ランタンプラン・ニュースレター

No.25  2003.12.5

 寒かった夏、暑かった秋、11月半ばを過ぎてようやく気候も通常に復したとは言え、こうアップダウンの厳しい大気のきまぐれには正直言って、地球の未来さえも危ぶんでしまいました。1年半以上のご無沙汰です。いかがお過ごしでしょうか。

ランタン報告

 昨2002年のチベット正月以来のネパール訪問をしてきました。LTBS(ランタン公民館開発委員会)の新しい試みのことがやはり気がかりで、出かけてしまいました。
 新しい試みと言っても、今年の3月-6月にかけて何度か電話で話し合った程度で詳細は不明、「ランタンプランからの30万ルピーを給料に充ててもよいか?」「パワーアップの予算申請をしているところだ」、という断片的なものでした。結果的に言えば、やはり出かけて良かったと思います。以下に報告するように、彼等が確実に自立の方向でがんばっていることを確認できましたし、その方向もみえています。長い時間がかかりましたけれど。そのことなど写真満載でご報告します。


赤い屋根の公民館(上)とワークショップ(下)


 マオイストのその後の動向も気になるところでしたが、カトマンドゥのホテル付近では、朝夕の軍隊一個小隊の見回り程度で、3週間の滞在中一度もマオイストによるストライク命令はありませんでした。人々から聞いたところでは、新聞やテレビ、インターネットの情報は嘘が多く、政府軍優勢を印象づけるものであてにならないという事と、現国王は大方の民衆に嫌われているということでした。いずれにしても、話し合いによる決着が待たれます。

成田発カトマンドゥ経由ランタン谷行

 今回のネパール訪問は10月5日から25日までの約3週間。そのうちランタン谷には2週間という短い滞在でした。ただ、通常はランタン往復にバスと歩きで最低でも5日かかるところが、今回は往復ともヘリコプター。その分、村の滞在に充てました。しかも、往路は日本(成田)を出発してキャンチェンまでたったの22時間。長いヒマラヤ通いの歴史上最速記録を樹立しました。
 ヘリは高山病の西洋人カップルを救出するためのチャーター機でした。ニューズレターにもたびたび同行するわがランタンの息子テンバ(リクチーの長男、カトマンドゥ在住)が、ランタンからのヘリの要請を受けてチャーターしたものだったのです。夜中にカトマンドゥに到着し、夜が明けてヘリに便乗したというわけです。

 ヘリがキャンチェンに近付くと、なんと、キャンチェンの台地は人、人、人。家畜もみえます。夏の放牧シーズンも終わり、高地から下降してきた家畜群がキャンチェン周辺に集められているようですが、人々の様子が違っています。この時期村にいるはずの老人子供の数が圧倒的なのです。あっ、ニマもチェンガも見えます。晴れやかな服装。キャンチェン・マルクーギャムツォはもうちょっと後のはずだし..。マルクーギャムツォというのは、バターを寺に納める年中行事ですが、参加者は男たちだし。


キャンチェンに集まった人、人


 ともかく一気に3800米のキャンチェンに到着しました。言い忘れましたが、テンバの奥さん(テンジン・パサンの末妹)と2ヶ月になる長男ソナム・リンチェンも一緒でした。言ってみれば、嫁と孫をつれて里帰りというところです。

高僧の巡礼

 折しもキャンチェンには、4ヶ月前からチベットのお坊さんが滞在中でした。キャンチェンに集まった村びとたちは、そのお坊さんの説法を聞く為だったのです。私が到着したのは丁度、4ヶ月に渡るご滞在の最終仕上げの時期で、嫁も孫も一緒にそのままキャンチェンに5日間滞在しました。
 通称ドゥッパ・リンポチェ。チベット仏教の宗派の一つ、ドウッパ=カギュ派のインカーネーション(化身、日本では“活仏”という)であるところからそのように呼ばれています。亥年の1947年、チベット側のシャー(キロン地方)の生まれ。ネパール側のツム、ヨルモ(ヘランブー)、ドラカなど6つのドゥッパカギュ派の寺院の責任者(座主)でもあります。色白で人品卑しからぬ優れた体格と鋭いまなざしながら、知識は誠に多岐に渡り、現在の社会経済、政治にも深い関心をもっておられるようでした。
 


