ランタンプラン・ニュースレター

No.27  2005.8

<2005年ランタン村その後>

今月初め、カトマンドゥに住むわがランタンの息子テンバから久しぶりに電話がありました。「明日チャンジュ(嫁)とソナム・リンチェン(長男)がランタンへ出発するので、その前に電話した」のだそうです。6月4日祭りを村で家族たちと祝うのでしょう。ランタン村最大の夏祭り、仏陀シャキャムニの初転法輪を祝って5日間に渡って行われます。今年は7月10日からでした。夏の放牧グループもそれぞれ祭りが行われるキャンチェン・ゴンバ周辺まで降りてきて、村からあがってくる家族と共に祝いに参加します。嫁の実家は6つある放牧グループ(ツォーバ)の一つラバ・ツォーバ、テンバの父はツェルベチェ・ツォーバ、嫁と孫はいづれの家族と共に過ごすのでしょうね。

 さて、報告が大変遅くなりました。2月末から3週間の予定でネパールを訪問してきました。帰国後、友人知人の3人に2人が「ご無事でなりより」とまるで地獄から生還したような口ぶりです。あれから4ヶ月近く経過しましたが、ネパールの事情はあまり変わったようには思えません。2月1日の国王の非常事態宣言→親政、前閣僚の逮捕勾留自宅軟禁は解除されたものの、相変わらず言論統制は続いていますし、マオイストとの確執は終息の気配もみえません。マオイストの掃討にかかずらわっている間に国内の社会経済状況は悪化するばかりです。トリスリバザールの手前、カカニを越えた休憩地ラニパワでは、通行の車両もなく閑散としていて、物流が滞っていることを実感しました。
ごく最近のビッグなニュースとしては、新しいネパールの民間国際便航空会社が誕生。その名も Air Nepal International、カトマンドゥ=バンコック=クアラルンプール間を週2便。秋には3便とか。しかし、観光客が戻って来ないことには..。
ジレンマは続いています。マオイストvs. 国王+国軍との対立は双方が武器を手放すまで、当分続くことでしょう。90年の民主化がきわめて不徹底であったとはいえ、民主化の後退=王政の復活では、ネパールも国際社会から弾かれてしまいます。
しかし、観光のみに関して言えば、バスをジープに、一人よりは複数、観光ルート上であれば、外国人には殆ど問題なしとみました。因に、私はジープで一人(シャブルベンシまで息子が同行。途中どんなに警察や村びとが懇願しても便乗させない)。ジープ後ろドアには『外国人専用
Tourist only』のはり紙がしてありました。カトマンドゥの宿や、みやげものや、トレッキング・観光会社、地方の観光地もみな、私たちを待っていました。

今回のランタン訪問は、新しいプロジェクトの不足分のお金を届けることとその後の進捗状況を視察することでした。以下ご報告します。

◆氷河の末端部に45本のパイプ設置!:お詫びと訂正

 ランタン村へは10日間で往復、実質4日間の滞在でした。昨年春に設置した乾期の 水源確保の為の導水管延長工事、というのは私の誤り、正しくは以下です:
 慢性的に乾期の水不足、電気料金の徴集不能に陥っていた水源確保を救ったのは、香 木探しにランタンリルン西稜の末端(広くて良い牧草地もあるらしい)まで登っていっ た村びとのお陰でした。場所は村の北壁の上部。村との高度差1000メートルはあり ます(村から見える岩壁の上にその倍の高さがあります)。村びとは氷河の末端に氷河 湖をみつけ、これをエンビのパイプを使って発電システムの水源方向に導水することを 考え付いたということです。
 折しも私の滞在中に水が途切れ、前便の私の理解が間違いであることを確認した次第。 既存の鉄の導水管を延長したのではなかったのです。現地を見ていなかった為に、こん な想像をしてしまって。。。お詫びして訂正します。
 水が途切れた原因は、氷河湖が西に移動してしまったことにありました。水源として は充分と判断、再度エンビ管をジョイントさせ、無事システムの水源に水が落ちるよう になりました。この工事にムンロー、ゴンバ地区の男たち10名が参加。各人が径110 mm のエンビ管を肩にあの岩壁を登って行きました。上部では粉雪もちらつき、香木を焚い て管と管をジョイントさせる作業も難儀したようです。全長205メートル、繋いだ導 水管は45本(今回は8本)。電気の明るさは雨期と同じくらい。村には既にテレビを もっている者が3人。主にDVDで見ているようです。
これからも氷河湖が移動しないという保証はありません。また水量の増減にいたっては 想像だにできません。
 [上田さま、山田さま、雪氷のみなさま、氷河の移動監視をシステム化できないで
 しょうか?是非ご協力を!]

