報道解禁:日本時間 2019年10月1日 午前4時
掲載誌:Proceedings of the National Academy of Science (PNAS; 米国科学アカデミー紀要)

類人猿は誤信念課題において、他者の行動を予測するのに自己経験を用いる

Great apes use self-experience to anticipate an agent’s action in a false belief test

Fumihiro Kano, Christopher Krupenye, Satoshi Hirata, Masaki Tomonaga, Josep Call

狩野文浩(京都大学高等研究院 特定准教授)、クリストファー・クルペンイェ(英セイント・アンドリュース大学 研究員)、平田聡 (京都大学野生動物研究センター 教授)、友永雅己(京都大学霊長類研究所 教授)、ジョセップ・コール(セイント・アンドリュース大学 教授)

DOI: 10.1073/pnas.1910095116

概要

私たちヒトは他者の目的や意図など心の状態を読み、社会生活に生かすことができます。この能力のことを「心の理論」といいます。この能力がヒト以外の動物においても認められるか、長年の議論が続いています。以前から当該分野では、この能力があることを証明するために、自己と他者の心の状態の関連性の理解能力を証明することが重要であると指摘されていました。

本研究では、類人猿に、見た目は同一で性質の異なる二つの(目隠し)衝立を経験させた後で、その衝立をした他者が、どのようにふるまうか予測させました。類人猿は、衝立に関する自己の経験をもとに他者のふるまいを予測することができました。これによって、類人猿にもヒトと同様の「心の理論」があることを示唆する証拠が得られました。

筆頭著者の狩野文浩による解説つき動画 https://youtu.be/oPPloZynLNg

1.背景

類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?

私たちヒトは他者の目的や意図など心の状態を読み、社会生活に生かすことができます。この他者の心の状態を知る能力のことを、心理学の分野では「心の理論」といいます。私たちは社会生活においてこの能力を常にフル活用し、他人と協力したり、逆に出し抜いたり、他人から学んだり、教えたり、他人を思いやったり、逆に傷つけたりします。非常にヒトという生き物らしい能力といえるでしょう。この能力がヒト特有のもので、それがヒトをヒトたらしめる特別な能力なのか、それとも他の動物も同様の能力を持つのかということに関して、数十年来の議論があります。ヒトのように言葉を用いない他の動物が「心の理論」をもつかどうか、どのようにして調べることができるのでしょうか?

そのために最も重要なテストだと考えられているのが「誤信念課題」です。この課題では、以下のストーリーの中で、登場人物が次にとる行動を選ぶ必要があります。まず、登場人物Aが物体Qをある入れ物Tに隠します。それから、その場所から一時立ち去ります。そのとき、登場人物Bがその物体Qをその入れ物Tから持ち去ってしまいます。Aが戻ってきたとき、Aは物体Qをどの場所に探すでしょうか? 答えは入れ物Tです。物体Qは入れ物Tにすでにないのにもかかわらず、Aがまだそこにあると信じているからです(誤った信念)。言葉を用いない類人猿のような動物の誤信念理解をテストするためには、言葉による質問形式ではなくて、たとえば、視線を指標に使って、Aが戻ってきたときに、その行動を予測するような視線をアイ・トラッカーという(視線計測)装置をもちいます。私たち、京都大学(熊本サンクチュアリ・霊長類研究所)とセイント・アンドリュース大学(イギリス)、マックス・プランク人類進化研究所(ドイツ)の国際チームは、以前、類人猿がこの種のアイ・トラッキング誤信念課題をクリアすることを発見しました(下注釈欄に詳細)。この成果によって、類人猿もヒトと同様に他者の「誤信念」を理解する可能性が示唆されました。つまり、類人猿も心の理論を持ち、心の理論を持つという点では、ヒトは特別な存在ではないことが示唆されました。

註: 類人猿も他者の思考を推し量る
Krupenye C*, Kano F*, Hirata S, Call J, & Tomasello M (2016) Great apes anticipate that other individuals will act according to false beliefs. Science 354(6308):110-114. doi: 10.1126/science.aaf8110, 日本語での詳細解説はこちらをご覧ください。