リンポチェ


 ランタン村の人々にとって、この遠方からの有徳のお坊さんを迎えることは二重の意味で幸運であったようです。一つは、この谷に巡礼に来る高位のお坊さん(ラマ)が久しくなかったこと。そして、説教を聞けるチャンスは多分、少なくとも私がこの村を往復するようになって初めての機会だったこと。
 ドゥッパ・リンポチェは、そういう習慣的に仏教の何かを行ってきた人々に対して、二つの事を始められた。説教と「マニ・トンギュル」つまりマニの「百万遍念仏」。これは入門者たちにはまたとない導入の仕方だと思いました。朝九時と午後二時にそれぞれ二時間づつの説法、あとの時間は村びとたちそれぞれが「オム・マ・ニ・パド・メ・フム」の6文字の真言を唱える。老いも若きも手に手に数珠をもち、マニを1回唱える毎に数珠玉を1ヶ進める。108つの数珠つなぎを1巡すると数珠に付けられた小さな金属製の輪を一つ移動させる。そのようにして唱え続けた後、午後の説教の後で村の若い在家僧たちが、各人の念珠の数を聞いて回る。合計で百万遍を達成しようという試みなのです。
 この長期に渡るドゥッパ・リンポチェとその随行者20名の食住は村びとが賄いました。主食のツァンバ(大麦の麦焦がし粉)、バター、ミルク、その他の食糧やお金のお布施など。これも毎日、説教が終わる4時に正確に誰が何をどれだけ布施したかの報告があります。私もミルク50リッターの布施をしました。これらのお布施は、ドウッパ・リンポチェのみでなく、説教に集まった人々(毎日大人150〜200名+子供たち)へのバター茶やミルクティとしても供されました。
 会場は、キャンチェンのチーズ工場前の広場に簡易の大きな小屋が建てられ、屋根はハイピーシートで覆われているだけのものですが、説教を聞く厳かな場です。

 以下は法話の一部です。みなさまにもお伝えします。


帰依する人


10月10日朝9時の法話

 今日はみなさんに長寿の灌頂をしてさしあげようと思います。人間にとって、等しく願うのは、長寿です。ただ、長寿であっても、その間に盗みを働いたり、他人の悪口ばかりを言ったり、儲け話しに現を抜かしていては、時間の無駄というものです。私も若い時分には、お金があれば何でも買えて、美味しいものを食べて、良い衣服を身に纏うことが幸福というものなのだ思っていました。
 ミラレパ(1040-1123)の弟子にレーチュンパ(1085-1161)という者があった。眉目秀麗、聡明な青年であったのですが、師はレーチュンパをインドへ修行に出された。レーチュンパは解放された気分で遊び惚けていたが、ある時アモーガという老人が告げた。
「おまえの寿命はあと1週間しかないのだよ。気の毒にこんなに優れた肉体をもって生まれたのに」
 レーチュンパは急いで師の元へ戻り、そのことを師に伝えた。師はレーチュンパの寿命を知っておられたから、長寿の灌頂を授けられた。その後レーチュンパは更に40数年の寿命を得て、修行を完成されたのです。命を無駄にしてはならないということです。