 それにしても、下から吹き上げる風にパイプがゆらゆら、バランスを崩して急斜面か ら投げ出されるのではないかと肝を潰しました。途中に、岩壁間の沢をジャンプして越 える箇所もあります。半日も岩壁の上方を見続けたために、首が回らなくなりました。 この工事で判明したこと1点。力持ちでフットワーク抜群のチェンガは岩壁登りは「オ レには無理だ」と言ったこと。あまり力もなく高所に経験のないニマはパイプを担いで。 嬉しかったのは、元スタッフのギャルボも手伝ってくれたことです。



<写真1>水源確保のエンビパイプは岩壁の上、雲の中



<写真2、3>乾期の村の明かり1998 と2005(写真提供:東京新聞戸上航一氏)


◆新しいプロジェクトが始動
 このエンカビニールのパイプは実は、シンドゥムとムンロー地区の水力発電用のものでした。土砂崩れによってシステムが流されてから放置されたまま。一部流用されたり、チベット茶を作るドンモ(筒状のバター茶撹拌容器)に変型したりと。これを貰い受ける為に、LTBSでは現システムを上方の2地区への送電に振り替える約束をし、新しいシステムをユル地区とワークショップ、一部をゴンバ地区へ送電することにしました。

前便に報告しましたように、新しいチュダーチュ(水車の川)電力拡大計画は、外国の半官半民の3つの援助団体と2つの公的な援助、総額2,411,250ルピー(約360万円)を得て、今年初めに着工しました。出力12〜15kWを目指します。私の滞在時は、まだ新しいサイト(パワーハウス)の土台ができているのみでした。チェンガとニマにサイトを案内してもらいました。


<写真4>新しいサイトは本流のそば

チュダーチュから70メートルの水路を引き、一旦タンクに水をため、そこから一気に180〜190メートルの導水管(ヘッド90メートル)から水を落とし本流に近い場所に設置されるパワーハウスでシステムを動かします。電力は一旦ワークショップに集められ、そこから各戸へ送電されます。
パワーアップされた余剰電力は、テレビ、ラジオ、電燈など規定外の使用には追加の料金をとることになります。電力使用量メーターは、このミニ水力発電のシステムでは設置不可能で、自己申告に若干の不安が残りますノ。

本格的な設置作業は、私の下山後5月ころから始まりました。今回も、この仕事はカトマンドゥの鉄工業者ネパールヤントラシャラのシャムラージ氏に依頼しました。テンジン・パサンやチェンガたちは、もっと安く引き受けてくれる所を探したようですが、融通が効いて高所で作業をしてくれる所は、シャムラージ氏以外になかったようですね。
雨期前にワイヤー、パイプ、システムパーツはトラックで輸送。240キロの発電機は、テンバが日本人観光客のチャーター便を使って荷揚げしました。その費用何と10500ルピー(約15000円)!信じられない安さです。コントローラーや若干のシステム資材も6月までに荷揚げされたはずです。7月初めのテンバの電話では、工事にはあと1ヶ月くらいかかるということでした。間もなく嫁も下山してきます。現在テンバと村を繋ぐモバイルが不通でリアルタイムの様子がわかりませんが、その後の状況はすぐにお知らせできると思います。楽しみですね。