類人猿に以下の動画を見てもらい、彼らの動画を見ている時の目の動きを記録しました。

類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
1. キングコングに扮した登場人物Bが登場
類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
2. 物体Q(石)を、入れ物T(画面右側の箱)に隠します
類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
3. 緑色の服を着た登場人物Aが立ち去ったあとに、
類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
4. 物体Qを別の場所に移動させます
類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
5. 登場人物Aが戻ってきました。さて、Aは物体Qをどの場所に探すとおもいますか?

しかし、一つ重要な問題が解決されていませんでした。論文発表時から批評家から指摘されていたことですが、類人猿が「心の理論」を理解したのか、他者の行動の一定のルールを理解したのか、二つの可能性が結果からは区別できていませんでした。前者は、他者の心の状態そのものを理解する能力のことで、後者は、他者の行動のパターンを学習し、そこから一定のルールを導く能力、つまり他者の心の状態の理解ではなく表面的な行動の理解能力のことです。後者は「行動ルール」仮説と呼ばれ、「心の理論」仮説の主要な対立仮説として、認知科学の分野において長年議論の焦点となっていました。先の誤信念課題の場合は、「人(あるいは意図・目的のある生き物)は最後に見た場所を再訪する」という行動ルールに基づいて予測した可能性があることが指摘されていました。

では、この二つの対立仮説はどのようにして検証できるのでしょうか? 先行研究に、ゴーグル課題あるいはトリック目隠し課題と呼ばれる工夫を凝らした心理課題があります。(Heyes C (1998) Theory of mind in nonhuman primates. Behav. Brain Sci. 21(01):101-114.)この課題では、被験者は二つの同じ見た目の目隠し(あるいはゴーグル)のどちらかを経験します。一つは本物の目隠しで、目に近づけると何も見えなくなります。もう一つはトリック目隠しで、遠目からは本物の目隠しと同じ見た目なのですが、目に近づけると透けて見えます。被験者はどちらかの目隠しを経験した後、実験者が同じ見た目の目隠しをしているのを見ます。そのとき、被験者が自分の経験に基づいて、同じ見た目の目隠しをした実験者の行動(見えるように、あるいは見えないようにふるまう)を予測したとすれば、実験者の行動パターンが問題なのではなく、被験者の自己経験が行動の予測に重要なのだ、と結論することができます。この課題を誤信念課題に組み込めば、被験者が登場人物の行動を予測するのに行動パターンを用いたのか、それとも心の理論を用いたのか、区別することができます。それを行ったのが、本研究です。

2.研究手法・成果


ふたつの衝立。画面右側のものは向こう側が透けて見えます

実験では、類人猿はまず透けて見えないふつうの衝立と透けて見えるトリック衝立のどちらかを経験しました。実験者が衝立の横に立って、類人猿が興味を持つようなものを次々と衝立の後ろに回して、類人猿が衝立の性質(透けて見える・見えない)を学習できるようにしました。次に、類人猿は、ストーリー動画を見ました。動画を見ているときの視線の動きは、アイ・トラッカー(視線記録装置)を用いて記録されます。

ストーリー動画では、登場人物Aが興味を示した物体Q(石)を登場人物B(悪者)が奪って、二つの同じ見た目の箱1と箱2のどちらかに隠します。ここでは箱1としましょう。それから、AはBに恐れをなして、衝立の後ろに隠れます。その間に、Bは物体Qを別の箱2に移してから、持ち去ってしまいます。その後、Aが戻ってきて、物体Qを回収しようとします。この時、物体Qが最後にあった場所は箱2ですが、Aが衝立に隠れる前にあった場所は箱1です。もし、透けて見えないふつうの衝立を経験した類人猿が、物体Qの移動を目撃していないはずのAが箱1に手を伸ばすと予測して、透けて見えるトリック衝立を経験した類人猿が、それとは異なるように予測すれば(このときAは、どちらの箱にも物体Qがないことを知っている)、類人猿は衝立に関する自らの経験をAの行動を予測するのに用いることができたのだ、と考えることができます。結果は予測通りのものでした。ここで重要なのが、衝立に関する異なる経験を持つそれぞれの類人猿が見たストーリー動画は、まったく同じものであったということです。つまり、類人猿は登場人物の行動パターンではなく、自分の経験をもとに、登場人物の行動パターンの予測の仕方を変えました。したがって、この課題の結果を説明するためには、「行動ルール」仮説ではなく「心の理論」仮説のほうが適切であることが示唆されました。