 ランタンは私の前世が3年間瞑想を行われた土地だから、一度訪ねてみたいと思っていました。これまでそのチャンスもありませんでした。私はゴルカ(ツム地方)に二つの寺院、ヨルモのバカン・ゴンバ(寺院)、ドラカには尼僧院、これらを任されています。ヨルモとドラカの寺は良き弟子たちに恵まれ導き手もいるのですが、ツムの二つの寺には教えを託す人間がまだ育っていません。このことを除けば、私はもう60歳になんなんとしていますし、道で出会っても私が僧侶であることも知らない場所で瞑想したり、ランタンのような聖地を巡礼したりして過ごしたいと思っています。
 縁あって、このランタンに招かれました。ここへきた時にはこれほど長く滞在するとは思ってもいませんでしたし、「百万遍念仏」を催すことも考えにはありませんでした。しかし、村びとたちの熱心さに動かされて「百万遍」どころかそれ以上の念仏を完成することができました。
 マニ・トンギュル「百万遍念仏」を行ったことの意味は、現在ネパールを覆っている不幸な諍いが早く止み、平和と静かさが戻るようにという願いからでした。今日はみなさん一人一人に「長寿の灌頂」を授けます。

 と、在家信者たる村びとたちや近郊の村々から集まった老若男女ちは、仏教の何かに触れ、念珠三昧の至福の時を送ってきたのでした。酔っ払いも喧嘩もなく、良い空気が漲っていました。説法の最終仕上げは、一人一人聖水で浄められた後に頭頂に長寿の灌頂を受け、この谷の神々に祈りを捧げ、「百万遍念仏」満願成就の喜びを、良き隣人たちのほほにツァンバの粉を擦り付けあって分かち合うことで終了しました。
 一連の行事も終了したチベット暦8月15日、人々の余興は満月の明りの下でずっと続いていました。村びとたちの「百万遍念仏」は250万遍に達しました。


満願成就


リンジン・ドルジェ(元村長)


LTBS活動報告

 水不足に依るLTBSの運営はついにきたるべき時が来たのでしょう。LTBSは委員長のテンジン・パサンを中心に、現在の場所から1.2 kmほど南、本流に近い場所、本村の二つの川を水源とするチュダーチュ(水車小屋の川)を利用した新たなシステム(出力15kw)設置に向けて進行中です。

 これに到る過程は、ニューズレターNo.24に報告*したように、2001年夏の訪問の際、村と村会議とランタンプランとでパワーアップの為の出資分担を取り決め、ランタンプランからの30万ルピーを手渡す所までは報告しました。

* システム移転に関するランタンプランからの助成
 ......皆様から御支援いただいた助成金は70万円にのぼりました。ご報告は事務局から改めていたしますが、このうち60万円(33万ルピー)を懸案のシステム移転に関する助成に充てさせていただきました。見積もり額は約72万ルピー、そのうち村側が40万ルピー、ランタンプランが残りの32万ルピーを負担することになっています。

 しかし実際には、ランタンプラン以外に、ランタン村民とランタン村会議(VDC)は出資の約束を履行しませんでした。理由は、ネパールの政治情勢の悪化により統一地方選挙が行われず、実質的にランタン村会議長は任期満了、つまり村長不在状態になってしまったから......と、これは村会議長ティレー・ラマの言い訳です。この男は、98年に既存のシステムが完成したとき、郡のお役人たちを招いての祝賀式の席上、‘これから村会議はLTBSへ毎年50000ルピーの助成をする’と宣言していたのにも拘わらず、2003年までビタ一文も出していません。それどころか個人的に彼の家の電気料金も一文も支払っていない。村長が、ですよ!殆ど所得のない一人住まいの年寄でさえ支払っているのに、全くひどい口先男でした。その他この男の腹黒さ加減は枚挙にいとまがありません。この男、注意を要します。彼がこの後村長に選ばれることは決してないと断言します。
 つい気持が昂ってしまって.....話を元へ戻します。


作業中


チュダーチュ・プロジェクト:総事業費260万ルピー

 そのような経緯があって、システム移転は振り出しに戻り、新たな見積りの為の調査を専門の業者に依託し、今年に入ってその財源確保の模索を始めたようです。詳細は省きますが、「チュダーチュ・プロジェクト」と名付けた調査報告**では、総事業費25,555,920ルピー、約260万ルピーをはじき出しており、これに対しLTBSは2つの団体***から、そのうちの200万ルピー相当をほぼ獲得できるところまでこぎつけていました。

