ボルネオ産ジャワマメジカの生態と行動に関する研究

松林尚志 02.9 博

マメジカ類は、アジア・アフリカの熱帯林に比較的数多く生息する角のない小型有蹄類で、熱帯林生態系の重要な草食動物である。また系統学的には、マメジカ科という独立した科に分類され、反芻動物の中で最も初期に分岐したグループと考えられている。したがって、その生態や行動の解明は熱帯林生態系を理解する上でも反芻動物の進化を考える上でも重要である。しかし、野外におけるマメジカ類の生態と行動に関する研究はまだ非常に少ない。特に、東南アジアに広く分布するジャワマメジカは、マメジカ類の中でも最も小さい世界最小の反芻動物であるが、その生態や行動に関する情報は非常に限られていた。そこで本研究では、ジャワマメジカの生態と行動、特にその日周行動パターンと環境利用、食性、社会構造などを明らかにすることを目的に、マレーシア・サバ州・カビリ−セピロク森林保護区において、1998年3月から2001年4月までの期間、連続ラジオトラッキング(発信器を利用した動物の位置決定)による個体追跡や行動の直接観察などによる野外調査を行った。

まず、日周行動パターンを調べるために、単位時間あたりの移動距離の日周変化を調べた結果、早朝と夕暮れ前に増加し、正午前後と夜間に低下することが確認された。また、各時間帯に観察された行動を分析した結果、林床で歩行や採食などを行っている活動的個体は明るい時間帯にだけ観察され、一方、林床にうずくまる独特の休息姿勢をとって休息している個体は、明るい時間帯よりも、むしろ暗い時間帯に多く観察された。以上の結果は、これまで夜行性と信じられてきたジャワマメジカが、実は昼行性であることを強く示唆するものだった。

次に、ジャワマメジカが採食や休息にそれぞれどのような環境を利用しているかを明らかにするために、24時間連続ラジオトラッキングによる行動追跡を行って、活動的時間帯と休息的時間帯に行動圏内のどこにいるのか調査した。その結果、ジャワマメジカは、主な活動時間帯である明るい時間帯をギャップエリア(林内空き地)で過ごし、主な休息時間帯である暗い時間帯を尾根周辺の高地で過ごしていることが明らかになった。したがって、ジャワマメジカが主にギャップエリアで採食を行っていることが強く示唆された。

野生個体の採食行動の直接観察、捕獲野生個体の採食実験、および野生死亡個体の胃内容分析の結果、これまでマメジカ類は果実食者と考えられて来たが、ジャワマメジカは、林床で落下果実のみならず、キノコ類や実生の新芽新葉、特にギャップエリアに多く見られるパイオニア樹種の落葉をかなり大量に採食していることが明らかになった。この事実からも、ギャップエリアの植生がマメジカにとって重要な食物資源となっていることが示唆された。以上の結果から、熱帯雨林の林床に生息する草食哺乳類の環境利用が初めて定量的に明らかにされた。また、ギャップエリアのパイオニア植物が本種の重要な食物資源であることが初めて明らかになった。

次に、ジャワマメジカの社会構造を解明するために、野生個体の直接観察とラジオトラッキングによる行動圏分析を行った。その結果、調査地で同時に目撃された個体数(グループサイズ)が平均1.06頭と非常に低いことから、本種は非常に単独性が強く、通常はほとんど一頭で行動していることが明らかになった。また、オスの行動圏はメスの行動圏より若干大きいが大きくは違わないこと、行動圏の重複は異性間で大きく同性間で小さいことなどが明らかになった。さらに、行動圏の大きく重なるオスとメスは、通常は単独行動をしているが、まれに24時間以上継続して行動を共にする行動(随伴行動)を見せることから、これらのオスとメスが配偶関係にあるペアであることが強く示唆された。以上の事実から、ジャワマメジカは同性に対して排他的な行動圏を持つ一夫一妻型(ペア型)社会構造を持つと推測された。また、オスの転出後に隣接オスが転出オスの行動圏に侵入したこと、捕食によるメスの消失後に消失メスとほぼ同じ行動圏を持つメスが現れたことから、本種の行動圏が他個体の侵入から防衛されたナワバリであることが示唆された。本種のナワバリの機能に関しては、行動圏が比較的大きく重なる隣接オス間でも、採食空間だと考えられる昼間のコアエリア(行動圏内の集中して利用される部分)は明確に分離していることから、同性他個体から採食空間を防衛する採食ナワバリである可能性が示唆された。しかし、排他性は同性のみに向けられ、異性に対しては昼間のコアエリアへの侵入も許すこと、ペアオス転出後にその行動圏に侵入した隣接オスが、それ以前は観察されなかった隣接ペアメスに対する追尾、接近を行ったことから、特にオスの行動圏には、配偶相手であるメスを確保する機能もあると考えられる。また、行動圏を放棄して調査地外へ転出する行動がオスでのみ3例確認され、メスに比べてオスの流動性が高いことが明らかになった。

捕獲された若齢個体のサイズや妊娠メスの胎児サイズから推定すると、本種の出産は雨季に集中すること、また妊娠期間を考慮すると交尾は乾季の終わりから雨季のはじめに集中することが明らかになった。オスの転出行動が、全て推定された交尾期に生じていること、ペアオスの転出が、交尾が行われたと考えられる随伴行動の直後に起きたこと、本種メスは後分娩発情する(出産直後に交尾可能になる)ことから、オスはペアメスを受胎させた後に、交尾可能な他のメスを求めて転出する可能性が示唆された。

以上の結果から、ジャワマメジカの配偶システムは単独性の強い一夫一妻型で、両性ともに同性に対する採食ナワバリを有するが、特にオスの行動圏にはメスを確保する交尾ナワバリの機能もあること、メスは一カ所に安定したナワバリを維持するのに対して、オスは交尾可能なメスを求めて転出することが示唆された。

マメジカ類に限らず哺乳類の社会構造研究は、これまで単なる行動圏の重複関係の分析によって行われることが多かったが、本研究では、行動の直接観察とラジオトラッキングによる行動追跡によって、ジャワマメジカの個体間関係と社会構造を、より詳細に解明することが出来た。