連載ちびっこチンパンジー 第84回 齋藤亜矢『想像は創造の母?』
想像は創造の母?
画竜点睛
梁の国(502~557)の画家,張僧縣(ちょうそうよう)には数々の伝説がある。あるとき武帝に命じられて,寺の壁に4匹の白い竜を描いた。ところが竜には瞳が描かれていなかった。人びとに懇願され,やむなく2匹の竜に瞳を入れる。たちまち雷鳴がとどろき,竜は壁をつきぬけて天まで昇っていった。あとには瞳が描かれていない2匹だけが残った。『歴代名画記』にある「画竜点睛」の故事だ。
ヒトは足りないものがあればついつい描き足したくなる。足りないものを描くことで,絵に命が吹き込まれる。
「ある」ものに重ねて描くチンパンジー

図1: チンパンジーの顔の輪郭へのお絵かき。 顔の輪郭をなぞったチンパンジー(パン)の絵
霊長類研究所の林美里さん,松沢哲郎先生のご協力のもと,チンパンジーの描画の研究を続けている。チンパンジーたちは,でたらめになぐりがきをするだけでなく,それぞれ決まった筆のタッチ,配色など画風のようなものがある。人がお手本として正方形などを描いてみせれば,その線をなぞることもある(第53回参照)。しかし,彼らは依然として抽象表現主義を貫き,それぞれの画風に余念がない。数字や漢字の学習,記憶課題など,よっぽどむずかしそうに見える課題をこなしていながら,赤いペンでリンゴを描くなど,具体的な物の形(表象)を描くことはない。
そこで,竜の代わりにチンパンジーの顔の線画を用意した。その顔から片目だけ消したもの,両目を消したもの,鼻も口も消して輪郭だけのものなど,顔の部位を段階的に消したものを見せ,その上にペンでおえかきをしてもらう。線をなぞったりするような器用なチンパンジーのこと,これに一筆加えて顔を完成させたりするだろうか。
チンパンジーたちは描かれた顔を見つめると,それぞれの描き方で描き出した。多かったのは,顔のなかになぐりがきを重ねる反応だ。描いて「ある」目などの部位に,よりピンポイントにしるしづけをしたり,塗りつぶしたりすることもあった。そして,輪郭を丁寧になぞるという器用さを見せたのはパンだ。彼女はもともと短い線を1本1本描く画風だが,たまたま短い線で毛が描かれた輪郭に,そのお得意のタッチをリズミカルに重ねた(図1)。
ところがチンパンジーたちは,そうしてすでに描いて「ある」ものに重ねて描くことはしても,「ない」目を補って描くことは一度もなかった。
「ない」ものを補うヒト

ヒトの子どもにも同じ線画におえかきをしてもらうと,やはりチンパンジーと同じように,顔になぐりがきをする。「ある」部位にしるしづけをするという時期があった。そして2歳半ごろから,「ない」目を補う子が多くなった(図2)。小さいうちは,目と目がつながっていたり,縦に並んでいたりすることもしばしばだ。まだ思うように線を描けなくても,「あ,おめめない」などと言って「ない」目を補おうとする。とくに「目を描いてね」などと頼んでいるわけではないが,3歳以上なら8割が「ない」目を補った。
一方,チンパンジーのように線をなぞるのが,ヒトの子どもにはなかなかむずかしい。輪郭をなぞったのは,「ない」目を補うようになる2歳半以降の子がほとんどだ。ペンを振りしめ,慎重に慎重に動かさないと,なぞろうとする線から飛び出してしまう。それに対して,もっと器用にペンを動かしてなぞることのできるチンパンジーが,「ない」ものを補わない。どうやら「画竜点睛」は,ヒトに特徴的な行動のようだ。
表象を描きはじめたヒトの子どもたちは,「ない」ものを補う天才だ。顔の輪郭のようなわかりやすいものでなくてもいい。円があれば,なかに小さな丸をいくつか描きいれて「アンパンマン」にしたり,2本の縦線があれば,短い横線を何本も交差させて「線路」にしたりする。紙の上で次々と形を与えられる線-「ない」ものを補うことには,心にイメージを想起すること,「想像」が関わっている。
想像は創造の母
壁のしみに顔を見つけてどきりとしたり,青空にくじら雲を見つけて心がほころんだりする。ヒトはもやもやとしたあいまいな形でも,具体的な物のイメージを重ねて見ている。それは世界をシンボルに置きかえて見るという認知的な特性や言葉の獲得と無関係ではなさそうだ(第47回参照)。 じつは現存する最古の絵,旧石器時代の洞窟壁画にも,「ない」ものを補うというヒトの特徴がはっきり表れている。壁面の凹凸や亀裂など,自然の形状を利用した絵があふれているのだ。
スペインのアルタミラでは,もはやそれが確立した技法のように用いられている。有名なバイソンの絵が措かれた空間では,頭上に広がる重量感のある群れに庄倒される。バイソン1体1体が天井の岩の膨らみ1つ1つに描かれていて,よく見ると体の輪郭線が岩の亀裂に重なっているものも多い。洞窟の通路でふり返ると,岩の凹凸を顔の輪郭に見立てて,小さな丸い目をくるりと描き入れた「仮面」が見つめている。
真っ暗な洞窟のなか,明かりに照らされて生き生きと浮かび上がるものの姿を見ていると,想像は創造の母,なのかもしれないと思う。
*滋賀県立大学人間文化学部,竹下秀子先生のご協力のもと,子育ち応援ラボ「うみかぜ」参加者の方々にご協力いただいた。