** 調査会社:Universal Consultancy Service Pvt. Ltd, Balaj /phone 4350580。
報告書は2003年3月の測量に基づいて、5月に作成されたもの。測量図、地図、写真を含め綿密な調査がされています。記載された見積書の数字とLTBSのこれまでのものと比較してみましたが、ほぼ同じ査定額。同報告書にはネパールの水力発電会社100社余りを上げ、「バラジュ・ヤントラシャラ」を推薦しています。この会社は貞兼も訪ねたことがあります。「ネパール・ヤントラシャラ」のシャマラージ氏を紹介してくれた会社です。調査報告書製作費はRs.35000。LTBSはそのうち1万ルピーを出しました。

***二つの団体:1つは、Energy Sector Assistance Programme---Minigrid Support Programme。デンマークの小型エネルギー導入を援助するNGO団体。もう一つは、Tourism for Rural Alleviation Poverty Program。地方自治体(NTB:Nepal Tourism Board)、政府、国連(UNDP)、NGOなど半官半民6つの団体による環境整備支援組織。LTBSテンジン・パサンは、NTBとリンクするランタン国立公園周縁バファーゾーン委員会(汎動植物保護地域。ラスワ郡とシンドゥパランチョーク、ヌワーコット郡の一部が含まれる)の委員長。
 この二つの団体に予算の申請書を提出、前者の団体からRs.1350000、後者Rs.700000の合計205万ルピーの財源を授与される見込み。

なぜチュダーチュ・プロジェクトなのか?

 理由は大きく3つありました。1:乾期(12月-5月)の恒常的な水不足、2:電気料金の徴集問題、3:システムにかかるメンテナンス費用の増大。これは、次のような図式、全ては水量の不足に起因しています。
水量の不足=電力不足/システムの故障 ==> 電気料金の徴集不能+ワークショップの生産機能不能

 既存のシステムの着工時、雨期は6kw、乾期はその半分の3kwを確保できるとしていました。しかし実際には、運転の数年後から年々乾期の水量が減り、電力不足による財政赤字は蓄積され続け、今日に到ってしまったという訳です。
 思いもかけなかったことは、この水量の減少が実は地球温暖化、氷河の縮小現象と関係があったということです。折しも、カトマンドゥに下山した10月23日、名大大気水圏(現名大環境水循環センター)の上田豊さんと彼の学生田中君、鈴木君にクラブハウスで会いました。ブータンヒマラヤの調査が終わったばかりでした。どうも乾期の水量の減少が昔と違うのではないかという質問に、上田さんのお答えは次のようでした:

 ヒマラヤは1980年代から温暖化が始まり、1990年代には更に進み、この前の10年とこの10年では氷河の縮小が更に加速されている。ヤラのような小さな氷河は今世紀半ばには消失するかもしれない。このことにより氷河の融水や氷河の下層部分に発生するわき水は当然減少してくる。因にもっと詳しくは↓
  http://snowman.ihas.nagoya-u.ac.jp/ageta/koen/koen.html

 現システムは正に氷河の融水とわき水を水源としていました。ああ、灯台下暗し。なんでだろうなんでだろうと私もチェンガたちも悩み続けてきたのに。以下は、ツォーカン経営が逼迫してきている事実を示す2002年の収支決算です。

ワークショップ運営収支:
収入:チーズ、パン、クッキーなど........Rs.6,315
支出:ミルク購入費、材料費など............Rs.5,000
電気系統収支:
収入:電気代、電気チャージ代など.…..Rs.35,410
支出:メンテナンス、修理品輸送費、カトマンドゥ出張費等
.     ...............................Rs.36,150
収入合計 Rs.41,725
支出合計 Rs.41,150

 この数字の限りでは、バランスがとれているようにみえますが、これには肝心のスタッフの給料120000ルピーが含まれていません。つまり給料も出ない赤字経営だったということです。この後にニマの話しを紹介しますが、恒常的な水不足とツォーカン運営のマヒによってこの春、3人いたスタッフの一人、ギャルボがついに辞めました。そうでしょう?子供を3人もかかえて1年間給料無しでどうやって食べて行くと言うんです!だからランタンから衛星電話で「30万ルピーを使っても良いか?」と聞いてきたのは、そのような切羽詰まった状況だったのに違いありません。辞めたギャルボにも勿論、去年1年間の未払分はそこから支払われました。でもホントに良くやったと思います。
 
