雪氷微生物の雪氷アルベド改変過程に関する研究

竹内 望(1999.9 博士)

雪氷中の汚れ物質(不純物)は,雪氷面のアルベド(光の反射率)を低下させ,雪氷の融解を促進する効果を持っている.このため,雪氷中に含まれる汚れ物質の量や質は,氷河や積雪,海氷など,雪氷圏の変動に大きな影響を与えると考えられている.本研究は,従来の地球物理学研究で考慮されてこなかった,雪氷中での生物活動が雪氷のアルベドを改変する過程を明らかにすることを目的に,主にヒマラヤ地域のヤラ氷河上の汚れ物質の生物学的特性を分析することによって,汚れ物質形成と雪氷微生物活動の関係を検討したものである.

第一章では,ヒマラヤのヤラ氷河で汚れ物質の構造の観察,有機物の分析をおこない,汚れ物質の生物学的特性を検討した.ヤラ氷河の汚れ物質は,鉱物粒子と暗色粒子から構成されていた.中でも,アルベド低下に影響を与えるのは,暗色粒子であった.観察の結果,暗色粒子は雪氷藻類とバクテリアと有機物が固まった微生物複合体であることが明らかになった.氷河の汚れ物質と大気降下物の特性を比較した結果,氷河の汚れ物質は,単に大気降下物が蓄積されたものではなく,氷河上で生物活動によって生産された物質であることが強く示唆された.消耗域の暗色粒子は,直径0.1 - 3.0 mm程の球形の粒子(クリオコナイト粒)だった.蛍光顕微鏡による観察,氷河上での実験の結果は,この粒は糸状藍藻が鉱物粒子をとりこみながら成長するストロマトライト様の藻マットであることが明らかになった.このクリオコナイト粒の構造は,貧栄養環境で栄養塩を確保し,融解水による流出を回避する,氷河上の微生物にとって適応的な構造であると考えられる.以上,明らかになった汚れ物質の有機成分,構造から,ヤラ氷河上の汚れ物質に含まれる有機成分のかなりの部分は,雪氷藻類の光合成活動によって生産されたものであることが強く示唆された.

第二章では,汚れ物質が暗色化する機構を検討するために,ヤラ氷河上の汚れ物質の光学的特性の分析と暗色有機成分の分析を行った.汚れ物質のスペクトルアルベドを従来汚れ物質の供給源と考えられてきた大気降下物と比較した結果,汚れ物質は大気降下物に比べて暗色で,アルベドが低いことが明らかになった.これは大気降下物が氷河上で暗色化したことを示している.汚れ物質と汚れ物質中の鉱物のスペクトルアルベドの比較した結果,有機物によって汚れ物質のアルベドが0.11 - 0.15低下していることが明らかになった.このことは,汚れ物質の暗色の原因が有機物であることを示している.汚れ物質中の有機物には暗色の腐植物質が含まれていることが明らかになり,氷河の汚れ物質が,腐植物質によって暗色化していることが強く示唆された.また,汚れ物質と大気降下物では,含まれる腐植物質の特性が明らかに異なることから,汚れ物質中の腐植は氷河上で形成されたものであることが示唆された.以上の事実から,氷河の汚れ物質は,氷河上での藻類生産物などの有機物がバクテリアの活動によって腐植物質に変換されることにより暗色化することが強く示唆された.

第三章では,前章までの分析で示唆された雪氷生物活動による汚れ物質の形成過程を,氷河上で汚れ物質特性の季節変化を観測することによって検証した.涵養域の汚れ物質中の藻類バイオマスと有機物量は,5月から9月にかけて上昇することが明らかになり,藻類の増殖によって汚れ物質中の有機物量が増加することが示された.また,この期間に,春には検出されなかったタイプの腐植物質が形成され,汚れ物質の反射率が減少した.これらの結果は,雪氷藻類の光合成生産による有機物の増加,バクテリアによる有機物の腐植化が,暗色の汚れ物質を形成するという考えを支持するものであった.

第四章では,ヤラ氷河上での汚れ物質量と実際の氷河表面のアルベドの関係を検討した.氷河表面のアルベドと表面の汚れ物質量には,有意な相関関係があった.このことは,汚れ物質が実際に氷河表面のアルベドを低下させる効果があることを示している.汚れ物質量の増加にともなう氷河表面のアルベド変化には,閾値(200 g m-2付近)を境界にした不連続な変化が見られた.閾値以下の汚れ量でアルベド低下がおこらないのは,風下氷などの表面の氷の微構造がアルベドに影響しているためであることが示めされた.これらの結果から,閾値付近での汚れ物質の量や質の小さな変化が,氷河表面のアルベドに大きな影響を与える可能性が示された.

第五章では,ヤラ氷河以外のヒマラヤ氷河,北極,チベットなどの氷河,雪渓の汚れ物質の特性をヤラ氷河のものと比較し,生物による汚れ物質形成がどの程度一般的な現象なのかを検討した.汚れ物質の観察,分析の結果,調査したすべての氷河,雪渓の汚れ物質に,暗色の微生物複合体が含まれていた.このことから,生物による汚れ物質形成は氷河や雪渓で一般的な現象であることが示唆された.また,すべての氷河消耗域で糸状藍藻を含むクリオコナイト粒が観察されたことから,糸状藍藻によるクリオコナイト粒形成が,氷河消耗域で一般的な現象であることが示唆された.汚れ物質の反射率は,汚れ物質に含まれる腐植物質量と相関があったことから,汚れ物質の暗色の程度は腐植物質形成量に依存することが示唆された.

以上,本研究は,氷河の汚れ物質が,氷河上の微生物活動によって生産され,さらに暗色化されていることを明らかにした.この結果は,生物活動が氷河のアルベドを低下させ,氷河の融解を促進していることを示している.


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