ランタンプラン・ニュースレター

No.28  2006.5

<2006年ランタン村その後>

Langtang Plan Newsletter No. 28

 

  半年ぶり以上のご無沙汰です。いかがお過ごしでしょうか?新緑も日毎あざやかさをまし、良い季節がめぐってきました。ネパール出発までにネパール情報の整理をと思っておりましたが、延び延びになってしまって、あと数時間後には飛行場へかけつけねばならないというていたらく。毎度のことですが..

 

さて、ネパール。この3月から4月24日に到る一ヶ月の政治の動きは、日本の新聞のトップ記事になるほど関心を集めました。4月24日夜中、ギャネンドラ国王は「国権と主権は国民にあることを確認する」と宣うに到り、昨年2月1日以来の国王親政に終止符が打たれました。

私の知る過去3代の国王のなかで彼ほど専制君主への強い執着心をむき出しの王様もいなかったと思うのですが、あまりの時代錯誤、不人気も群を抜いていましたね。

民主化奪還の勝利者は国民でした。政党のよびかけで行なわれた運動でしたが、途中から一般市民も合流してきました。立ち上がったと言うべきでしょう。きっかけは、デモに参加していた素手の市民に対して、デモを妨害阻止するためにくり出された武装警官の発砲によって死者がでたことからでした。カトマンドゥ市ではなく、近郊の町からです。女性や学生、老人も若者も、政党の旗を振るものも、代りに傘を振るものも、その数は毎日毎日膨らんでゆき、数十万人にも達しました。私はこの政党に組しない市民が立ち上がった時点で、Xディは近いと確信しました。

もう一つ。最終局面で、あのマオイストたちと市民の間に何か目に見えない連帯感が生まれたような気がしました。マオイストはこの市民のデモ行動の間、カトマンドゥ市に(表向き)入って来ず、援護射撃に徹しました。地方の警察などをゲリラ的に襲撃し続け、警官を市内に集中させないように謀ったのではないかと思います。このことが市民に小さな信頼の気持を抱かせたのでしょう。政治が国民の手にもどってきた時、マオイストを政党に戻すことに、国民は反対しませんでした。

10年に及んだマオイストと政府軍とのあくなき闘いも終わりました。4月28日、2002年に解散された議会下院が実に4年ぶりに再開されました。共和制か立憲君主制か、憲法制定のための議会が開かれます。非ヒンドゥ教徒、ヒンドゥ教徒下部の職業カーストの間では共和制を歓迎しているようです。前国王であれば、これほど共和制への希求が膨らむこともなかった気がします。

 

<ランタン近況>

4月半ば、北大の小林大ニ先生が一ヶ月のネパール訪問から戻ってみえました。電話でお話を伺うのみでしたが、訪問記と写真を送ってくでさいましたので、掲載させていただきます。

3月31日から4月3日までのランタン谷訪問のうち村には2泊され、わがLTBS(ランタン公民館開発委員会)の二人の若者チェンガとニマが先生にメッセージを託してくれました。

 

昨年八月に完成したチュダーチュの発電システムは順調に全村に送電されています。古いシステムも修理し発電可能です。しかし今年は異常に雨が少なく、古いシステムを動かすには水量が不足しています。昨年から今年、例年通りの降雪がありませんでした。新しいシステムで、今パンを作っています。結構ランタンにはトレッカーがやってきています。チーズは、家畜が村から夏の放牧地へ移動し始める5月(西暦の6月)にはミルクの収集ができるので作り始めます。うまくやっているので安心してください。まだミルクが充分ではないので、今回は小林さんにチーズを託すことができません。

 

さて、私は間もなくネパールへ出発します。今回の訪問は、新しいシステムの見学とランタンの産物をカトマンドゥで販売できるかどうかを検討してきます。また、カトマンドゥでは民主化後の問題を現地NGOの人たちと意見交換してきたいと思っています。

ああ、久しぶりの雨期のヒマラヤ。たくさんの草花に出会えますように!

 

                            貞兼 綾子/06年5月13日

 

 

ランタン村の電気のことなど  小林大二 (2006.5.10)

 

私にとってのネパール行は、今回(2006.3.15?4.17)で9回目となりました。年齢のことを考えて、ネパール行きももうそろそろ終わりかと思い、迷ったすえランタン・コーラ歩き(3.27?4.13)を選びました。4回目となりました。シャブルベンシで会ったフランスの女性も、やはり4回目のランタン行とのことでした。

原始河川の荒々しい魅力と、夜に谷底から聞こえるお経の声明のようなひびきが、この谷歩きにまた誘い出してくれたという所でしょう。いずれもほぼ同じ時期で、ラリーグラスの林とねむの木に集まる蝶たちの絢爛さにはやはり圧倒されます。ランタン村での(4月2?4日、7?8日)私の楽しみはゴンパの密教的な壁画です。恍惚とした諸仏の姿にはいつもひかれます。マに石や水車のマニ車と一緒に、この隔絶した村を何百年も護ってきたのでしょう。

この村の家に、貞兼さんや山田さん、幸島さんなど、ランタンプランの方々の尽力で、1996年に電気がともりました。崖から落ちる水の下に15KWの発電機を設置したのです。その電気は薪を使わないパン焼き釜にも引かれました。初めて私がランタン村を訪れた1999年には、このパン焼き工場を中心に、村の青年たちが嬉々として活動していました。発電小屋に併設された粉引きの水車は、村の人々が順番待ちで利用していました。2001年に再訪した時は、雪崩で導水パイプがこわれ、発電はストップしていました。今回もそのままかと思いつつも発電小屋を除いてみましたが、何と見事に修復されていました。

そこに見覚えのある青年の一人がやってきて、パン工場にもよるようにとのことでした。おいしいドイツのパンをごちそうしてくれました。崖下の発電は冬に全く降雪がなかったために(3月20日に降っただけ)水がなくストップしているとのこと。ランタン・コーラに新しく発電機をつけたので(2005年夏)、今はその電気でパンをやいている。雨期になったら修復した発電機で、パン工場も稼働できる。2?3週間したら牛が下から草を追って上がってくるので、チーズ(吉田さん伝授の)作りもはじめる。このチーズはキャンジンゴンパのものより数段上等だが、それを食べてもらえないのはとても残念だとのことであった。ランタンプランの燈が村の二人の青年に守られていたことを知って、私の胸の内も明るくなりました。日本に帰ったら貞兼さんたちに、ぜひともこのことを伝えてくれとのことでした。





☆今後の活動予定とカンパのお願い

貞兼代表の報告にもあるように、LTBSは自力でシステムの改良と新プロジェクトの立案と進行を成し遂げたものの、ネパールの政情不安の影響もあり、チュダー・チュ拡大プロジェクトの完成を目の前にして、窮地に追い込まれています。代表の緊急アピールに賛同された皆様からのカンパや御寄付を、ぜひお願いいたします。LTBSの活動状況や現地の様子など、これからも随時ご報告させていただく予定です。

  振込先:ランタンプラン 郵便振替 01040−4−51106



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