予算総額2,556,005ルピー(約383万円)、集めたお金360万円。今回その不足分の144,755ルピー(約21万円)を持ち上げました。ランタンプランは、すんなりと援助したのではありません。ニマやチェンガ、テンジン・パサンはカトマンドゥへ下山してくるたびに窮状を訴えて電話してきました。その都度、「ここまで自分たちでやってきたのだから、足りない分は村で協力してかき集めたらどうか?!」と突っぱねてきました。テンバの話ではそのたびに意気消沈して山へ帰っていった、とか。しかし、個人的に村びとからお金を出させると、電力利用に不当な権利を主張されることも想像できました。さりとて、いつまでもヤチチ、チチユと頼られるのも困ります。
幸い私のネパール出発前に不足分を集めることができましたから、秘かに懐にしまって、出発しました。「どう、不足分は集まった?」「まだです」と、LTBSの面々は暗い顔でお出迎え(チェンガはシャブルベンシまで来てくれました)です。おもむろに「実はノ」と取り出した14万ルピーに彼等の顔が輝きだしたことは言うまでもありません。

◆これから

たった二人だけになった専従のチェンガとニマには、昨年から導入したワークショップの独立採算制に加え、LTBSから給料の補助が出ることになりました(もっともパワーアップが順調にいっての話しですが)。これで月額の給料6000ルピーを確保です。ようやく村のサラリー受給者と同じレベルになりました。
二人の仕事は、トレッカーシーズンのワークショップのパンとチーズの製造販売と年間を通じてのシステムの操作とメンテナンス。他の職種と比べても給料以上の仕事をしていると思います。今後は、二つのシステムをどのように維持管理してゆくか?専従者を雇い入れることも考えなければなりません。トレッカーの減少した今、マーケットの拡大も急務です。平行して技術者の養成も少しづつ行ってゆく必要があります。

私の滞在中の4日間のトレッカーの数はほんの数えるほどでした。普通春のシーズンでは一日7、80人はやってきます。泊まったテンジン・パサンの宿は私と毎年子供達に鉛筆や洋服などを届けにくる70すぎの自称オートバイ野郎のドイツ人のみ。そして私もこのドイツ人も特別ゲストで宿代はとらないお客でした。村には新しくて大きな宿屋が新たに三軒。最も新しい宿はできて三ヶ月になるのに、まだお客は0だということでした。因にランタン国立公園に入山したトレッカーの数は、2003/2004年度12000人、2004/2005年度は6000人。
これからについては、みなさんのご意見を伺って彼等にアドバイスしたいと思います。その前に新しいプロジェクトがいかに出帆したのか、次のニュースレターでお知らせします。その他、お伝えしたいことはたくさんありますが、事務局の追い立てが厳しく、次回に....。



<写真5>チェンガとニマとトレッカー道に立てたワークショップの看板

◆カンパの御礼

緊急のお願いにもかかわらず合計21万円のご寄金をいただきました。会員の大口カンパや友人たち、また東京神楽坂のSESSION HOUSEのみなさまや東京新聞(名古屋では中日新聞)に記事を載せていただいたことなどで、短い間に14万ルピーを作ることができました。これはそっくりLTBSの拡大プロジェクトに投入させていただきました。ご協力いただいた皆様に遅ればせながらのご報告と御礼を申し上げます。
 
最後に、R海外職業訓練協会の「国際協力プロジェクト事例集」にランタンプランの試みを載せていただきました。大型のODA、JICAレベルから私たちのような草の根NGOまで世界各地の44例が収められています。協会から5部のコピーをいただきました。事務局に置きます。ご利用ください。



<写真6>わがやの女衆



<写真7>わが孫ソナム・リンチェン

 早くも蝉の声を聞きつつ 貞兼 綾子

☆今後の活動予定とカンパのお願い

貞兼代表の報告にもあるように、LTBSは自力でシステムの改良と新プロジェクトの立案と進行を成し遂げたものの、ネパールの政情不安の影響もあり、チュダー・チュ拡大プロジェクトの完成を目の前にして、窮地に追い込まれています。代表の緊急アピールに賛同された皆様からのカンパや御寄付を、ぜひお願いいたします。LTBSの活動状況や現地の様子など、これからも随時ご報告させていただく予定です。

  振込先:ランタンプラン 郵便振替 01040−4−51106



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