ストーリー動画のあらすじ
類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
1. 登場人物B(キングコング)が、物体Q(石)を、箱1(画面右側)に隠します。登場人物A(緑色の服の人物)はそれを画面後ろから見ています
類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
2. 登場人物Aが衝立の後ろにいる間に、登場人物Bは物体Qを持ち去ってしまいます
類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
3. 登場人物Aが戻ってきます。さて、Aは物体Qをどの場所に探すとおもいますか?

結果

類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
類人猿は、他者の心の状態を知る能力をもつのだろうか?
透けて見えないふつうの衝立を経験した類人猿は、箱1を注視しましたが(左の写真. 図表左側)、 透ける衝立を経験した類人猿には(中央の写真. 図表右側)、その傾向はみられませんでした

3.波及効果、今後の予定

今回の研究は、前回私たちが行った研究に対して投げかけられた、否定するのが大変難しい批判に対する検証実験でした。このように、批判に対して実証的に対処することが科学の世界では大変重要ですし、それを実現することができたのはうれしいことでした。このような試みが関連分野を発展させると信じています。今後も同様の試みを続けていこうと考えています。

「心の理論」は心理学の中心的な課題と言っていいほど多くの研究者が興味を持ち、ヒトの独自性を考えるうえでも大変重要なトピックです。研究者の中には、ヒトとその他の動物の違いは「心の理論」ではない、と考えるグループもあれば、それこそがヒトをヒトたらしめているのだと考えるグループもあります。「行動ルール」仮説だけが対立仮説ではなく、現在主流の対立仮説に「ミニマル心の理論」というものがあります。他者の心的状態そのものの理解ではなくて、特定の状況において(例えば物体Qが置き換わるような状況)、心的状態と近似の状態の理解(登場人物Aが物体Qの位置を認識した状態を「登録」する)があり、それは「心の理論」そのものではないのだ、という主張です。事実複雑な心理メカニズムを解決するためには、これら代替仮説の一つ一つを丁寧に検証していく必要があると考えています。

4.研究プロジェクトについて

本研究は、京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリ、京都大学霊長類研究所、セイント・アンドリュース大学(イギリス)とマックス・プランク人類進化研究所(ドイツ)との共同で行われました。 また、本研究は、日本学術振興会科研費[18H05072, 19H01772, 16H06301 to FK, 18H05524 to SH, 16H06283, LDG-U04, GAIN to TM]、European Commission Marie Skłodowska-Curie fellowship [MENTALIZINGORIGINS to CK]、およびEuropean Research Council [Synergy grant 609819 SOMICS to JC]によって援助を受けました。

研究者のコメント

この課題で、類人猿は、衝立の性質をまず実際に経験してから、その衝立を動画の中で見て、その性質を推測します。実際これは類人猿には相当難しい課題だと思っていました。できなくて当然だろうと思っていましたが、実際にできて、大変うれしい驚きでした。現実の経験をストーリー動画の中に投影するこの能力は今後の様々な実験に応用することができます。

Article Information
Kano, F., Krupenye, C., Hirata, S., Tomonaga, M., & Call, J.(2019)Great apes use self-experience to anticipate an agent’s action in a false belief test Proceedings of the National Academy of Science , 116(42): 20904-20909 10.1073/pnas.1910095116