 チュダーチュ・プロジェクト財源の不足分をどうするか、またチュダーチュ・プロジェクトが完成した場合どのように15kwを運営して行くのか等、毎日、今やたった二人になったスタッフ、チェンガとニマ、時にテンジン・パサンも含めてで話し合いました。それらを「新しい出発へ」として下に記しておきます。

全く、ツーリズムというものは何ももたらさなかった!

 今回の訪問で最も印象が深かったのは、ニマの言葉でした。むしろショックでした。立派に成長したなとも思います。貞兼との質問形式ですが、聞いてください。

貞:年間の生産計画とか立てないわけ?
ニマ:僕達の運営は初めから赤字が予想されていたんだ。最初から水の問題、メンテナンスの問題が続出。最初の1、2年を除いて全く運営不能状態だった。年間の半分は電力不足で電気代徴集も出来ず、電気がついたと思ったら機械の故障。僕達以外の者がスタッフだったら、もうとっくに辞めていただろう。ギャルボが辞めたことは良かった。彼の為にはそのほうが良かったと思う。オフィスの名前だけ残して壊れてしまったも同然だったんだ。それでも続けてきたのは、チチ(貞兼のこと)との約束があったからだ。僕達の意地もあった。

貞:この村で発展したと思われることは何?
ニマ:個人的なものにすぎない。大きな宿屋を造り金持ちが出て来たことぐらい。村としての発展は全く何も無い。隣のブリーディムやカンチックマの村へ行ってみてよ。家の中はまるで使っていなかったようにきれいに掃除され、お寺も公共のものとして整備されている。公衆便所もある。国から、村の大きさに拘わらず同じ額のお金が下りる。ランタン村は人口も一番少ないのに、50万ルピー(VDC、村会議予算)は何一つ役立っていない。下方の村ではその何倍もの形になって還元されている。道の修理に援助金が下りると、それこそ老人まで汗を流して予算以上の仕事をする。お金を活用できる地方なんだ。ランタン村はどうだ?ここでは、村の責任者はどれだけ自分のものにしたかという所にしか関心がない。全くツーリズムというものは何ももたらさなかった。それどころか村をダメにしたようだ。ツーリズムのエリアであれば、もっと公衆や環境の整備がされなければならないのに、個人の欲がそれを妨げてしまった。この村には便所さえない。恥ずかしい。


ニマとチェンガ


貞兼註:96年前後にランタン国立公園内の環境整備を目的としたエコツーリズムの働きかけによって、各共同体に旅館組合と婦人会が結成されました。旅館組合では料金の一定化、客引きの禁止、ベッド数のコントロールなどが取り決められましたが、ネパールの政情不安により観光客が激減、宿屋経営そのものが冷え込み、ルールは自然消滅。03年のシーズンは大手宿屋の客引きは目に余るものがありました。婦人会は村周辺の清掃と他村からの地酒の売買禁止を担当していましたが、これも2年くらい前から活動を停止しています。

新しい出発へ

 LTBSではチュダーチュ・プロジェクトの完成によって通年15kw/乾期10kwの電力を確保したいと考えています。その電力活用と運営について次のように計画しています。

電気系統
1)各家庭へは従来通り2灯
2)宿屋(ホテル)へは部屋数に応じて電力供給。03年10月末までに13w乃至18w
の蛍光灯95灯の注文を受けている。
3)その他、ラジオ、テレビ用などの需要があれば配線する。

