連載ちびっこチンパンジーと仲間たち 第138回 狩野文浩・友永雅己『チンパンジーの視点から世界を見る』
チンパンジーの視点から世界を見る

ウェアラブル・アイ・トラッカー
ヒト以外の動物はどのように世界を見ているのだろうか? 私たちが見る世界と,彼らが見る世界はどのように異なるのだろうか? この疑問に迫ることを可能にした最新テクノロジーを活用した研究を紹介する。
私たちの研究グループは,頭部装着型の視線計測装置すなわちウェアラブル・アイ・トラッカーをチンパンジーに応用することに初めて成功した(図上)。この装置には,小型軽量のカメラが3つついている。1つは目の前の方を向いていて,視点画像を記録する。別の2つは逆に両目の側に向いていて,目の動きを記録する。自の動きから見ている方向を計算して,視点画像の上に見ている場所を表示する仕組みだ(図下)。装置を頭にかぶったヒトやチンパンジーが今どこを見ているか, リアルタイムに記録することができる。
なお,装置をむりやり装着するわけではない。倫理的な観点から,チンパンジーにストレスを与えないように,装置を改造したり,実験時間を短くしたりして,くふうした。それが苦労した点でもあるし,やりがいのある作業でもあった。装置はチンパンジーの頭の上にしっかりと固定するが,あまりきつくは留めない。だから,チンパンジーが気に入らなければ,自ら取り外すことができる。これは少し危ない賭けだ。決して安くはない装置を,投げ捨てられてしまう可能性もあった!
これまでも大型のデスク型の視線計測装置はあった。ただ,机上に据え置くデスク型ではその装置の前から動けない。しかしそれを軽量化した装着型なら自由に動き回れる。日常的に環境に働きかけ,働きかけられるなかで, どのように視線を向けているのか調べることができる。たとえば運転中や球技運動中の視線を計測するために使われている装置だ。
私たちはこの装置をチンパンジーに応用した。視線の相違を調べることによって,ヒトのユニーク性やチンパンジーとの類似性がわかる。ヒトの知覚や注意の進化的基盤に迫ることができると期待される。
従来の心理研究のように特定の実験謀題をチンパンジーに課すのではない。チンパンジーの日常的な視点をとらえる試みだ。つまり,彼らに「何ができるか」というよりも,彼らが「何をするのか」という問いであり,自発的に見ている世界に迫ることができる。

チンパンジーの視点から見ると
この装置を用いておこなった最初の研究1では,チンパンジー(パン, 28歳)が日常的に研究者や飼育者とかかわるなかで,どこを見ているのかを定量化した。まず実験者がチンパンジーと一緒に小部屋に入り,視線装置を頭に装着した。
もうひとりの実験者が小部屋の外で,カメラの角度などの確認・調整をした。次に,外界の特定の場所にチンパンジーの注意を惹きつける。数か所でそれをおこなうことで,実際の視線と記録される視線の位置調整(キャリブレーション)をした。
調整が終わると実験場面を作って視線の記録に移った。実験場面ではまず,実験の「協力者」がドアの陰から姿を現しチンパンジーに挨拶した。協力者はいろいろで,飼育者,研究者,チンパンジーにとって見知らぬ人,などでテストしてみた。
協力者が姿を現すとチンパンジーは体を揺らしたり,パント・グラントと呼ばれる特有の声を上げたりして挨拶を返した。その後しばらくして,協力者はチンパンジーがいつも研究者としているジェスチャ一真似ゲームをおこなった。たとえば,協力者が自分の頭を手で叩くと,チンパンジーもそれを見て自分の頭を叩く。
実験からわかったことを要約する。第1に,チンパンジーは視線の向け方を,時と場合に応じて柔軟に変化させた。たとえば実験協力者が現れた直後は,協力者の顔と足を交互に見た。ゲームが始まると,その手がかりである顔や手を見た。また,ゲームが始まる前は,ゲームで使う果物のごほうびをほとんど見なかったのだが,ゲームが始まるとすぐに頻繁に見始めた。これらの結果は、手ンパンジーが状況の変化をすばやく読み取ることを示している。
第2に,普段のつきあいに応じて,協力者に視線を向ける度合いが違った。なじみの研究者がいつものように実験室に入ってくる場合はあまり視線を向けなかった。なじみの研究者でも,普段はその実験室に入ってこないような人であれば,より頻繁に視線を向けた。当然予測されることだが,見知らぬ人が実験室に入ってきた場合には,一番頻繁に視線を人に向けた。
第3に,装着型でチンパンジーが示した視線パターンの多くの特徴は,デスク型の視線計測装置をもちいた先行研究の結果とよく一致していた。頭部装着型の視線計測装置には,その方法でしか調べられない多くのことがある。ただしやはり計測に手間がかかる。デスク型のようなより簡便な方法で得た結果をこれからも研究に使ううえで,裏づけとなる証拠を装着型から得たことになる。
研究の発展
この最初の研究では, 1個体のチンパンジーを対象とした。当然,科学的信頼性のために,将来的に個体数を増やす必要がある。現在は2個体のチンパンジーが参加に協力してくれている。今後の研究の方向性は大きく2つある。1つは,チンパンジーとヒトの目の動き,すなわち情報の取得のしかたが日常場面でどのように異なるのかを調べること。もう1つは,チンパンジーが他者と実際にふれあう場面を設定して,どのように駆け引きするか,他者の動きをどう予測するかを調べることだ。
紹介した研究は,米科学誌PLoSONEに掲載され,無料公開されている。ご覧いただきたい。