ランタンプラン・ニュースレター

No.30  2007.7

Newsletter No. 30

 

 今年もムシムシジトジトの梅雨が約束どおりに巡ってきました。何でもないことだけど、なにかほっと安堵した梅雨入りでした。いかがお過ごしでしょうか?ニューズレター30号は現地から届いたニュース2本を短くお届けします。


ランタン村に雪崩

1)ヌムタン.チュ

6月6日未明、ランタン村ムンロー集落の北、ランタンリルンの西南稜の出っ張り氷河がヌムタン・チュ(川)に雪崩こみ、川を完全にブロックしました。轟音は半時間も続き、氷河の崩れるエネルギーによって地震のような大きな揺れと爆風で氷や石がかつてない規模で雪崩れてきたようです。
 この情報は、丁度同じ時期ランタン村に滞在していた医療チームのネパール人、アショック・ブーティアル(Ashok Bhurtyal)さんから発信されたものです。地球温暖化の影響なのかどうか、このメカニズム解明に専門家の調査をお願いしたいと訴えています。

 メールは北大の渡辺悌二さんから立教大学の岩田修二さんをリレーして私にも届きました。詳しくはアショック・ブーティアルさんの以下のサイトでごらん下さい。

http://www.numthang.blogspot.com/

 下の写真は、アショック・ブーティアルさんから別に送られてきたもので、氷河の残骸クローズアップとムンローの対岸の畑、ボッテマからの撮影です。ムンローの集落とヌムタン・チュの位置関係がわかります。ムンローはランタン本村ユルから東上方へ歩いて20分、ユルとの高度差は5、60メートルくらい。ヌムタン・チュはその中間ムンロー寄りにあり、常に崩壊を繰り返し橋も架からない沢です。ねんのため昔の地図(Glaciological Studies in Asiatic High Region 1985-1986 折り込み)の一部分を貼付けます。




<ムンローの集落と真っ白く氷の埋まったヌムタン・チュ>


<氷河の残骸 拡大>




<ランタン村集落周辺の地図 赤丸がヌムタン・チュ/青丸はチュ・バルマ>



2)チュ・バルマ

 一番気がかりだったのは人々や家畜、畑地に被害はなかったかということ。カトマンドゥの息子に電話しました。息子は研修のためにフランスへ出張中で、嫁のチャンジュと嫁の姉ヤンジェンと話しました。
 ヤンジェンはカトマンドゥへ下山してきたばかり。雪崩が起ったとき家畜は夏の放牧地に上昇中、村人にも畑地にも被害はなかったということです。ただ、ムンローとシンドゥムの間の川チュ・バルマから爆風と共に石がくずれ落ちてきて、シンドゥム集落の家屋に被害がでたようです。チュ・バルマは乾季には殆ど枯れたままですが、雨季になると川幅が10メートル以上になることもあります。記憶している人もあるかもしれません。1986年雨季にこの川の氾濫で、下流の水車小屋にいた女性二人が小屋もろとも流されるという不幸がありました。

 いつも、そしてかなり以前から、雪氷の人たちはランタンリルンの西南稜を見上げながら忠告(?)していました:

「貞兼さん、この氷河はいつ落ちてきても不思議はありませんよ。危ないなあ」

 それが今回のことだったのでしょうか?村人は経験的にどこが居住地として安全かを知っています。しかし、もし地球の温暖化あるいは大気の異常変動によって想像以上に融雪が進んでいて、それが村人の経験則を上回っているのだとすれば、村人はどうすれば良いのですか?これはもう専門家にお願いする以外にありません。今年ネパールへ行かれる方、どうぞ村まで行ってみていただけませんか?キャンチェン周辺の氷河にもきっと大きな変動があったに違いないんですから。


◆ タタールの結婚

 95年、98年の二度に渡ってランタンプランに参加してくださった砂防土木のエンジニア、タタールこと野島孝行さんが、6月24日キルギス共和国にてめでたく結婚式を挙げられました。写真が送られて来ましたので、ご紹介すると共にランタンプランの関係者一同でお祝いしたいと思います。



<新カップルの誕生 おめでとう!>


 野島さんは先頃までアジアとヨーロッパを結ぶボスポラス海峡に架ける地下の橋(地下路)の建設現場にいました。新婦のヴェネラハーンさんは大学講師で専門は「中央アジア国際関係論」とか。
 お二人のそもそものなれそめは、ユーラシア語学遊学を開始した旅の途中(グルジアあたりだったか)に出会いがあって、イスタンブールで海峡の建設工事が始まると、彼女もイスタンブールの大学に留学。あるいは逆だったか。彼女がイスタンブールへ行ったので彼もそこに職をみつけたのか。まあそのあたりの前後関係は省くとして、出会いからゴールまでに少なくとも六年は経過しています。

 いかがですか、この写真。野島さんはきっと、このお嫁さんに巡りあうために、そしてこの日このコスチュームを着るために、今日までせっせと海外の工事現場で働きながらユーラシア遊学を続けてきたのです。そう思います。
 タタールは私がつけた野島さんのあだ名。最初に出会った時にその風貌からタタールだ!と思いました。しかし、まさか正真正銘のタタール人になってしまうとは思ってもみませんでした。
 タタールは、95年のランタン村MPPU設置プロジェクト、98年の拡大MPPU設置プロジェクトでは、送電線の配置と公民館建設(’95)、公民館付属ワークショップの建物デザインと建設(’98)に尽力くださいました。
 今でも村人たちは「ノジマはネパール人技師7人分の仕事を一人でやった」と言い伝えています。村人たちもタタール結婚のニュースに大喜びすることでしょう。タタールはキルギスに新婦を残し、間もなくアルジェリアでの仕事に出発をします。来年にはヴェネラハーンさんも日本での生活を始められるそうです。個人的にとても楽しみにしています。

 さてネパール。国民のマジョリティは共和制を希望しているにも拘わらず、一人老齢のコイララ首相が立憲君主制に望みをつなげているような印象のネパール政界。アメリカや自称民主主義国家などが経済支援を理由に後押ししているのでしょうか?6月に予定されていたネパールの憲法制定のための議会選挙も11月22日に延期されました。10年以上に渡って辛酸をなめてきたネパール国民、その方向は自らの手で決めて欲しいと願います。

 小倉清子さん発信の時々刻々のネパール政治情報↓
http://blogs.yahoo.co.jp/nepal_journal


 短くと言って、まただらだらと褌状に書き連ねてしまいました。
ランタンリルン西南稜の雪崩に関するみなさまからの情報やご協力をお願いします。ご意見などは貞兼か事務局までお寄せください。

                    貞兼 綾子/07.7.4
 asadakane@nifty.com


☆今後の活動予定とカンパのお願い

貞兼代表の報告にもあるように、LTBSは自力でシステムの改良と新プロジェクトの立案と進行を成し遂げたものの、ネパールの政情不安の影響もあり、チュダー・チュ拡大プロジェクトの完成を目の前にして、窮地に追い込まれています。代表の緊急アピールに賛同された皆様からのカンパや御寄付を、ぜひお願いいたします。LTBSの活動状況や現地の様子など、これからも随時ご報告させていただく予定です。

  振込先:ランタンプラン 郵便振替 01040−4−51106



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