ワークショップの運営
1)これまで乾期9月末-11月末までだったチーズ製造を、家畜群がキャンチェン周辺
に下降してくる8月中-下旬から始める。コンスタントに毎日4-5kgの製造が可能になれば、安定した価格でカトマンドゥの市場に出す。これに関しては、既にカトマンドゥ在住の日本人大河原さん夫妻から、経営しているレストランで購入して頂く約束済み。
2)チーズとパンの製造以外の昼間の電力利用として電気ノコを導入して、有償で村や下
方の地方からくる職人たちに貸し出す。
3)コミュニティテレフォン(衛星電話)の設置。緊急連絡やカトマンドゥ空港への天気
情報サービスを年間契約で行う。

既存のシステム
 好評だった粉引き(ガタ)はターバインの消耗や故障の原因になるので現在使われてい
ないが、チュダーチュのシステムが始動後、既存のシステムはガタと公民館専用とする。

 以上が運営計画のあらましです。財源が確保されれば、来04年春に着工、夏ころにはいよいよ新しいシステムで出発します。これまで苦しみながら経験を積み重ねてきたのですから、それを生かしてうまくやってくれると思います。スタッフはたった二人になりましたが、チーズ製造のシーズンには臨時に村びとを雇い入れて補うつもりのようです。
 簡単に運転開始後の収支を弾き出してみました。電気代とワークショップの経営収支はメンテナンス費用やスタッフの給料も含めて、大凡ですが、40000-60000ルピーの黒字が予想されます。
  
大使館訪問

 残り50万ルピーの財源をどうするか?電気委員会ではチチに頼めといつも言っているようですが、ニマはこれ以上恥ずかしくて言えないと却下してきたそうです。すごいですね?!
 50万ルピーの不足は発電機(3ph 30kva)Rs.190,000 とターバインRs.265,000、システムの心臓部の購入費です。三度目の申請に日本大使館を訪問しました。10月22日LTBSの委員長テンジン・パサンを連れて、一等書記官の大坂剛氏とアシスタントのニマ・シャルパ氏にお会いしました。1時間半、現状と窮状の説明を聞いていただきました。厳しいご指摘でした。当然です。なぜ経営不能になったのか?どのようにそれに対処してきたのか?過去の無償援助とは別のものと考えて、それらについて将来計画も含め報告するように、というご指示と提案をいただきました。テンジン・パサンと話し合い、メモにしたものを村へ持ち帰って現場の二人チェンガとニマの考えを入れて、大使館に提出するようにと指示して私自身は帰国しました。日本にいる私にニマから衛星電話(Rs.45/min.)で報告書の再確認の電話もありました。11月半ば、下山してきたニマはテンバと共に大使館を訪問、アシスタントのニマ・シャルパ氏と前回の担当官だった大西氏のアシスタント、ラジュバンダリ氏の二人と面談し、有益な助言をいただき、報告書は11月20日に提出したという連絡がありました。まだ大使館からのお返事はありませんが、私は希望をもっています。

終わりに

 LTBSは98年、社会福祉法人としてラスワ郡に『法人番号47055/56』として登録されています。年間の登録更新費1000ルピーも払い続けてきました。もし、もし、このプロジェクトが軌道に乗ったとすれば、LTBS運営の黒字を教育(奨学金)や老人/乳幼児の福祉、観光地としてのランタン谷の環境整備にも充てることができます。チェンガもニマもそういう意味で、私欲のない理想をもつ男(もう青年ではありません)に成長してくれました。まあ私も、ランタンの家族(内孫外孫を合わせて19人)もいることですし、60歳までは何らかの形でフォローし、みなさまにもそのご報告を続けるつもりです。

カンチェンボ峰

貞兼綾子(2003.12.5)

☆今後の活動予定とカンパのお願い
今後数年間は大きな現地活動をしない予定です。しかし必要があればすぐに人員を派遣できる体制は維持したいと思っています。会費としての資金援助のお願いはいたしませんが、皆様からのカンパや御寄付をお願いいたします。今後の活動については、会員集会や報告会を開催し、皆様の御意見を伺って、必要があれば改めて提案させていただく予定です。

  振込先:ランタンプラン 郵便振替 01040−4−51106



ランタンプランホームページに戻る
幸島研ホームページに戻る