなプトレシンに対する行動メカニズムを進化させてきたと考えられます。人間に一番近い生き物であるチンパンジーがプトレシンのにおいをかいだ時にどのような行動をするか、これまで調べられていませんでした。

そこで、京都大学野生動物研究センターのJames R. Anderson名誉教授、Hanling Yeow同博士課程学生、平田聡 同教授らは、京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリに飼育されているチンパンジーに、プトレシンのにおいをかがせてみました。容器に入った液状のプトレシンをチンパンジーの前に置いて、小型扇風機でチンパンジーに向けて風を送ることで、プトレシンのにおいをチンパンジーに向けて発しました。その結果、チンパンジーは、プトレシンに近寄らず、プトレシンから離れた場所に留まっていました。比較対象として、容器に入った液状アンモニアや水をチンパンジーの前に置いて小型扇風機で風を送りましたが、プトレシンで見られたように避ける行動はありませんでした。これらの結果から、チンパンジーは死体の匂いであるプトレシンを避ける傾向があると言えます。動物が「死」をどのように感じ、「死」にどのように対応するのかといった学問的な問いを扱う「死生学」と呼べる研究が新たに出てきています。今回の研究成果は、そうした動物の死生学の進歩に寄与するものと言えます。

本成果は、2021年11月3日に国際学術誌「Behavioural Processes」にオンライン掲載されました。

チンパンジー
1.背景

死を怖がったり、死体を避けたりするのは、生物の進化の上で適応的な行動です。他個体の死体の近くには捕食者が潜んでいるかもしれませんし、病死した死体は病気の感染源にもなります。ただ、興味深いことに、チンパンジーなど多くの霊長類で、子どもが死んだ後も母親が子どもの死体を持ち運び続ける現象が観察される場合があります。こうした行動がなぜ起こるのか、不明な点がまだ多く残されています。ヒト以外の霊長類でこれまで調べられていなかった点のひとつに、死体の臭いを感じることができるのか?という問いがあります。プトレシンは、死体から放出される化学物質で、死臭の主な原因となります。死体に産卵したり死体を食べたりする昆虫などにとってプトレシンは誘引物質になりますが、一般には動物にとってプトレシンは忌避反応を引き起こすと考えられます。ヒトにおいても、プトレシンの臭いのある場所を避ける傾向があることが報告されています。ヒトに最も近縁なチンパンジーはプトレシンの臭いに感受性があるのか、もしあるとすればどのような行動を示すのか、本研究では実験的操作によって確かめました。

2.研究手法・成果

京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリ(熊本県宇城市)に飼育されているチンパンジーを対象にしました。オス4個体、メス2個体(年齢:24歳~48歳)のチンパンジーです。研究は、各チンパンジーが夕食のために個室に入った状況でおこないました。コットンに浸み込ませたプトレシンを小さな容器に入れ、その容器をチンパンジーに見えないようにバケツに入れました。そのバケツを、チンパンジーの寝室の格子ドアの近くの、チンパンジーから手が届かない位置に置きました。バケツには、臭いが発散するように小穴を複数あけておきました。また、バケツの中には小型扇風機(ファン)を入れ、プトレシンが揮発した際の臭いがバケツの小穴からチンパンジーに向かって流れるようにしました。さらに、バケツの上に蓋をして、その蓋の上に小鳥(アオジ:スズメ目ホオジロ科)のはく製、もしくは手袋を置きました。こうした操作は、死体(=小鳥のはく製)と死体の臭い(=プトレシン)がセットで存在するときにチンパンジーがより強く何らかの反応をするのか、あるいは死体とセットでない場合(=手袋の場合:チンパンジーがある程度見慣れた手ごろな大きさのものであれば何でもよい)でもプトレシンの臭いに対して何らかの反応が見られるのかを確かめるためです。また、プトレシンの比較対象として、アンモニアの臭いを呈示した場合、そして何も臭いを呈示しない場合のチンパンジーの行動も観察しました。

その結果、チンパンジーは、プトレシンの臭いが呈示された場合に、バケツが置かれた位置から距離を取って留まることがわかりました。アンモニアの臭いが提示された場合や無臭の場合に比べて、プトレシンの呈示の場合には、その臭いが発するバケツから距離をおいて避けたことになります。つまり、プトレシンの臭いを避けていると考えられます。バケツの上に置いた物が小鳥のはく製か手袋かは関係ありませんでした。したがって、死体と死の臭いがセットになったことによって特に反応が強まるということはないと解釈できます。

以上の結果から、チンパンジーにもプトレシンの臭いに対する感受性があり、そしてその臭いを避けることが確かめられました。野生のチンパンジーにおいて、母親が死児の遺体を運び続けることが観察されていますが、死体の臭いを感じていないわけではなく、死児に対する愛着など内的な要因が大きく関係していると考えられます。そして、死児の運搬をやめて遺体を手放すきっかけとして、プトレシンの臭いが要因になっている可能性が考えられます。

3.波及効果、今後の予定

ヒト以外の動物が「死」をどのように認識し、他者の死に接してどのようにふるまうのかを検討する「進化的死生学」と呼べる研究領域がおこりつつあります。本研究は、そうした進化的死生学を進めるうえでの一歩と言えます。ヒトに見られるような死の認識が進化的にどのように生じてきたのか、今後も様々な動物種比較による科学的検証が進むことを期待します。

4.研究プロジェクトについて

本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(18K18693、課題名「Toward an Evolutionary Thanatology」、代表James Anderson)の支援を受けておこなわれました。

Article Information
Anderson, J. R., Yeow, H., & Hirata, S.(2021)Putrescine--a chemical cue of death—is aversive to chimpanzees Behavioural Processes , 193: 104538 10.1016/j.beproc.2021.104538